第40章 卒業パーティー
卒業式が終わり、卒業パーティーが始まるまで二時間ほど間が開くので、来賓達は講堂のテーブルに用意された軽食を口にしながら、会話を楽しんでいた。
その話題の中心は当然王太子のことだった。皆が王太子を絶賛した。
それに卒業生には側近候補のオークウット公爵令息やベンティガ伯爵令息を含め優秀な者が多く、これから我が国も安泰だと喜んだ。
しかしそれを聞いていたオークウット公爵は、心の中でフンと鼻を鳴らしていた。
『確かに息子のディズベルは王太子と比べると多少は劣るかもしれないが、優れた妻の支えがあれば将来の国王になるのになんの問題もない。
現国王を見ればわかるではないか。あんな腑抜けで能無しでも、王妃のような才媛を妻にできれば政には問題がない、と証明されたも同然なのだからな。
ディズベルがホーズボルト辺境伯のアスティリア令嬢と結婚すれば、ガースン=ホーズボルト辺境伯が後ろ盾になってくれるだろう。
そして彼女はエリスティア夫人にしっかり躾けられた立派な淑女だ。
しかも彼女は成績も入学以来ずっとトップという才媛なのだから、ディズベルを立派に支えてくれるだろう。
それに比べると王太子には未だに婚約者の候補さえ上がっていない。そりゃあそうだろう。
選り好みをしてさっさと決めないでいたから、釣り合うご令嬢には既に皆婚約者がいるからな』
三年前にアスティリアと息子ディズベルの婚約を結ぼうとして断られた時には、オークウット公爵は酷く焦って息子を罵った。
しかしその後、息子はかなり反省して、今ではアスティリア嬢と再び良い関係になっていると聞いて、ホッと胸を撫で下ろしていた。
ホーズボルト辺境伯との姻戚関係を結べれば、我がオークウット公爵家の軍事力は国王軍を上回る。
わざわざ軍事クーデターなどを起こさなくても、あの能無し国王を少し脅せば、さっさと私に王位を譲って引退するだろう、とオークウット公爵はほくそ笑んだ。
そしてそんなことを考えていうちに、講堂の中の準備が整ったという合図のラッパの音が響いた。
閉じられていた講堂の扉が開いて、制服からフォーマルウェアに着替えた卒業生達がパートナーと共に次々に中に入ってきた。
するとオークウット公爵は、入場してきた息子を見て仰天した。
何故ならディズベルはアスティリアとではなく、妻の姪の侯爵令嬢と共に入場してきたからだ。
オークウット公爵は思わず息子の名を呼んだが、その声は突然沸き起こった、ウワーッという大きなざわめきとも悲鳴とも呼べない雑音によって、完全に打ち消されてしまった。
そしてオークウット公爵自身も、茫然自失して棒立ちになった。
彼の目の前に、信じられないカップルが微笑み合いながら入場してきたからだ。
「ねぇ、王太子殿下がお連れしているご令嬢は誰なの? 王家の方ではないですよね。
それにしてもなんておきれいなご令嬢なのでしょう」
「見て見て! ドレスにネックレスに髪飾り、あのご令嬢は王太子殿下のお色に染まっているわ」
「ということは、あの方が殿下の婚約者になられる、ということなのかしら?
殿下にお付き合いしている方がいるだなんて、これまで聞いたことがありませんが」
『彼女が殿下の婚約者だと?
そんなことあるわけがないじゃないか!
彼女はホーズボルト辺境伯のご令嬢のアスティリア嬢だぞ。
王家を目の敵にしている家の娘だ。そんな二人が結ばれるわけがないじゃないか!
それに第一彼女は息子のディズベルと結婚するのだからな!』
オークウット公爵は心の中でこう叫んでいたが、息子が別の女性をエスコートしていることを思い出してハッとした。
「おかしい、こんなことはおかしい。一体どうなっているんだ」
彼はこう呟いたが、その声は誰の耳にも届かなかった。
やがて卒業パーティーが始まり、音楽が流れ出すと、卒業生達はそれぞれパートナーと踊り始めた。
オークウット公爵家の令息ディズベルは従妹の侯爵令嬢と、ベンティガ伯爵家の令息オースティンはディズベルの妹のマリエル嬢と、そしてブリトリアン王太子はホーズボルト辺境伯家のアスティリア嬢と。
この三組は二曲続けて同じと相手と踊ったが、三曲目ではディズベルとオースティンはパートナーを変えた。
しかし、ブリトリアンはアスティリアと踊り続けた。
三曲以上同じ相手と踊るということは、二人が親密な関係であることを示す。
単なる友人知人親類ではなく、恋人や婚約者や夫婦である証明なのだ。
そう。王太子は、今踊っているパートナーが殿下にとっての特別な相手であることを、自ら表明したということなのだ。
この国の若い女性の人気の的である眉目秀麗な王太子は、これまで一度も特定の女性を作ったことがなかった。
それなのにこの卒業パーティーに一人のご令嬢を伴って現れ、息の合ったダンスを三曲も披露したのだ。
これは王太子には既に決まった相手がいるのだのわざと見せしめているに他ならなかった。
そして学生達が三曲ダンスを踊り終えた後は、一旦来賓や父兄達と交代だ。
その多くのカップルの中でも、国王夫妻と宰相夫妻の踊りは、その場にいた者達の目を釘付けにした。
この二つのカップルは誰よりも美しく上品だったからだ。
ところが二曲目に入って新たに踊り出したカップルの姿に、やがて皆が見惚れた。
今まで社交場では見たことがなかったカップルだったが、とにかく華やかで目立っていた。
もちろん踊りが飛び抜けて上手だったこともあるが、二人の動きはまるで芝居の舞台の上のヒーローとヒロインのように大きかったのだ。
男性は王都ではあまり見かないくらい、大柄で引き締まった体躯をしていた。しかしその顔立ちは体とは正反対の、優しくて美しい顔立ちをしていた。
そして女性の方も金髪碧眼の飛び抜けた美人で、その上メリハリのある素晴らしいスタイルでありながら、どこか気品を漂わせるご婦人だった。
やがて父兄のうちの誰かがこう言った。彼はガースン=ホーズボルト辺境伯だと。
そして、彼女はエリスティア=ホーズボルト辺境伯夫人、つまり悲劇の侯爵令嬢だと。
講堂のざわめきは一層大きくなった。
独身者と違って夫婦として踊るのは二曲まで。その後は交友を広めるために別の相手と踊る場合が多い。
やがてその二曲が終わり、国王夫妻が次に一体誰と踊るのかと皆が注目していた。
すると、なんと国王は少し離れた場所にいたホーズボルト辺境伯夫妻の所へ向かうと、二人に軽く頭を下げてから、夫人の方に右手を差し出した。
それを目撃した人々はその様子を固唾を呑んで凝視していたが、ホーズボルト辺境伯夫人は躊躇う仕草も見せずに、国王の手の上に自らの手を乗せた。
それを見た人々は驚嘆の声をあげた。
浮気をした挙げ句に冤罪で婚約破棄をして、王都から追い払った鬼畜のような元婚約者。
その彼からの招待をことごとく拒絶して、その後王都に足を踏み入れることのなかった元侯爵令嬢。
その彼女が十九年振りに王都に帰ってきた。しかも何故か学園の卒業パーティーに夫と共に現れた。
そして戸惑うこともなく憎いはずの男の手を取って、踊り出したのだ。
しかもその二人の踊りはそれぞれのパートナーの時と寸分違わず素晴らしいものだった。
昔取った杵柄、八年も一緒にダンスを習った仲だったのだから。
国王は何度か彼女に話し掛け、その度に彼女も頷き、何か答えていた。さすがに夫ガースン=ホーズボルト辺境伯と踊る王妃のような晴れやかな笑みはなかったが、それでも自然の笑みは浮かべていた。
王家とエリスティア=ホーズボルト辺境伯夫人が雪融けか……
国防の要のホーズボルト辺境伯家と王家の不仲は、国にとっても大きな不安要素だった。それが今、解消されつつあることを目の当たりにして、その場にいた人々は歓喜したのだった。
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