第26章 辺境地の思い出
(ブリトリアン王太子視点)
あまりにも僕が震え慄いたので、アスティリアは機嫌を悪くした。そりゃあそうだろう。自分の父親を見て異常なまでに怯えられたら。
初っ端から彼女を怒らせてしまい、僕は落ち込んだ。初めて会った時から僕の印象は最悪だっただろう。それなのにさらに悪くしてしまうなんて。僕は自分の不甲斐なさに、泣きそうになった。
僕はあの日アスティリアに恋をした。自分の出生の秘密を知って、その恋が実を結ばないと分かっても、彼女を好きだという気持ちは抑えられなかった。
だから、遊びに来ないかと誘われた時、僕は舞い上がってしまったのだ。それなのに。
しかし、僕が彼女を怒らせたと思ったのは勘違いだった。アスティリアは僕ではなく彼女の父親である辺境伯を怒ったのだ。
「お父様、王太子殿下がいらっしゃることがわかっていたのに、何故きちんと身繕いもせずに居間に入ってきたのですか。
せっかく殿下に私の自慢のお父様をご紹介したかったのに、よりによってこんなにむさ苦しい身なりで現れるなんて!
殿下が怯えておられるじゃないですか!」
「仕方ないではないか。この一週間、山の中で泊まり込みの新人教育をしていたのだから」
「わかっていますよ! そんなことは。ですから、まずは湯船に浸かって汚れを落とし、お髭を剃っていらっしゃって下されば良かったと申しているのです」
「いやあ、いち早くご挨拶をしなければいけないと思ったのだよ。怖がらせるつもりなんてなかった」
辺境伯閣下は娘の迫力に押されてしどろもどろになって、慌てて部屋を出て行った。
そしてその後で現れた閣下は、アスティリアが言っていた通り、父とは違うタイプの美丈夫で、その格好良さに、夫人が一目惚れしたというのも当然だなと納得した。
そして、それと同時に僕は、自分がアスティリアの好きなタイプの男ではないということを改めて思い知らされたのだった。
しかし、僕はどうしてもアスティリアを諦めたくなかった。顔は変えられないけれど、きっと体付きは変えられると思った。そして性格も。
僕は数日間辺境騎士団の訓練の様子を見学させてもらった後で、自分もその訓練に参加させて欲しいと願い出た。
これまでの僕だったら、相手が困るような願い事などは決してしなかった。
しかし、今回はたとえ断られてもどうしても引き下がらないと思った。僕は弱い自分をどうしても変えたかったのだ。
最初は僕に怪我でもさせたら家族にまで迷惑をかけることになるから、と渋っていた閣下だが、王妃である母上からの手紙が届いたことで、僕は訓練に参加させてもらえることになった。
なんと辺境伯夫人と母上は学園時代からの親友で、今でも手紙のやり取りをしているのだという。そうか。だからアスティリアからの手紙が届いたのか。
エリスティア夫人は夫である辺境伯にこう言った。
「命さえ無事であれば、多少の怪我には目を瞑るから、あの子を厳しく鍛えて欲しいと王妃殿下から依頼されたわ。
だから王家のことは気にしないで大丈夫よ。正式な契約書も送られてきたことだしね」
言い換えれば、問答無用で僕を鍛えて欲しいと母上が辺境伯家に依頼したということだよね。
まあ、父上のような軟弱な王にはなりたくないから体を鍛えたいと思ってはいるけれど。
そして最初の訓練に参加した時、アスティリアを含む自分より歳下の子達にあっさり負け続けて、悔しくて泣いた。
「初めての訓練だから凄く辛かったでしょう。よく頑張りましたね」
とアスティリアや、参加している少年達に慰められた。しかし僕が泣いたのは訓練が辛かったからでも、まして年下の子に負けたからでもない。
彼らが普段から厳しい訓練をしているであろうことは想像ができたから、勝てなくても仕方ないと理解していたからだ。
泣いた訳は自分があまりにも不甲斐なかったからだ。
これでも五歳の時から毎日のように指南役から訓練を受けてきたのだ。そして筋がいいと褒められてその気になっていた。
それなのに、それがただの口先だけのお為ごかしだったことに初めて気が付いて、それが悔しくて惨めで情けなかったのだ。
アスティリアは僕が周りから守られてきたのだろうと言ったが、それは違う。
彼らは契約魔法を結ばされていたから、酷いことを言えなかっただけなのだ。
これまでの優しい言葉も褒め言葉も、彼らは義務で言っていただけで、心からのものではなかったのだ。
この数日辺境騎士団の訓練を見ていればわかる。閣下を始めとして上官が部下に厳しい訓練を命じ、きつい言葉を投げかけるのは、部下達の身の安全のためだと。
城の者達が僕に甘かったのは、僕のことなんてなんとも思っていないから。僕を父上のような傀儡にしたがっているからだって。
母上はそんな者達にたった一人で立ち向かっている。表面的には穏やかでたおやかに振る舞いながら。
そして僕が父上のようにならないように、閣下に預けたのだろう。と、その時はそう思っていた。
しかし、大分後になって最初にこの話を持ち出したのがアスティリアの方だったと知って、僕は感激して泣きそうになったのだった。
まあ、それはともかく、みっともなく泣いた後で僕はこう宣言した。
「今の僕はまるで赤子のように自分では何もできない情けない奴です。しかし、毎日訓練して、絶対にここで一番強い人間になってみせます。どんなに時間がかかったとしても」
って。
すると閣下や辺境騎士団のみんなはこう言ってくれたのだ。
「必ず一番になるのだと心に誓い、毎日の訓練を欠かさなければいつかそれは叶うだろ」
たとえ僕が騎士団の中で一番強くなれたとしても、僕がアスティリアの恋人になれる可能性はないだろう。
いくらエリスティア夫人が僕に優しく接してくれていたとしても、僕を娘の伴侶にはしたくないだろう。
僕は、侯爵家の令嬢で王太子の婚約者で、将来王妃となってこの国を支えるはずだった彼女の未来を壊した元凶の息子なのだから。
懐の深い辺境伯夫妻は、アスティリアと僕が友人になることを許してくれていた。
しかしそれ以上を望んではいけない。だけど、僕がアスティリアを心の中で思うことだけは許して欲しいと思った。
それからというもの、僕は年に数回辺境の地に長期滞在をしては、アスティリアや彼女の二人の弟達と共に鍛錬や勉強をした。そしてたまにアスティリアや彼女の仲間であるギフトチルドレン達と共に、市井に出かけて行って様々な社会体験もした。
もちろん僕の容姿は目立つのでカツラを被り、色付きの眼鏡をかけて。
粗野で荒くれ者達の多い辺境の地でのこの体験が、繊細過ぎると言われてきた僕をかなり逞しくしてくれたと思う。社会の裏や闇も見ることができたし。
そのせいで僕が王都に戻るたびに、女官や文官達が戸惑うようになっていた。
そして一年も経つと、彼らが僕に怯えるようになっていた。その理由は僕が頻繁に使用人の変更を侍従長に依頼するようになったからだろう。
「今までの騎士の方々には申し訳ないのですが、もっと厳しい方がいいので、ノーマン=ベンティガ伯爵令息に誰か良い方を推薦してもらって下さい」
「今の教師の方々からでは書物に書いてあることしか教えてもらえないので、物足りなさを感じます。
生きた学問を学びたいので、実験や体験学習をして下さる先生を見つけて下さい」
「あと、無駄に女官が多いようなので、人手不足の部署へ適材適所で移動させて下さい。ああ、クビにするわけでも左遷でもないですよ。だから誤解しないで下さいね」
あくまでも丁寧にお願いをした。決して高圧的にはならずに以前と変わらないように。それでも何故か侍従長や侍女長は、僕がお願いする度にびくつくようになった。
最初は陛下に伺ってからと言っていたのに、近頃では即願い事をきいてもらえるようになった。
何故かな?
父上と剣の立ち合いをして、軽く打ちのめしたせいなのか、父と帝王学について議論を交わしている時に論破してしまったせいなのだろうか。
僕のことを父親と同じく扱い易い人間だと見下していたであろう家臣達は、次第に僕への見方を変えていった。
そして僕がノーマン=ベンティガ伯爵令息を一番信頼していると示したことで、母上やノーマン=ベンティガ伯爵令息の意見が王城でも通るようになって、仕事が捗るようになったと二人からも感謝されるようになった。
しかし、僕が辺境伯の元に定期的に通えるのも、そもそもお二方のおかげなので、そのお礼のつもりなんだけどね。
読んで下さってありがとうございました!




