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八八艦隊育成計画 第二章 皇国の行く末  〜Chapter 2 Future of Red Sun〜  作者: 扶桑かつみ
chapter5

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chapter5_06 欧州大戦の終結と新しい時代の幕開け

 主に日本政府が、アジア各地域の独立運動に火を付け油を注いで、その成果を内地から見守っている間に、欧州の事情はさらなる激変を遂げています。

 

 そして、その混乱を追い風として1942年頃には、インドシナなど、宗主国が足腰立たない国などで独立の産声や陣痛の兆候などが聞かれるようになります。

 

 (あ、そうそう日本が直接関係ない事は、ここでもバーッとかっ飛ばしていきます。)


 42年夏からは、ドイツによるソ連に対する第二次夏季攻勢が始まり、敗走するソ連赤軍を追い、ボルガ川を目指しての大侵攻が始まります。

 

 モスクワもコーカサスも失ったソ連赤軍に、もはやこれを本格的に止める戦力は残されてはおらず、かろうじて伝統の遅滞防御をしつつ、ドイツ軍自らが自然停止線に達するのを我慢強く待つしかない状態です。

 

 生産地帯の大元を占領され、人口地帯も敵占領下、しかも他の国からの支援もないソ連には、もう自らの力だけではどうしようもない状況です。

 

 一方、北アフリカ戦線も英国側の補給の停滞と反比例するようにドイツ側の補給が円滑化しており、42年の春から夏にかけてドイツ軍は補給物資の追い風を受けつつ攻勢を続け、一気にエジプト領内深くに達します。

 この劣勢を前にしては、英国が連邦中から兵力をかき集めても追いつくものではありません。

 さらに言えば、米日からの物資の買い付けも現地に届かなければ意味がありません。

 

 ただし、ドイツがソ連に対して戦力を傾けているので、欧州上空での航空撃滅戦は、42年秋まではある程度英国有利で進展します。

 また、英国の優れた技術による対潜戦闘で、ドイツのUボートの損害はかなりの損耗率を示します。

 ただし、ドイツ側もこの頃になると大量のUボートを配備するので、英国商船団の損害も非常に大きなものとなります。

 

 この戦線では、現状から見る限りどちらが先に戦争を投げ出すかと言う状態です。

 


 そして42年冬までに、ソ連は欧州ロシアの大半を失い、実質的に独ソ戦はドイツの勝利で終了します。

 大敗北により政権運営が困難になったスターリン独裁体制は実質的に崩壊し、ウラル山脈で権力を握った者と枢軸国の間で一応の停戦が行われます。

 

 その後、ソヴィエトの残存勢力はウラル山脈の東側に後退して、以後枢軸側とにらみ合いに入ります。

 そして、ドイツはウラル山脈より西の全てを支配する事になり、そして自らの戦争目的を達成する事になります。

 

 なお、ソヴィエトは辛くも生き残る事に成功します。

 これは、大敗を喫したソヴィエト連邦において、共産党勢力の減退も大きかったですが、それ以上に赤軍の消耗も大きく、政権をひっくり返すだけの余力を失っているからです。

 

 また、北アフリカ戦線でも、ドイツはスエズ運河にまで達し、英国の生命線の一つを分断する事に成功します。

 

 そして、そのままの勢いで、ドイツ軍は中東へとなだれ込みます。

 これにより、英国の生命線の一つである、中東油田を押さえ、勝利をより確実なものとするのです。

 

 ここまで来れば、ドイツの勝利は目前です。

 

 後は、戦力の過半を西欧に結集し、再度バトル・オブ・ブリテンを決行しRAFを今度こそ殲滅し、ドーバーを押し渡り戦争を決するのです。

 これを止める事ができる戦力は、空軍さえ壊滅してしまえば英国海軍だけであり、それすらもドイツ空軍の前には、決定的な効果は望めないのが現状です。

 


 そして、次の年から、体制を立て直したドイツ主導により、再びバトル・オブ・ブリテンが開始されます。

 

 この時点での双方の戦争遂行能力の差は、物資の半分近くがUボートにより沈められ中東を失ったイギリスは、中東とコーカサスの油田を手にし、欧州ロシアの資源を手にしたドイツに2倍近い格差を付けられる事になります。

 特にイギリスにとって、自勢力圏の石油の主要供給地の一つを絶たれた事は、極めて大きな損失です。

 さらに、生命線の一つであるインド航路の地中海ルートが失われた事も大きな損失となります。

 

 そして大英帝国は、実質的に自ら一人で全ての敵を倒した枢軸国側と対峙している状況になります。

 

 しかも43年夏から秋には、全ての戦力を結集したドイツ軍により、英本土上陸も行われる可能性は高くなり、それを止めることが出来るか微妙と言える状態です。

 

 ここで、英国の取るべき道は、三つです。

 カナダやオーストラリアに亡命してでも抗戦を継続するか、ここで講和をするか、米日のどちらか、ないしは両方を戦争に引きずり込むかです。

 しかし、抗戦を継続しても、連邦地域だけでは力不足な上に英国を支援してくれそうな大国はどこにもありません。

 

 第三の選択も、自由主義陣営であり支援してくれそうな位置にいる日本帝国とアメリカ合衆国でしたが、両国とも欧州不介入を政治看板にして、素知らぬ顔で戦争景気に便乗する事で不景気脱出をしようとしているだけです。

 しかも、それだけでなく、アジアでの独立を煽ったり、実際に様々な暗躍をしているのが現状で、とても「戦友」として戦争に参加してくれそうにはありません。

 


 一方のドイツも、3年以上にもわたる総力戦で、人口学的に限界にきており国内経済もガタガタ、国家財政は火の車ですので、一日も早く戦争を終わらせたいのがホンネです。

 

 ただし、海軍は水上戦力の面でいまだに英国が圧倒的に優勢で、バトル・オブ・ブリテンも英国に完全に守りに回られたら、なまじ生産力が上がった状態での殴り合いなので、どうしても攻撃側が不利になります。

 

 しかも、防空体制では英国に一日の長があります。

 

 それに、海軍力では歴然とした差がつけられているので、これも大きなネックで、いかなルフトヴァッフェと大海艦隊といえど、制空権をある程度確保した上で待ちかまえる20数隻の戦艦を押し止める事はできそうにありません。

 

 それらを含めて考えれば、43年時点での独力の英本土侵攻は、現実的には難しいと言うのが実状です。

 

 しかも、戦争がここまで進展した以上、相手に条件付きであれ降伏を迫るのが筋ですが、英国はいまだに抗戦の意欲を見せており、どこまでも枢軸国、特にドイツと対立する姿勢を崩していません。

 

 さらに、資金的な問題なら英国の方が有利であり、このまま戦争を続ければ、軍事力や生産力、資源がいくらあろうとも、先にドイツの国庫がカラになり自滅してしまいます。

 

 オマケの欧州各国の亡命政権も、英国の抗戦を自らの存続のために色々と後押ししています。

 

 総統閣下にとっては困った事態です。

 表面上ドイツは戦争の勝利者ですが、ソ連との激しい戦いで激しく消耗してしまっており、もはや一刻も早く戦争を終結させたいのに、頑固者のジョンブルは己が敗北がもはや確定的なのに降伏してくれません。

 

 その上、欧州での戦争に全然関与せず、戦争景気によりブクブクと肥え太っている日本と、同様に戦争景気をカンフル剤に経済の建て直しを図っているアメリカは、何とも気に入らない存在です。

 それだけでなく、主に商売上の理由から英国の完全敗北については、何かと外野から文句を付けています。

 


 とにかく、一日でも早く戦争を終わらせる。

 これはもうドイツの至上命題です。

 このまま欧州でこれ以上無意味な殴り合いを演じるよりは、英国に妥協して停戦を行った方がマシです。

 

 このままでは、ドイツひいては欧州が世界から取り残されてしまいます。

 

 それに、ドイツの戦争目的は達成されたのですから、ここで兵を引くのが伝統的な欧州での戦争の決着方法です。

 政治的にも、ロシア征服により面目も立っています。

 

 それに、さらに数年頑張って英国を降伏させたとしても、その瞬間から支配する全ての地域から収奪を行わなければ、ドイツ経済がたち行かなくなります。

 そして、それを行う事は、今後一世紀のドイツ主導による欧州支配を考えれば、可能な限り避けねばならない事態です。

 


 かくして、総統閣下の英断により、ドイツは英国に対して降伏を勧告するのでなく、講和のテーブルに着くことを決意します。

 

 事前に出される講和条件の青写真についても、名目上はともかく実質的にはドイツが東欧と欧露の主権を握る他は、全て各国に返還するという思い切った内容になります。

 これは、ドイツの今回の戦争目的が東欧、欧露獲得による生存権拡大と言う目的を達成するためだと言うことと、西欧の高度に発達した文明地域の経営が、ドイツ一国の経済にとっては、むしろ重荷であると言う皮肉な現実がそうさせたのです。

 もちろん、枢軸側が一旦占領した地域では、亡命政権の復帰などではなく親独的な政権が樹立される事になります。

 

 これに、この時期に入ると英国もアジアでの大混乱により、早期に欧州での戦争の落としどころを捜していたため、渡りに船とばかりにドイツからの申し出を受け、かなりの条件を付けますが、大筋においてドイツの主張を受け入れる事になります。

 

 こうして、欧州での二度目の戦争の結果として、英国は戦争を失いかけたのが、意地を貫き通す事でその劣勢を覆す事に成功したのです。

 

 戦争が長期の膠着状態になった以上、先に根負けした方が実際の敗北者だという好例でしょう。

 もっとも、旧欧州的な戦争の決着の付き方と言えるかもしれません。

 

 なお、枢軸国との戦いで敗北した、もう一方の国であるソヴィエト連邦ですが、主要地域をドイツに牛耳られていた事もあり、この会議上において政治的な屈服を余儀なくされます。

 

 そして、この後のソヴィエトは、ドイツ第三帝国主導の元、国家社会主義の国家として再編成され、ドイツの最も忠実な衛星国として、そして国力が復活した後は同盟国としての役割を果たしていく事になります。

 


 停戦は、水面下の交渉を経て1944年の4月にようやく発効し、その春から欧州の某所で講和会議が始まります。

 

 その後約一年以上の長きにわたり、欧州各国は不健康極まりない交渉を継続し、何とか講和条約の締結に持っていくことに成功します。

 ただし、停戦から講和条約までこぎ着けたのは、一旦矛を収めた以上、総力戦などもう不可能であり、講和するしかなかったと言う理由もあります。

 

 なお、欧州での交渉はその後半は、かなり急がれたものとなります。

 特に、ドイツに占領された地域の独立復帰については急がれました。

 その必要が別の理由であったからです。

 


 それは、欧州での大戦争の間の日本帝国による数年間の謀略工作が実を結び、1943年11月、大東亜・太平洋会議(英語訳:汎アジア・太平洋会議)が開催されたからです。

 

 もちろん、全ての首謀者は、有色人種により構成される大日本帝国です。

 

 この会議の出席国、代表の中身ですが、大日本帝国、中華民国(蒋介石政権)、大韓国、満州国、フィリピン共和国、タイ王国、内蒙古共和国はそれまでに独立していた国だからまだよいとしても、これら以外にもベトナム共和国、ラオス共和国、カンボジア王国、インドネシア共和国など、欧州での戦乱のさなか新しく「独立」した国々の代表があり、さらに印度の仮政府代表としてチャンドラ・ボースとミャンマー代表としてアウンサンの姿まであります。

 

 もちろん、それまでの支配者の許可など得ていません。

 それどころか、武力でもってそれまでの支配者を追い出してすらいました。

 

 また、反白人国家的な考え持つ欧州以外の国々や地域からも、オブザーバーや代表が送り込まれていました。

 


 そして、この会議上において、それまでの欧州白人勢力による体制を真っ向から否定した、『大東亜共同宣言』が満場一致で可決されます。

 

 この宣言の内容は、各国の自主独立、各国の提携による経済発展、各民族の伝統文化の尊重、そして人種差別撤廃が大きく謳われており、公平な目から見ればどこに正義があるかを子供でも分かる内容となっていました。

 

 なお、会議のオブザーバーとして、それまでの経緯からアメリカ合衆国が会議に深く参加していましたが、会議があまりにもアジア中心、有色人種中心、日本中心に進められた事から、それなりの立場と利権を得たにも関わらず、この会議の結果に大きな不満を持つことになります。

 

 特に、アメリカにとって、この会議の大きな主題の一つに「人種差別撤廃」があった事が、日本からの距離を当面置くことになりました。

 第一次世界大戦後の国連参加で日本が提出した人種撤廃論に激しく反発したように、これをアメリカ政府が全面的に受け入れることは、移民問題と黒人問題で揺れ始めている米国内に、大きな混乱をもたらすからです。

 

 国内での混乱を避けるには、次々と独立するアジア地域との現時点での連携は考えられない。

 それがこの会議においての、アメリカ政府の最終的な結論でした。

 

 またアメリカのこの政策決定は、この会議が大筋において、それまでのアジア各国の植民地からの脱却、そして独立を主導した日本主導で準備、実行され、実質的にアメリカが日本に出し抜かれた形になったと言うのが一番大きな要因とも言えます。

 

 もっとも、実にアメリカらしく、経済的な結び付きとなると全くの別問題と考えていた事から、その方面でのアジアとの結び付きは、会議以降より強いものとなります。

 日本政府もアジア発展の為には、自国資本だけでは到底足りない事から、アメリカ経済との結び付きを積極的に推進する事になります。

 

 これは、ある史家がこの時の日米のアジアでの経済協調は、その後のアジア・太平洋のある程度の安定をもたらした決定的要因だと指摘するほど強い結びつきでした。

 


 そして、この会議に前後して、いまだ旧欧州列強から解放されていない地域での独立運動が盛んになり、日本からのさまざまな援助の元活動が活発化します。

 

 この会議の波紋により、英国インド帝国全土は騒然とした状態となり、同時にいまだに英国などの支配地域となっているマレーやその他の植民地地域も混乱へと突入して行くことになります。

 もちろん、それ以外の欧州列強により支配されていた植民地地域でも大きな混乱がまき起こり、この混乱収拾のため欧州列強はその為だけに奔走する事になります。

 その為、植民地を持たない枢軸国側以外は、日本に対する外交的イニシアチブを失う事になります。

 枢軸国においても、欧州戦乱の余波から対外的に大きな行動にでる事はできず、また欧州内での民族問題の噴出もあり、アジアへの大きな干渉に出ることはありませんでした。

 


 そして世界は、欧州が一応の安定を取り戻した事で、大規模な戦乱から再び対立への時代へと移行を始めます。

 

 しかし、太平洋での日米の関係は、アメリカ外交のアジア離れ後も、アメリカの既存の経済的権益が害されなかった事などから、政治的にはともかく経済的に特に極端に悪化する事はなく、それ故に「第二次太平洋戦争」も発生することもありませんでした。

 

 この点、日本政府がアメリカに大きな配慮をしていた事が、この成功をもたらしたと言えるでしょう。

 

 そして欧州大戦の後は、日米双方の本国市場とアジア全体を舞台とした経済競争のみに終始し、必然的に発生した競争原理により双方大きく経済を飛躍させる事につながります。

 

 これは、先の太平洋戦争と欧州での戦争の結果を見た両国政府が、国運を賭けた総力戦をするぐらいなら、多少いがみ合いつつでも、とりあえず平和に貿易する方が「マシ」と考えるようになったからだと言われています。

 


 その後の大日本帝国は、自らの勢力圏とリンクしながら、それなりに順調な経済発展のもと、1950年頃までに解放と言う名の侵略戦争によらず、さまざまな援助と政治的謀略によりアジア各地を完全に独立させ、大東亜共栄圏の拡大、そして完成を図ります。

 

 そして、インドが初めて参加した1948年の第6回の「大東亜・太平洋会議」において、アジアでの支配権を確固たるものとし、全アジア地域を率いたアジアの盟主として、欧州白人国家勢力との本格的な対抗状態に入ります。

 

 この時までに、インド以東の全アジア地域と布哇から西の太平洋とインド洋の半分が「大東亜共栄圏」に含まれるようになっていました。

 

 もっとも、それ以前から元々あまり仲のよくなかった中華民国との間では、東亜の盟主の主導権争いがそれまでの間に行われます。

 

 そしてその決着のつかないまま、1949年に中華大陸の内戦において中華民国政府が中華人民共和国政府に実質的に敗北し、中華大陸は長い分裂時代に入り、事実上の敗戦により力の衰えた中華民国を日本が支援しながらの、中華人民共和国との対立構造に変化していきます。

 

 この結果、「大東亜共栄圏」から中華大陸の半分が実質的に除外されてしまいます。

 


 1950年代以後大日本帝国は、欧州国家社会主義帝国(ドイツ帝国とその属国と化したソヴィエト)との「冷戦」構造に突入し、アメリカ合衆国や英国(英連邦諸国)とは、その軍事圧力の程度により、ゆるやかな協調と対立をしつつも、いかに大国と決定的戦争を行わずに、国体と自らの勢力圏を維持するかと言う、苦難に満ちた半世紀を歩んでいくことになります。

 

 また、アメリカ合衆国は、最終的にアジアでの政治的主導権を日本にさらわれた事により、大きな政治的転換を余儀なくされ、アジアでの政治的失点を取り返すため、欧州大戦後も依然大きなシーレーンを維持しているが戦争により大きく疲弊し独力では欧州帝国に対抗が難しい英国に接近を図り、英独対立の中にあって次第に中心的な位置をしめるようになります。

 

 そして、戦争によらず経済力によって国際的な地位の回復と向上を図ります。

 

 この世界的な勢力構造の変化は1960年代に入ると、ドイツ帝国を中心とした欧州ブロック、英米を中心としたアメリカ・アフリカ(大西洋・インド洋)ブロック、日本を中心としたアジア(・太平洋)ブロックに別れ、それぞれが対立と協調を繰り返しつつ、混沌とした時代を過ごす事になります。

 

 なお、1960年代に入りアフリカ大陸での自由主義諸国側の植民地の独立が盛んになりましたが、基本的に人権問題を政策に上げるようになった英米政府の主導で行われたため、大東亜共栄圏の国々関与する余地はあまりなく、このため、アフリカ大陸が日本の勢力圏となる事はありませんでした。

 

 日本が、中東以西の事に介入するようになるのは、英米との政治的妥協が成立し、ユーラシア欧州帝国との冷戦がピークを迎える1970年代を待たねばなりませんでした。

 

 そして、欧州帝国とそれ以外の国々との軍拡競争の末、欧州帝国が経済的に崩壊する1989年までの間、欧州・ユーラシア帝国と海洋帝国群の二大対立時代を迎え、欧州帝国崩壊後の混乱を経て、全ての先進国の表面的な軍事的な敵対関係は解消し、さらなる混沌とした時代へと突入していく事になります。

 


 なお、大日本帝国は21世紀を迎えるまでの「冷戦」の間、本格的な列強との戦争に手を染めることなく、アジア・太平洋という日本にとっては非常に大きな勢力圏を維持する事に専念していく事になります。

 

(もちろん、代理戦争、地域紛争はあまた行います。

 )

 そして、八八艦隊の鋼鉄の戦乙女達とその妹たちは、その「冷戦」の中での抑止戦力として最大限にその存在感を示し、新たな妹たちの就役を見守りつつ年老いていき、一隻また一隻と現役をリタイアしていくことになります。

 


 しかし、多くの戦史家は語っています。

 「この『冷戦』の時代こそ、日本の様々な『八八艦隊』計画により誕生した彼女たちが、本来の役割を果たした時代である」と。

 




あとがき



■あとがきのようなも


 この歴史的歩みは、あなたの望む世界でしたか? 浮気せずにここまで来てくれましたか?(笑)


 皆様の中には色々なご意見もあると思います。

 何しろ、このルートでは一度も大日本帝国の前途を遮る者はなく、もちろん一度も大きな戦闘(大戦争)も発生せず、つまり主人公たる「八八艦隊」の鋼鉄の戦乙女たちが、その真価を発揮する事はなかったのですから。

 

 これが、もし小説だったらダメ出し間違いなしのシナリオでしょう。

 

 ですが、筆者的にはこの歴史的選択が、主に感情的に一番気に入っております。

 

 「ルート5」と分類上していましたが、個人的には「Good END 1」ぐらいに思っています。

 

 「兵法の極みとは戦わざること」などと言う言葉があります。

 まあ、ここまで言う気はありませんが、「戦争」が「外交」の延長である以上、そして本来国民に国益をもたらすものである以上、そしてある程度豊かであるなら戦争をしない事こそが、国家にとっての大勝利と言えるのではないでしょうか。

 


 もっとも、戦争しないテンションを維持しつつ謀略戦をせっせと行う日本帝国など、あまりにも似つかわしくなく、「こんなの大日本帝国じゃない!」と思われる方もいらっしゃると思いますが、たまには良いとサラッと流してください。

 


 では、またの機会にお会いしましょう。

 ここまでつき合っていただきありがとうございました。


 2002年5月25日



■  chapter5_07 大日本帝国海軍での大型艦保有の推移 ▼


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