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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第16話:ピアノの調べ 3

気付くといつの間にか曲は終わっていたらしい。


「どうかした?次の曲で終わりにして良い?俺の一番好きな曲・・・。」


「うん。」


由菜は自分の感情を表に出さないようにぎこちなく笑顔を作った。辰弥が弾き始めた曲は、由菜も大好きな曲だった。

ホルストの『木星』。5年前くらいに○原綾香が歌詞をつけて『Jupiter』という曲名で出している。この曲に対しての評価は賛否両論あったようだ。原曲の『木星』がとても素晴らしい曲のため、クラシックの音色をこよなく愛する人々からは、それに歌を付ける事は我慢出来なかったらしい。由菜は、クラシックで聞くそれも、歌で聞くそれも両方好きだった。


〜♪

    Everyday I listen to my heart

    ひとりじゃない 深い胸の奥でつながってる

    果てしない時を越えて輝く星が

    出会えた軌跡 教えてくれる


    Everyday I listen to my heart

    ひとりじゃない この宇宙の御胸に

    抱かれて


    私のこの両手で何が出来るの?

    痛みに触れさせて そっと目を閉じて

    夢を失うよりも 悲しいことは

    自分を信じてあげられないこと


    愛を学ぶために 孤独があるなら

    意味のないことなど 起こりはしない


    心の静寂に 耳を澄まして


    私を呼んだなら どこへでも行くわ

    あなたのその涙 私のものに


    今は自分を 抱きしめて 

    命のぬくもり 感じて


    私たちは誰も ひとりじゃない

    ありのままでずっと 愛されている

    望むように生きて 輝く未来を

    いつまでも歌うわ あなたのために


                                  『Jupiter』より



由菜が歌いだした事に辰弥は始め気付かなかった。自分の頭の中で誰かが歌っているのではないかと感じていたからだ。

しかしその歌声がどうやら由菜の物である事に驚きを隠せなかった。由菜の声は透き通るように繊細で美しく、辰弥のピアノと見事に調和していた。辰弥は歌っている由菜をこっそりと覗き込んだ。

由菜は瞳を閉じている。辰弥が由菜を見つめている事さえ気付かない。こんなに気持ちよくピアノを弾いたのは辰弥には初めての事だった。永遠にこの曲が終わらなければ良いと辰弥は思っていた。

しかし無常にも夢の時間は終わるものである。辰弥の口惜しい気持ちと裏腹に由菜は最後まで歌いきり、辰弥のピアノが最後を締めくくる。


由菜は達成感のような物を感じていた。辰弥のピアノに乗せて歌った時のあの興奮の余韻に由菜は瞳を閉じたまま浸っていた。ふとふんわりと石鹸の香りが由菜の鼻をかすめたかと思うと、辰弥の腕に包み込まれていた。


「辰弥?」


驚いた由菜はぱちりと目を開けた。そして、先程までの興奮とはまるで違う心臓の鼓動を即座に感じ取った。


「あ〜。すっごい良かった・・・。俺感動した。すっごいすっごい感動した。ピアノ弾いてて鳥肌立ったのなんて初めてだよ・・・。」


由菜の頭上で興奮した辰弥の声が聞こえて来る。ちょうど顔の辺りに辰弥の胸がある。辰弥の胸からも、激しい心臓の音が聞こえて来る。由菜は辰弥の為されるがままになっていた。

辰弥は由菜の肩を両手で優しく掴み、由菜の体から自分の体をゆっくりと離す。そして、由菜と同じ目線になるまで屈み込み、


「由菜って、凄い歌が上手いんだね。」


「ありがとう。」


はにかむように口元だけで笑う。由菜は歌声を褒められた事などなかったので、少し気恥ずかしくなってしまった。


「あっ・・・。ヤバイ。目が離せなくなった。しばらくこのままで・・・・・・良い?何にもしないよ。ただもうしばらくこうして見ていたいんだ。」


由菜はうんと小さな声で呟く。


いつの間にか、雷は遠ざかり、窓からは太陽の日差しが差し込んでいる。雷の音の変わりに、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえてくる。


部屋の中では、言葉を交わすことなく、ただ見つめ合うだけの二人・・・。


ツクツクボウシの鳴き声が突然止まった。一瞬にして静けさが漂う。車、自転車、人さえも通らない。静寂の中に二人はいる。

世界中で二人だけになってしまったんじゃないかと由菜は不安さえ感じていた。辰弥の目が絡み付いて離れない。由菜はその視線から逃れたいと同時にこのまま時間が止まれば良いと思っていた。

矛盾しているが、逃れたいが逃れたくない。見て欲しくないが、見て欲しい。見たくないが、見たい。そんな正反対の感情が同時に溢れて来るので、由菜の心は混乱を強いられていた。


「由菜の瞳の中に俺がいる・・・。」


辰弥が静寂を破る。嬉しそうに由菜の瞳の中を見ている。


「辰弥の瞳の中にも私がいるよ。ハハ・・なんかちょっとデブかも。」


近くで見ると辰弥の瞳が鏡のように由菜を写している。


「なんか嬉しいな。由菜の瞳の中に俺だけが写ってるのって・・・。由菜の瞳綺麗だね。色素が薄い。」


普段誰かの瞳をこんなにまじまじと見ることはない。しかも辰弥の瞳。前にも話したと思うが、美しい瞳の持ち主だ。もちろん由菜の頬は林檎のように赤く、心臓は爆破寸前だ。由菜は呼吸をする事さえもままならない。息を上手く吸えなくなって来た由菜は、


「あっ、辰弥。鼻毛でてるよ。」


苦し紛れにそう言った。辰弥は急いで両手で鼻を覆った。辰弥のあまりの動揺っぷりにいたたまれなくなり、


「うそだよ〜ん。」


と笑いながらからかう様に言う。何だよぉと言いながらもホッとしたのか由菜を見て笑い出した。さっきまでの雰囲気が嘘の様に和やかな空気が二人を包む。


「なんか由菜といると落ち着く。由菜・・・。好きだよ・・・。」


急に真剣な表情をして辰弥が告げる・・・。


『Jupiter』の歌詞を引用させて頂きました。コピー等なさいませんようにお願い致します。

この回で「ピアノの調べ」は終わります。思いっきり作者の趣味で書いてしまいました。どうもすみません。

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