第25章 差し伸べられた手
(ブリトリアン王太子視点)
二年ぶりに逢ったアスティリアは、益々綺麗に可愛くなっていた。
そして相変わらず訓練も欠かさないのだろう。スッと姿勢がよく引き締まった体型をしていて、男の自分が見惚れるほど格好が良かった。
そしてさすが才媛と名高かったエリスティア夫人の娘だ。トップの成績で入学して、新入生代表挨拶をして皆の注目を浴びていた。
これまで自分は同年代の中ではアスティリアの一番近くにいたはずだ。もちろん身内やギフト仲間を除いてだが。たとえ彼女には恋愛感情がなかったとしても、僕のことは特別な友人だと思ってくれていると信じている。
僕にとって彼女は唯一の女性であり、大切な存在だった。しかし、彼女がこうして多くの人々の目に触れるようになったことで、自分が彼女の特別ではなくなりそうで怖くなった。
アスティリアに気安く声をかけられないという僕の立場は、ディズベル=オークウット公爵令息と同じだ。僕と彼女は婚約者でもなんでもないのだから。
それに僕が話しかけたら彼女は益々周りから注目されて、人々から羨望されるだけではなく、妬みや嫉妬や虐めに遭う可能性が高い。
だから僕達は友人だということさえ秘匿しなければならないのだ。
そもそもホーズボルト辺境伯夫人からは、顔見知りだとは悟られないようにお願いしますと懇願(命令)されている。
彼女は父上の婚約者だった当時、散々それで苦労して嫌な思いをしてきたからだ。
しかも彼女の苦労は結局全て徒労に終わってしまった。父上が僕の産みの母と浮気をして、彼女に婚約破棄を突き付けたからだ。
本来僕は彼女の娘に近付く権利などないのだ。
それなのにかつての僕は父に言いくるめられて、愚かにもアスティリアに婚約の申込みをしてしまった。
そしてそこで僕は、彼女から真実を突きつけられて断られた。僕は恥ずかしさと惨めと悲しさがゴチャ混ぜになったような最低な気分になった。
あの時の彼女には僕を徹底的に打ちのめして、再起不能にする権利があったのだ。自分の母親のために。
しかし、結局アスティリアはその権利を途中で放棄して、それを行使することはなかった。しかも彼女は僕にこう言った。
『殿下が両親の代わりに罪を償う必要はありませんよ。
そもそも罪を償えるのは、その罪を犯した本人だけですからね。それに本人が必要ないと言っています。いいえ、むしろ却って迷惑だと明言していますわ。
それで私が思うに、殿下がこれからなすべきことは、過去を正しく知り、それを未来に活かすことではないでしょうか』
と。
貴方は何も悪くないと、彼女は何度もそう言ってくれた。
それでも自分を産んだ人がホーズボルト辺境伯夫人や僕の両親、父上の側近やその婚約者達にしたことを考えると、申し訳なく思えて居た堪れなかった。
そして自分の存在が汚く思えて仕方なかった。
父上から全てを聞いた僕は部屋に引きこもった。しかし王妃である母上に強引に引っ張り出されて強く抱き締められた。
そのことで僕は彼女に愛されていることを実感して、どうにかどん底から浮上した。
とはいえ、自分がこれからどうすればいいのかわからず途方に暮れていた時、思いがけずにアスティリアからの手紙を受け取ったのだ。
『この間は初対面にもかかわらず酷いことを申し上げて大変失礼しました。
あの時は貴方が真面目過ぎるという理由で婚約をお断りしましたが、それは別に貴方が嫌いというわけではありません。
むしろ友人としてなら、真面目で正直で優しい貴方は最高です。
図々しいお願いですが、もし許して頂けるのでしたら、是非私とお友達になって下さい。
そして、是非こちらに遊びにいらっしゃいませんか? 気分転換になるのではないでしょうか。
王太子殿下の身の安全は、この国一の騎士団である辺境騎士団がお守りいたしますので、ご心配せずに是非いらして下さい。両親と共に殿下の来訪を心よりお待ちしております』
信じられなかった。辺境伯一家にとって僕は疎ましい存在のはずなのに。
しかし、全てを知ってしまった僕は王宮にいることが息苦しくて堪らなかった。みんな僕の生い立ちを知っているくせに、誰もそれを顔や態度や言葉に表さない。
それは宮廷官僚として、使用人として素晴らしいことなのだろう。
以前の僕なら単純にそう思って感謝したことだろう。
しかし今では彼らのもう一つの顔もそこに隠れ見えてしまう。
みんなは王家と魔法契約を結ばされている。王家の恥となることは一切外へ、他人へ漏らさないと。
それを破ると恐ろしい罰が下るという。だから、僕の前でも何も語らなかったのだ。たとえ心の中で僕を蔑んでいたとしても。
王家は必死に父の失敗と僕の出生の真実を、僕に隠そうと躍起になっていたのだろう。
それなのにそもそもの張本人が、その真実を語ることができる辺境伯夫人を、必死に王宮に呼び寄せようとしていたのだから笑える。
アスティリアが僕に真実を告げられたのは、当時彼女はまだ生まれていなかったので、そんな契約を結んでいなかったから。
そして彼女に真実を語った母親のホーズボルト辺境伯夫人も。何故なら彼女は父から婚約破棄されたその日のうちに侯爵家を廃籍されて、王都から出奔していたからだ。
父はただ自分の罪悪感を減らしたいという勝手な思い込みで、相手の気持ちなど一切慮ることなく彼女達を強引に呼び寄せたのだ。エリスティア夫人なら秘密を守ってくれると勝手に信じていたらしい。なんておめでたいのだろう。
そしてそうとは知らないで操り人形のように踊らされていた僕。
でもあの時アスティリアは言った。罪を償うのは陛下であって、貴方じゃない。貴方がやるべきことは、これからどうするか、何をやるかを考えることでしょ?と。
そう、僕は変わりたい。変わるための行動を起こしたいと思った。でもここにいたのでは何もできないしずっと変われない。だから、母に頼んだのだ。辺境伯の下に行きたいと。
すると母はすぐに賛成してくれた。そして、
「辺境伯に虐められる!」
と言って猛反対する父を説得してくれた。そのおかげで僕は、ホーズボルト辺境伯を訪問する許可を得たのだった。そして僕は生まれて初めて城を出て、大きな期待と不安を抱いて辺境の地に向かったのだった。
自分は父親に似ているとアスティリアは言っていたが、初めて辺境伯閣下と面した時、どこが似ているんだ!と僕は心の中で叫んだ。
彼は王城では目にしたことがないくらい大きくて逞しい体躯をした人物で、あまりにも高い位置から見下ろされた僕は思わず後退りした。
それに、顔全体が焦げ茶色の髪と髭で覆われていて、まさしく熊のようだと僕は思った。熊男の噂は嘘ではなったと。
確かに、髪だけでなくその瞳もアスティリア嬢と同じ色だったが、眼光があまりにも鋭くて、僕はその視線だけで射殺されると思ったのだった。
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