第33章 素直な想い
アスティリアは本人も気が付かないまま涙を流していた。
ブリトリアンが彼女の涙を見るのはこれが初めてだった。
しかしこれまでも自分はおそらく何度もこうして彼女を泣かせてきたであろう。その自覚のあるブリトリアンは堪えきれなくなって、我を忘れてアスティリアを抱き締めた。
これまでダンスの練習の際に手を握り、軽くその背に手を触れたことはあったが、それ以上の接触はできるだけ避けてきた。それなのに。
自分の方が二つ年上だったが、初めて会った時からアスティリアはやたら大人びていて、面倒見が良い姉御肌だったので、彼女が年下であることをつい忘れがちになっていた。
しかしこうして抱き締めてみると、アスティリアはなんて小さくて壊れそうなのだろう。小刻みに震える彼女が愛おしくて、切なくて堪らなかった。
しかし、最初は理由がわからなくなってブリトリアンに抱き締められていたアスティリアだったが、やがて我に返ってブリトリアンから離れようとした。
ところが、がっちりと背中に回された腕にホールドされて身動きができなかった。
「アスティリア、貴女を愛している。もう、自分の心を誤魔化せない」
「ブリトリアン様、何を?」
「両親の罪は両親が償うもので、僕が償うものではないと貴女は言ったよね?
何でも自分だけで溜め込まないで、もっと人に頼ったり甘えたりするべきだとも。
それなら僕は自分の思いをもうこれ以上我慢したくない。いやできない。
いくら国王の義務だとはいえ、義務だけで妻を娶り、子を成すことはできない。
貴女と結ばれなくても貴女の側にいて、貴女を見つめていたい。
貴女の女性としての幸せを踏みにじる最低男だとわかっていても、その思いを諦めたくない」
ブリトリアンはアスティリアを抱き締めながらこう告げた。そして彼女の体を少し離してから自虐的にこう言った。
「ふっ、やっぱり血は争えないな。父親と同じだ。好きな女性を不幸にしようとするなんて」
しかしアスティリアはブリトリアンの胸に顔を押し付けて擦るように頭を振った。
「ブリトリアン様は陛下とは違います。陛下は母に意地悪ばかりして、一度も正直に自分の思いを口にしなかったし、態度にも表さなかったのですもの。
それに比べてブリトリアン様はいつも優しくしてくれたわ。贈り物一つとっても、貴方の気持ちが伝わってきましたもの。
私が一方的な片想いのままでお側にいるのなら辛いかも知れませんが、殿下も私が側にいることを望んでくれるのならば、私は幸せです。不幸なんかではありません」
ブリトリアンはアスティリアの両肩に手を当てて少し彼女の体を引き離すと、真意を探ろうと彼女の瞳を見つめた。
するとその瞳からは相変わらず涙が溢れてはいたが、先ほどとは違う涙だということは一目で分かった。
「アスティリア、初めて王宮で出逢った時からずっと愛している。その気持ちは変わらない。今までもこれからも。だからずっと側にいて欲しい。
貴女以外を妻にも恋人にもしないと誓うよ。契約魔法を使ってでも」
「私もブリトリアン様と同じです。貴方と初めて逢った時から好きでした。
貴方に辺境地へ帰れと言われるまでお側にいさせてもらいます」
「死んだって帰れなんて言わないよ」
嬉しそうに微笑みながら、ブリトリアンは両手でアスティリアの両頬をふわりと包むと、彼女のおでこに優しくキスを落としたのだった。
そんな二人の姿を、側近候補の二年生の生徒会役員マイン=コールウェイト伯爵令息が、気配を消して廊下からそっと見守っていた。
そしてやがてその場から静かに離れた。先輩達を探すために。
✽✽✽
その頃、ディズベルとオースティンは生徒会執行部を出て、王家とホーズボルト辺境伯家とフォーリナー侯爵家の関係について調べ始めていた。
まず王立図書館へ出向いて貴族名鑑で調べた後で、王太子と侯爵令嬢の婚約破棄の話を題材にしたという書籍を探した。
この国で出版された本の原本は、必ずそこに納められるからだ。
そしてようやく二人はそれらしき本を見つけ出したのだが、その本は禁書コーナーに置かれてあったので手に取ることができなかった。
リアルに起きたことを題材にして書かれたの本なのかどうか、それもハッキリしていないのに、その本を禁書にするなんて怪し過ぎる。
王家にとって都合の悪いことや知られたくない内容が書かれてあると言っているようなものだろう。つまりそれは事実に近いものなのではないか。
そもそもこの醜聞が、噂好きの貴族達に伝承されていないなんておかしいと二人は思った。
いくら二十年近くも経っているとは言え、こんな大きなロイヤルスキャンダルが人々の口の端に上らないなんて。
そこで彼らは年配の噂好きな女性から少しでも話を聞き出そうと、王都でも評判の有名菓子店のケーキを手土産として準備した。
そしてまずはオースティンが彼の大叔母の元に出かけた。先触れもなしに。
すると珍しい若者の訪問に喜んだ彼女から、極秘の話だから、絶対に他所では話しては駄目よと、何度も念を押された後で話を聞かせてもらうことができた。
その内容はアスティリアから聞いたものと大差なかった。当時の王太子のした仕打ちはかなり酷く、皆がフォーリナー侯爵令嬢に同情したという。
そして辺境伯の元へ嫁いだと知った時にはホッとしたが、その後もずっと夫婦揃って王都の社交場に現れなかったことで、彼女の王家に対する恨みは相当大きいのだろうと、誰しもが思っているらしい。
ただし彼女が許していないのは元婚約者だけでなく、彼女の冤罪の手伝いをした側近や、彼女を信じなかった友人達、そして彼女を追い出した実家のフォーリナー侯爵家の面々だろうとも皆思っていたという。
彼女は孤立無援状態で王都を追い払われたのだから、さぞかし辛く悲しい思いをしたことでしょう、とオースティンの大叔母は言った。
その次にディズベルがオークウット公爵家のメイド長から無理矢理に聞き出した。しかし彼女の話もオースティンの大叔母から聞いた話と大差なかった。
つまり二十年、いや正確には十八年前に起きた王太子と侯爵令嬢の婚約破棄騒動に関する情報は、当時の貴族と庶民の間に大差なかったとういうことだ。
それほど当時、王太子の侯爵令嬢への仕打ちは酷かったのだろう。
そこで王家の力、いや神殿や誓約魔法などを使って、話題にすることを禁止したのだろう。
まあ、そこまでされたのは事件の詳細を知る一部の者達だったのだろうが、それでも当時の王家の徹底ぶりは、想像を絶するものだったに違いない。
なにしろ、当時の人気作家と脚本家が突然死をしたというのだから。
現国王と辺境伯夫人の経緯を知った二人は、本人達が言っている通り、ブリトリアンとアスティリアの婚約はさすがに無理だなと納得しかけた。
しかし、夜になって彼らを探し回っていた、騎士団長のコールウェイト伯爵の令息のマインから話を聞くと、二人はすぐさまその考えを撤回した。
何故なら、本当に愛し合っているブリトリアンとアスティリアが、報われない愛に殉じようとしている、ということを後輩から知らされたからだった。
彼ら三人はブリトリアンに一生ついて行こうと決めていた。彼に自分の身を捧げようと。
であれば、主の幸せこそが自分の幸せ。諦めるのはやれるだけのことをやってからだと決心したのだった。
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