第15章 父親の決心
(アスティリア視点)
「リア、久しぶりにオークウット公爵様とディズベル様がこちらへいらっしゃるそうよ」
十四歳の誕生日を迎えて少し経った頃、お母様がこう言った。ブリトリアン王太子殿下と知り合ってから四年ほど経った頃だった。
「まあ、珍しい。今頃何の用かしら?」
「間もなくディズベル様は学園に入学するから、その前に貴女と正式に婚約したいのではないかしら?」
お母様の言葉に私は思わず顔を顰めてしまった。
四年前に王家から、ディズベル=オークウット公爵令息と私の婚約の邪魔をしないと言われた。
そのためオークウット公爵家から婚約の話を進められてしまうのではないかと、その時私は身構えた。私はディズベル様とは絶対に婚約したくなかったからだ。
ところが意外なことに、それまでしつこかったオークウット公爵家は、パッタリと婚約の話をしてこなくなった。
だからてっきりこの縁談はなくなったと私は思っていたのだ。
オークウット公爵親子はそれまでは季節ごとに遊びに来ていたのに全く来なくなった。
以前のように誕生日や女神の生誕祭のプレゼントだけは送られていたが、それも形式的な物だった。
そしてそれに添えられているカードも彼本人が書いたのものだとはとても思えなかった。
まあお父様とオークウット公爵の交流は続いていたみたいだけれど。
幼い頃のディズベル=オークウット公爵令息はまさしく小公子様って感じで、愛らしくて可愛くて、アスティリアにとっては同性の幼馴染といった感じだったのだ。
それが次第に彼は上から目線で、ものを言うようになった。確かに身分も年も上だったが。
そして婚約の話が上がった頃にはこんなことも言われた。
「このままでは王都へ出たらはずかしい思いをするよ。君って野蛮で下品だから。
学園に入学する前までには、ちゃんとレディーになってよね。僕は恥をかきたくないからね」
当時の私は自分が下品だからって、何故ディズベル様が恥をかくのかさっぱりわからなかった。
私のことなんて知らんぷりしていればいいだけじゃないかと。迷惑だと言うのなら近づかないし、わざわざ私からは幼馴染だなんてバラさないわよ、と思った。
「乱暴な君は男に生まれてくれば良かったよね。顔も父親似だし、君って本当に可哀想だね。弟達みたいに母親に似なくてさ」
何故赤の他人のあなたにそんなこと言われなきゃいけないのよ。大きなお世話よ。それに自分の顔は自分で選べるわけじゃないのに、何馬鹿なこと言っているのよ。
私は怒りよりも呆れた。そんなに頭の悪い奴だとは思っていなかったからだ。
オークウット公爵は自分の息子と私との婚約を何度か国に申請したが、何故か国王陛下からは許可が下りなかった。
その理由は後になって、陛下がお母様と私をお父様から解放するために、ブリトリアン王太子と私を婚約させるつもりだったから、ということがわかった。
そう。元婚約者に罪滅ぼしするために。
まあ、それが誤解だとわかったので、その後は申請を却下するようなことはないと四年前に陛下は言った。
それなのに何故かその後、オークウット公爵家から婚約の話は出なくなったので、私はほっとしていたのだ。
いくら図太くて男勝りだと言われていた私だって、ディズベル様から毎回理不尽で高圧的な物言いをされて、平気なわけがなかった。悲しくて情けなくて惨めだったのだ。
本当はディズベル様に会いたくなかったし、遊びに来てもらいたくはなかった。
しかし父親の友人であり格上でもある公爵とそのご子息に、来てもらいたくないとは言い出せなかった。
辺境伯である父親と、国の騎士団長である公爵の仲がよいことは、この国のためには必要不可欠なことだったのだから。
それでも婚約だけは絶対に嫌だと思っていた。それはディズベル様が嫌いなこともあったけれど、他に思いを寄せる人がいたからだ。
それは叶わない恋だったが、それでもその思いを裏切りたくはなかったし、思い続けたかったから。
だからその後ディズベル様との婚約話は聞かなくなり、私自身とても忙しかったので、ディズベル様のことなんて思い出しもしなかったのだ。
私が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、お母様がクスクスと笑いながら言った。
「感情が素直に出ているわよ、リア。それでは、『君って野蛮で下品だから、一緒にいたらはずかしい』って、またディズベル様に言われてしまうわよ。
まあ、身内の前だから素顔を晒しただけで、それ以外では、きちんと仮面を被れるようになっていることはわかっているけれどね」
「お母様、ディズベル様のことを知っていらしたのですか?」
「あら、私があんな子供の二面性に気付かないなんて、本気で思っていたの? 心外だわ」
「知っていて私とディズベル様を婚約させようとしていたのですか?」
私はお母様にはディズベル様からのパワハラやモラハラを知られたくはなかった。元王太子の婚約者で、当時社交界一の淑女と呼ばれていたお母様の娘が下品と言われただなんて。
自分が何て言われても構わなかったが、お母様まで蔑まれたみたいでとても嫌だったのだ。
お父様のことだってそうだ。父親似だから娘の私が可愛らしくないと、人から貶されていると知れば、お父様が悲しむと思った。だから口に出せなかった。
それなのに……
「お父様は優しい方だから、友人やその息子を疑いもしていなかったけれど、私は違いますよ。私はそんな甘い環境には居ませんでしたからね。
あんな狡賢くて鼻持ちならない親子のいるところになんて、大切な貴女を嫁がせようと思うわけがないでしょ。いくら公爵夫人が良い方だったとしても。
もし、国王陛下が勘違いをされていなくても、王妃殿下がちゃんと婚約申請を却下して下さることになっていたのよ」
お母様からそう聞かされて私は目を丸くした。
「お父様にディズベル様の本性を伝えたら、貴女を溺愛しているお父様は、怒り狂って、オークウット公爵と絶交すると言い出すに決まっているでしょ? それでは防衛面で色々問題があると思って黙っていたのよ。
もちろん無理矢理に婚約を進めようとしてきたら、その時はお話しするつもりだったけれどね。
でも私が何も言わなくてもここ数年のあちらの態度に、お父様もさすがに思うところがあったみたいよ。
ディズベル様への入学祝いに、例のものを贈るのを止めて隣国製の万年筆にしたみたいだから。
君は騎士にはなれそうにもないから、これでせめて勉強くらい頑張りなさいって皮肉をこめてね」
騎士団長の息子に万年筆とは。さすがに人のいいお父様でもようやくディズベル様に見切りを付けたようだ。
そりゃあそうだろうな。人を比較するのはいけないことだけれど、同じ年で同じように高い身分の二人の少年を身近で見ていたら、やはりその差には気付くだろう。似ているのは金銀メッシュの髪の毛だけなのだなと。
そして今までは親類の子のように思って甘くみていたが、そろそろそんなことは言っていられない。
そんな高慢ちきで娘を蔑ろにする少年を、間違っても自分の娘のパートナーにはできないと決心してくれたのかもしれない。
「まあ、学園に入ってからでも必死に頑張れば、騎士にはなれるかもしれないけれど、娘の結婚相手としてはとうの昔に落第点を出しているし、いまさらやり直しはきかないわ。だから心配はいらないわよ、リア」
「それは本当ですか? でも、防衛の問題は大丈夫なのですか?」
「貴女が心配しなくても大丈夫よ。以前からノーマン様と色々と協議を進めていてね、何通りかの対策は既にできているみたいだから。
それに、正直貴女のお父様は、この国の防衛より娘の貴女のことを大切に思っているのだから気にすることはないのよ」
母親がニッコリ笑うのを見て、私はようやくホッとしたのだった。
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