第42話:台風の目
ぼんやりと二人、日が暮れかけた薄闇に包み込まれた道を肩を並べて歩いている。
頭の中に駆け巡っているのは、先日のファーストキスの事。ぼんやりほんわかといった雲の上を歩いているような足取りである。要するに色ボケ状態。辰弥もまた、ぼんやりと前を見て黙々と歩いている。
沈黙が続いても苦にならない関係な二人は、それぞれが物思いに耽っていた。
そんな二人をリムジンが追い越していく。そしてそのリムジンが二人の歩く少し先で止まった。後部座席にドアが開き、誰かが出てきた。薄闇の中では黒いシルエットだけしか見えない。恐らく女の子だろう。
黒いシルエットが足早に二人のいる所へと近づいてくる。
その黒い人物は、突然やって来たと思えば、辰弥の首に巻き付き頬にキスをした。
「辰弥。会いたかった。」
由菜も辰弥も唖然とし、突っ立っていた。今起きた事がどうにも理解できない。薄暗い道に街灯が灯され、その少女の顔が浮き彫りになって行く。
ロスで会ったお金持ちのお嬢様、ジュディその人である。ご存知狙った獲物は意地でも逃さない。私の魅力に落ちない男はいないわと豪語するつわものである。しつこ過ぎて仕方なしに付き合ったと証言する男も多く存在すると言う。
ジュディがどうしてここに・・・?
そんなのは愚問である。辰弥を追って来たとしか考えられないではないか。折角受験も終わり、残り少ない日本生活及び高校生活を辰弥とエンジョイしようという乙女の祈りは敢え無く撃沈。この少女が現れて、平和に暮らす事など不可能なのである。そして、狙われた獲物は辰弥。
ジュディは、由菜と辰弥と共に家まで着いて来た。というよりも、リムジンに押し込まれ、家まで連れて来られたのが真相である。彼女は、辰弥の腕にしっかりと自分の腕を絡め、辰弥が放してくれと言っても放すつもりは毛頭ないようだ。そして、由菜に対しては、最初に一応「久しぶり」と挨拶したものの、それきり完全に無視を決め込んでいる。たまに目が合い、こちらが微笑みかけても、鋭すぎる目で睨みつけてくる。由菜の事を敵対視しているようだ。そして、アッカンベをして、フンッとそっぼを向く。まるで子供だ。それなのに、体はもうすっかり大人で、そのギャップに魅せられた男は多いだろう。
誰にも気付かれないようにふぅ〜と息を吐く。辰弥がこちらを振り返った。
<ごめん>
辰弥の目がそう由菜に告げている。
<ううん、大丈夫だよ>
由菜もそんな意味を込めて首を振りながらアイコンタクトを返した。
<本当ごめん。由菜、大好きだよ>
そう言っているのが分かる。いつも「好きだよ」と言う時の目だ。由菜は辰弥を安心させる為、頷き微笑みを浮かべた。
母は、急にジュディを連れて行っても動揺する事無く対応してくれた。
ジュディは初めての日本の家庭料理に舌鼓を打っていた。好奇心旺盛なジュディは、次から次へとチャレンジしていた。納豆の匂いを嗅ぎ嫌な顔をした。一口食べてその顔を更に歪めている。彼女が再度、納豆を口にする事はないだろうと思う。
一通り食べた所で、何故日本に来たのか話し始めた。
要するに、辰弥が好きで日本に追いかけて来た事。由菜と辰弥が通う高校へジュディもまた通う事になった事。一流ホテルのスウィートルームで暮らす事。全て、ジュディの我が儘を父親の財力を最大限に利用して叶えてやったという事だろう。
ジュディは10時くらいになって、やっと帰って行った。
階上に上がり、部屋のドアを開けようとした時辰弥に声をかけられた。
「由菜。ごめん。嫌な思いしてない?嫌だったら直ぐに言って。」
心配そうに少し眉間にしわを寄せ由菜を覗き込む。由菜は辰弥の眉間に手を触れ、しわを伸ばした。
「しわ寄ってるよ。大丈夫。謝らなくても良いのに。だって辰弥のせいじゃないでしょ?ジュディが勝手に追いかけて来た事だもん。辰弥に止める事なんて出来ないよ。多分彼女を止める事の出来る人なんていない気がするけど。でも、まあ本当はちょっと嫌かもしれないな。折角これから二人でゆっくり遊べると思ってたのに・・・。残念。仕方ないね。」
不安にならないわけがない。だけど、辰弥が悪いわけじゃない。ジュディが悪いわけじゃない。誰しも誰かを好きになる。それを誰が止められるだろうか。
不安を押し込めて元気良く、なるべく軽く言ったつもりなのに辰弥には由菜の気持ちはお見通しで、そっと抱き締めて頭を撫でてくれた。弱気になり、涙が出そうになるそこをぐっと堪えて辰弥の体から自ら離れた。
「へへっ。ありがとう。お陰で元気の充電が出来たよ。もう寝るね、おやすみ。」
「元気がなくなったら、いつでも言って充電するから。俺の充電にもなるし。おやすみ。」
そしてそれぞれの部屋へと入っていく。
翌日。ジュディは、朝から家へ訪れた。彼女は辰弥に車で行くから乗るように言っている。彼女の強引な誘いを断る事は出来ない。
「由菜も乗ろう。」
辰弥がそう言ったが、
「私はいいや、電車で行く。辰弥は乗って行きなよ。」
「じゃあ、俺も電車で・・・」
俺も電車で行くと辰弥は言いかけたが、ジュディにより強制連行された。由菜は笑顔で辰弥に手を振った。辰弥は少し悲しそうな顔で由菜を見ていた。
「あんたおちおちしてたらあの子に辰弥君取られちゃうわよ。あの子積極的だから気をつけなさいよ。これでもそこそこ恋愛経験あるんだから相談に乗るから一人で悩まないのよ。」
玄関で、突っ立っている由菜にいつもの母の声が心地よく胸に響く。
「お母さん、お父さんの他にも色んな人と付き合ったの?」
「見て分からない?こんなに美しい女性を誰が放っておくのよ。もてたに決まってるでしょ。あんたなんかより全然もてたわよ。」
確かに母は綺麗だ。よく授業参観で友達に「由菜のお母さん若くて綺麗だね。」と言われたものだ。中学生の時、同級生の男の子に放課後呼び出され、告白されるのかと思って内心ドキドキしていたら、用件は、「お前のお母さんが好きなんだ。どうした良いと思う?」というふざけたものだった。娘の私にそんな事言われても困るし、結婚してますから・・・と胸の中で毒づいた。
母は、いつも心配してくれているのが分かる。勿論、からかって面白がっている時もあるが母なりに娘の私を可愛く思ってくれているのが分かる。
「気が向いたら相談するよ。じゃあ行って来ます。」
自らテンションを上げ、わざと元気良く大きな声で家を出た。




