第3話:姫
「じゃあ、この問題解いてみて。」
由菜は辰弥の家庭教師として、毎晩7時から9時と決めて勉強を教える羽目になってしまった。今はまだ夏休み中なので、昼も夜も由菜が家にいれば分からない所を聞きにくる。多少面倒くさいと思わない事もないが、そこは責任感の強い由菜なのできちんと教えている。由菜は壁の時計を仰ぎ見た。8時45分。この問題が終われば今日は終わりだなっと由菜はそっと息を吐く。辰弥が問題を解いている間、由菜はその姿を観察する事にした。
実は辰弥はかなりの男前なのである。男らしい眉毛に二重瞼のぱっちりした目。その瞳の中はまるで赤ん坊のように透き通り、見る者を惹きつける。すっと通った鼻に少し大きめな口。痩せてはいるが、引き締まった体付きをしているように思う。確か母が辰弥は柔道、空手の黒帯だと言っていた事を思い出す。学校でもかなりモテているらしい(これも母情報である)。
一方の由菜はというとこれまた美少女である。大きなクリッとした目を持ち、頬はいつも少し赤みを帯びている。唇は少し厚めでプクッとして淡いピンク色、髪は長くシャンプーのCMに出ている泉川あさみのように美しく輝いている。ただ由菜自身にその認識はなく、誰とでも気楽に話せるタイプの為、男女問わず人気がある。ただ周りの男達は、高嶺の花なせいか告白をする勇気のある者はいない。その為由菜は自分はモテないと思っている。
「見つめるほど俺の事好きになっちゃった?」
その言葉でハッと我に帰る。どうやら長い事見入ってしまっていたらしい。
「どうして私があんたなんかの事。」
由菜は勢い良く立ち上がり、力一杯否定したが、ムキになった事を恥ずかしくなり俯いて再び椅子に腰を下ろした。
「俺、あんたって名前じゃないよ。辰弥って呼んでよ。」
「あんたには、あんたで十分よ。」
「そんな事言うと、今度は本当にキスしちゃうよ。」
そう言って辰弥の顔が近づいてきた。焦った由菜はすんでの所で辰弥の唇を両手で強く押しやり、
「辰弥・・。辰弥。これで良いんでしょ?」
「残〜念。キス出来ると思ったのに。」
と頬を膨らませている。先程辰弥の唇を押しやった手は辰弥の手の中にある。そして、辰弥は跪いて由菜の手の甲にそっとキスをした。
「ちょっと何するのよ。」
「由菜は俺の姫だから。」
由菜は恥ずかしさのあまり辰弥から目を逸らした。普通ならドン引きする位くさい台詞なのだが、辰弥のその低い声から繰り出されるその言葉は、由菜を不快にさせるどころか、少しくすぐったい気分にさせた。




