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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第46話:加絵と隼人

由菜は悩んでいた。


ショートホームルームが終わり、クラスメイトの殆どがいなくなってから加絵はのっそりと腰を上げた。隼人は、クラスメイトの集団に紛れて出て行ったのかもう既に姿はなかった。


「由菜、また明日ね」


そう笑って手を振る加絵の表情は心なしか硬く、緊張しているのが見て取れる。加絵はこれから隼人が待っているであろう屋上へと向かうのだ。昼休みに話があると言われ、放課後になるまで加絵の表情は緊張で強張っていた。加絵は、隼人が由菜の事はふっ切ったという事を知らないので、恐らく振られるのだろうと思っているに違いない。


絶対上手くいく…。


そんな根拠のない自信が由菜にはあったのだ。加絵と話す時の隼人の表情、それから由菜の事はふっ切ったと自ら言っていた事、加絵をどう思っているの?と聞いた時の表情からして、いけるんじゃないかと。


「うん、バイバイ!」


兎にも角にも二人の事が気になって仕方がなかった。大丈夫とは思うものの、もし加絵が泣く事になったらそばにいてあげたいと思っていた。それこそ加絵の専売特許であるお節介なのだが。

由菜は、屋上までこっそり話を聞きに行くかそうすべきではないか悩んでいたのだ。もし立ち聞きしていた事がバレれば、大目玉を食らう事になる。しかし、気になって気になって仕方ないのも事実なのだ。

思案気に首を傾げ腕を組んでいると、辰弥が教室に入ってきた。


「あれ?ジュディは?」


辰弥が一人なのを見てそう尋ねた。辰弥は相当疲れているのか脱力気味に肩を落としている。


「まいて来た」


相当走って来たのだろう大きく肩で息をし、苦しそうにそう言った。由菜はその返事を聞いて、どうしても好奇心を我慢する事が出来なかった。一人では出来ないけど、二人なら。


「お願い! 辰弥。ちょっとだけ付き合って!」


そう言って顔の前で両手を合わせ拝んだ。突然のお願いに驚いた表情の辰弥ではあったが、滅多にない事なので快く良いよと言ってくれた。その返事を聞いて由菜はニヤリと笑い、辰弥の手を取って足早に歩き始めた。背後でどこに行くの?と辰弥が聞いているが、聞こえなかったふりをしてずんずんと前に進む。

屋上に上がる階段の前に辿り着いた時、由菜は足を止め、後ろの辰弥へ唇の前で人差し指を立て静かにと合図する。辰弥もわけが分らないようだが、大人しく由菜の指示に従う。そこから二人は、抜き足差し足と忍者の如く一歩一歩慎重に歩を進めていく。上に近づくにつれ、誰かの声が聞こえてくる。一番上まで辿り着くと由菜は扉に耳を張り付けて外の会話をうかがった。


「返事を延ばして悪かったな」


その声が誰の物か思い至ったのか辰弥は由菜に視線を移す。由菜は黙って大きく頷いた。


「ひと月前、あいつが留学するってお前に聞いた時、俺何も感じなかった。いや、何も感じなかったって言ったら嘘になるな。クラスメイトとして友人として別れる事はやっぱり寂しいけどさ、でも、あいつにどうしても俺の傍にいて欲しいとか、あいつを引き止めたいって気持ちはなかったんだよな。友人として元気で頑張ってって欲しいとは思うけどな。あの時、やっと俺はあいつをふっ切ったんだって思ったよ」


隼人の声だけがドアの内側の二人に届いていた。加絵がどんな表情で、どんな気持ちで隼人の言葉を聞いているのか由菜には分らない。


「もし、留学するのがお前だったらって考えたら何か知んねぇけどすげぇ嫌だったんだ。何でそう思うのかこのひと月ずっと考えてたよ。やっぱり気付かせてくれたのもあいつだったよ。あいつは俺にお前が俺の事もう諦めるかもしれないって言った。それを聞いた時、やっと自分の気持ちに気付いた。俺はお前が好きなんだってな。もう、遅いか?」


そう言い終えると、しばらく沈黙が続いた。加絵はどうしているのだろうか。早く遅くないと返事をしてあげてと手に汗を握り、由菜はその沈黙を聞いていた。もしかしたら、加絵は泣いているのではないかと由菜は考えていた。


「遅くないよ…。ずっと待ってて良かった」


辰弥はもう一人の人物が誰なのか予期していたのかその声を聞いても驚かなかった。ドアの向こうの二人が再度静かになった。もしかして、抱き合ってキスなんかしていたりしてなどと勝手に想像して顔を赤くしていると、突然ドアが勢いよく開いた。屋内から押すタイプのそのドアは外側から引かれる事により、ドアにべったりへばり付いていた二人は前につんのめり勢いよく倒れた。

イタタタっと顔を顰め、見上げるとそこには腕を組んで、仁王立ちで睨みつける加絵がいた。顔は赤く眼が少し充血している所をみると、やはり泣いていたようだ。

えへっと愛想良く笑ってみたが、笑顔を返してはくれなかった。


「それで…お二人さんはこんな所で仲良くお手てなんか繋いで何をしているのかしら?」


加絵の言葉に由菜は自分が今の今まで辰弥の手を握りっぱなしだった事に気付き、慌てて手を放した。


そして、「ごめんなさい」と謝った。


「由菜…、本当は怒ってなんかないよ。由菜のお陰だよ、ありがとう」


怖い顔を急に緩めそう言うと、加絵は座ったままの由菜に抱き付いてきた。


「私何もしてないよ。でも、良かったね加絵。ホントに良かったね」


抱きついた加絵が泣いているものだから、由菜も涙がボロボロ出てくるのを止める事が出来なかった。由菜と加絵は二人の男が見守る中、涙が枯れるまで泣き続けた。



ようやく二人が泣きやむと、「帰ろう」と隼人が言った。二人は同時に大きく頷くとゆっくりと立ち上がった。こんなに思いきり涙を流したのは久しぶりだと由菜は思った。瞼が重く、喉が渇いていた。

すっと由菜の隣にやってきた辰弥が「良かったね」と声をかけ、ハンカチを手渡してくれた。うん。と、素直に頷き歩き出した。

加絵と隼人が少し前を歩いているが、先ほどの告白で照れがあるのか、ぎこちなく会話をしていた。だが、そのうちいつもの様に喧嘩(いやただじゃれ合っているだけなのだろう)が始まった。そんな光景に近頃曇りがちだった心がほっこりと暖かくなるのだった。一番の親友である加絵の幸せは由菜にとっても大きな幸せとなっていたのだ。


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