その婚約破棄、禁止されてます
「ロルフ? 誰かしら。知らないわ。
知らない人と会うつもりもないし、帰ってもらって」
客人が来た、と言われたものの知らない相手と会うつもりはこれっぽっちもない。
だからこそフラミアはそう答えたし、来客を告げた家令も一応伝えただけであったので、フラミアの言葉を聞いてすぐさま招いてすらいない自称客を追い返すべく去っていった。
「いいの? これが最後になるかもしれないのに」
「構いませんわ。だって、知らない人ですもの」
「そっか。そうだね。確かに知らない人だ」
最近決まった婚約者であるラシュアの問いにもフラミアは変わらぬ態度のまま答えた。
ラシュアはそれを聞いて、まぁそうだよな、という意味合いでもって笑う。
その笑みを見て、フラミアもまた微笑んだ。
ロルフという男はかつて、フラミアの婚約者であった。
ラシュアは言ってみれば彼の後釜である。
今更彼が何を言って、何をしたところで過去を覆す事などできはしないが、それでも最後の悪足搔きを見届けてやるくらいはしてもいいのではないかな……なんて悪趣味な事を考えたものの、フラミアからすればそれすら価値のないものと判断したようだ。
まぁそうか、と即座に納得できてしまったので、ラシュアもそれ以上ロルフに会ってやらないのか、なんて言う事はなかった。
この国の貴族は少なくとも、成人前に通う事が定められている学園を卒業しなければ貴族として認められない。事情があって通えない者に関しては、各々領地で試験を受ける事が必須となっている。
試験に合格できなかった場合は貴族として相応しくないとされるので、その場合家を継ぐ事すらできなくなるが……そもそもの話マトモな教育を受けてそれらを理解していれば問題のない話であるのだ。
学園に通えない事情を持つ者に関しては限られているので、大半は領地から王都のタウンハウスへ移動し学園に通う。
マトモな教育を受けている者たちからすれば、学園生活は成人前の人脈作りの場でしかない。
その人脈作りの中には、婚約者がいない者たちが将来の伴侶となるべき相手を探していたりもするのだが……
ロルフはそこで、フラミアという婚約者がありながら別の令嬢に目移りし、乗り換えようとしたのである。
大勢の前での婚約破棄。丁度その時学園ではある恋愛を描いた劇が流行っていて、ロルフはそこから着想を得たのか真実の愛なんて言葉を使って、自らを正当化しようとしたのである。
その後、婚約はなかった事になった。
破棄ではない。
そもそも婚約していたという事実そのものが消えた。
ちらり、とフラミアは窓から屋敷の外を見る。どのみちここからではロルフの姿は見えやしないが、とっくに追い立てられてこの周辺にはいないだろう。
学園にはいくつかの決まりがある。所謂校則というやつだ。
その校則の一つに、いかなる理由があっても学園での婚約破棄を禁ずる、というものがある。
学園ではいくつか大きな行事が存在するが、その中で最も大きなものはやはり卒業式の後のパーティーだろうか。そこでやらかした場合、卒業したという事実が取り消されその時点で退学扱いになる。
ロルフはそこで卒業したという事実が取り消され、貴族として認められないとなり結果平民落ちした。
貴族は平民と結婚できない。
故に、ロルフと婚約していたフラミアであるがロルフが平民となったため、婚約は存在しないものとして扱われる事となった。
恐らく先程訪れたロルフは、フラミアに復縁でも願いにきたのだろう。もう手遅れだというのに。
だがしかし、貴族としてのロルフの事は知っていても、平民のロルフという存在をフラミアは知らない。平民と関わる機会がないのだから、フラミアには平民の知り合いがいないので。使用人たちとて、皆身分が低くとも貴族の家の出だ。下男、下女、そういった中には平民がいるかもしれないが、フラミアはそちらと関わる事がない。
学園を卒業した時点で婚約していたという事実が消えた事で、フラミアとしても少々困った事になったけれど、しかしそこで結婚相手に名乗り出たのがラシュアである。
学園でお互い存在は認識していたが、フラミアはその時まだ婚約者がいたため個人的にラシュアと関わる事も話をする事もなかったが故に、こうして今、結婚の準備をしている合間でお互いを知るために交流を重ねている。
ラシュアと一緒にいる時間は、フラミアにとって心地よいもので。
だからこそ、ラシュアとの縁が結ばれた事に関して、フラミアは少しだけロルフに感謝している。
まぁ、感謝しているからと言ってもそれを言葉にする事は決してないのだが。
学園で婚約破棄をしてはいけない、という決まりができたのがいつなのか、フラミアは詳しくはない。学園ができた当初にはなかったが、しかしその後新たにできた決まりである、という程度にしか知らない。
ただ、何に触発されたのか学園の大きめな行事などで大勢の前で婚約破棄を宣言する相手は何年かごとに現れるらしいので、その決まりができた事に関しては已む無し、といったところか。
噂ではかつて王族がやらかしただとか、悪辣な婚約者を大勢の前で断罪するために行われただとか、様々なものが流れているがそれらはあくまでも噂である。
確かに王族が学園に通っている年もある。だが、王子や王女が婚約破棄を大勢の前で演劇や見世物のようにやったという事実はない。婚約者の性格が悪いだとか、性根が人としてどうかしているとか、そういう事もあるだろう。だが婚約を自ら決めたのであればともかく、親が決めたとか王命であるだとか、そういうものであるのなら大勢の前で婚約破棄を宣言したところで、どうにかなるものではない。
恐らくは、劇や娯楽本にある内容も混じっているのではないかとフラミアは思っている。
そういったものが実際にあった出来事と混ぜられて、さも本当のようになってしまったのではないか。
勿論、そういった決まりができたと言う事は一度くらいは婚約破棄をやらかした者が出たのだろうな、とは思う。そしてそういった噂に踊らされた挙句、マトモに校則に目を通していなかった者がやらかすのだろう。
それこそロルフのように。
ロルフが乗り換えようとしていた令嬢は、決して自分からロルフに近づいたわけではない。
ロルフに婚約者がいる事を知って、距離を取ろうとしていたが婚約に関しては解決するから、という言葉を聞いて、穏便に解消するのだと思っていたらしい。
それがまさかあのように、大勢の前で大々的にやらかすなど思ってもいなかったようだ。
婚約破棄を突き付けられたあの瞬間を思い出す。
ロルフが宣言した直後、かの令嬢は何を言いだしているのかわからない……みたいに思い切り困惑していた。二人で共謀して実行したというわけではなく、どこまでもロルフの暴走であると判明したため令嬢は退学を免れたが、一歩間違えれば彼女も平民落ちするところであったのだ。
それを思うと、ロルフのやらかしは下手な自然災害より厄介なものであった。
同時に、少しの間話のタネにはなっていたようだが。だがそのタネは芽吹く事まではなかったようで、すぐに別の話題に移り変わっている。
「調べたんだけどさ、アレって最初、確かにやらかした人がいたようなんだけど。でも別に王族ではなかったみたいだし、その時は退学にこそならなかったけど家の方で厳しい処分を受けたらしいから、本当ならそこで終わるはずだったんだよね」
フラミアがぼんやりとロルフとの一件を思い返しているのがラシュアの目で見てわかりやすかったのか、ラシュアはそんな風に語りだした。
「最初はそれでおさまった。それで終わるはずだったけど、まぁほら、中には夢見がちな者もいるからね。
不貞の言い訳を綺麗な言葉で装飾して誤魔化そうとした者や、相手のプライドをへし折って従属させようと目論んだ者、なんて実に様々。
けれどもそういったものを毎回学園の大きな行事の時にやらかされたらさ、困るのが学園だ。
生徒たちは卒業してしまえば当時の思い出で済むけれど、学園に長い事勤めている教師たちからすればまたかの一言に尽きるからね。
特に多かったのが卒業式後のパーティーだ。成人した後、醜聞を直前でやらかしていた相手と縁を繋ごうなんて思うマトモな家はない。家にとってもそんな事をしでかした相手を跡継ぎにしたくはないし、だがしかしやらかした相手は卒業したのだから問題ないと言い張る。
お家騒動に発展したところもあったみたいで、最終的に王家から学園での婚約破棄はいかなる理由であっても禁止するように、と言われたみたいだよ」
「そこまで調べたのですか?」
「実際やらかした王族なんていないのに、学園での婚約破棄を最初にやったのが王族だとか、そういう噂が出た事で王家も迷惑したみたいだからね。しかも王族がやったなら、自分たちがやってもいいだろう、なんて思う者が現れると、その後身分を剥奪された後、王家は許されてるのにとか見当違いな事を言うようなのも出る始末らしくて。
噂を鵜呑みにして暴走するようなのを貴族として認めたところで、それがその先問題を起こさないなんてあるわけないだろう?
関わってもいい事はないと周囲は距離を取るし、そうなれば貴族社会で孤立した家がマトモに成り立っていけるか、無理なのはわかりきっている。その家が自棄を起こして更なる問題を起こす可能性の方が高いなら、いっそそんな事をするような奴は卒業式直後だろうとなんだろうと学園でやらかした時点で何もかもを取り消す、とした方が……って考えに至ったみたい」
「家ごとでの対応に任せた場合、差が出るというのもあるからかしら?」
「それもある。マトモな家ならきちんとした処分を下すだろうけれど、たまにいるからね。我が子可愛さに目を曇らせて、やらかした事に対しての罰をきちんと与えないなんてところも。そういうのがやっぱり貴族のままのさばったら後々迷惑を被るのは周囲だ」
「それもそうですわね。
婚約を破棄なり解消なりどうしてもしたいのなら、そもそも当事者同士での話し合いで済むことを無関係の大衆を巻き込んでまでやる必要なんて、どこにもありませんもの」
実際にフラミアはそれをやられた側になるけれど、あの時別に婚約者に見捨てられたことが瑕疵となる、とかそんな事を考えたりはしなかった。
わざわざ自分から平民落ちする選択をした婚約者だった男を、愚かな人とは思ったけれどただそれだけだ。
一応それまでは多少の情は持ち合わせていたけれど、やらかした時点でその情すら綺麗さっぱりなくなったと言ってもいい。
フラミアは普段平民と関わる事がほとんどないとはいえ、平民であるというだけですべてがどうでもいいと思う程ではない。
学園の長期休みの期間に領地へ戻った時、前日降った雨のせいでぬかるんでいた道のせいで馬車の車輪が轍にはまったかして身動きが取れない状態になった時、近くの畑で作業をしていた領民たちが集まって助けてくれた事もある。
そういった相手に対してまでどうでもいいとは思うはずもない。その時の事はきちんと父に報告して、その時の彼らには後日きちんと礼をしている。
それとは逆に失礼な事をしてくるような者であったなら、相応の対処をする事もある。
そういった事を踏まえて考えると、ロルフとの縁は彼が平民になった時点で簡単に消えてなくなってしまう程度のものだった、という事にしかならない。
周囲としてはあんなのが婚約者だったなんて大変ね、という風に見る事はあっても、それだってすぐに話題にもならなくなった。貴重な体験をした、という点でさらっとネタにされる事はあってもそれがフラミアの瑕疵にはなっていない。
何故って、貴族学園に通っていたロルフという令息の存在はなかった事になったのだから。
皆分かった上でネタにしているだけだ。フラミアに関しては、むしろ貴重な体験をしたわね、なんて言われる事だってある。何故って、あの婚約破棄はフラミアに何の非もなかったから。
大変なのはむしろロルフの家の方だろう。
家の跡取りにするはずだった男が平民落ちを選択したのだ。本人が確固たる意志で決めたのならまだしも、よりにもよって学園の決まりにマトモに目を通していなかったという落ち度から。
教育、時間、金銭。彼にかけていたすべてが無駄になったのだから、ご愁傷様としか言いようがない。
平民になった以上、ロルフの生家は彼を今までと同じ待遇で、などというわけにもいかず、むしろ平民を屋敷の中で住まわせるつもりはないとして追い出した。
一応最低限の荷物は餞別として渡したらしい、と噂で聞いてはいるけれど、フラミアからすればどうでもいい話だ。
家を追い出された後で、今更のように自分の未来がお先真っ暗だと悟って復縁を願ってここに来た、と言う点では迷惑をかけられるところだったが、それだってつい先程報告は聞いたけれど会うつもりもないのでそう意思表示をすれば、この家の使用人たちはそれに従うだけ。
彼が来た、という報告を受けてから既にそこそこの時間は経ったので、もう屋敷の周辺にはいないだろう。しつこくうろつくようであるのなら、それこそ無事では済まない。既に彼は平民なのだから。
「それこそ、劇とかお話の中だと大勢の前での婚約破棄を突き付ける、なんていうのは確かに盛り上がる場面なのかもしれないけれど。
現実でそんな事、そうあるわけがないのよね」
「本当に。創作と現実の区別もつかないとか、どうかしている」
既にロルフの姿が見えるはずもないのだが、何となくフラミアはまた窓の外へ目を向けて呟く。
そしてラシュアもまた、同じように窓の外に視線を向けた。
そこから見える光景に、ロルフを思い出せるようなものは何もない。
ただ、美しい花々が咲き誇る庭が見えるだけだった。
学校なら校則で合ってるけど学園なら園則か? って思ったものの言葉の響き的に校則を使用しております。えんそく、って言われたら遠足イメージのが強くて(´・ω・`)
学園の規則、って表現の方がよかったのかな……? そこら辺脳内補正でなんとかお願いします。
次回短編予告
婚約破棄を告げられた後、聖女は死んだ。
次回 解釈違いとなりましたので
なお婚約破棄を告げられたのは聖女ではない令嬢である。




