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八八艦隊育成計画 第二章 皇国の行く末  〜Chapter 2 Future of Red Sun〜  作者: 扶桑かつみ
chapter3

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chapter3_1_08 ■ソ連連合国参加と地中海での反撃

 ドイツがソ連侵攻を始めると、ただちに英国そして連合国各国はソ連との同盟を画策します。

 

 これに、ドイツに呆気なく前線を突破されたソ連政府も積極的に乗ってきます。

 

 そして当初、ソ満国境の対立などからこれを渋っていた日本政府も、英国の説得に折れこれを受け入れる事になりました。

 

 この時、日本国内ではソ連と同盟を組む事への反発が吹き荒れますが、マスコミによる誘導で徐々にこの流れを変えていき、戦争末期には親ソ的な雰囲気すら作り上げることに成功します。

 もっとも、この時点では御上が決めたことだから従っていると言う風潮が強く、それが影響してか援助物資以外の面での協調という形には、戦争中ついぞなる事はありませんでした。

 

 しかし、ソ連の連合国参加は、連合国に大きな福音をもたらすことになります。

 

 ドイツの陸空軍の戦力の過半が、ソ連戦線に傾注されるのはもちろんのことですが、ソ満国境にあった巨大な日本の陸上戦力がフリーになったからです。

 同時に、1個航空艦隊以上の航空戦力も別の戦線に転用できる事をあらわしており、日英はさっそくこの膨大な戦力の欧州への移動を計画します。

 

 また、ソ連に対する援助物資の受け渡しは、最も安全な極東=シベリア鉄道ルートが主に使われることになり、7月に入ると西に向かうソ連極東軍と共に、大量の物資が欧州ロシアへと送られるようになります。

 


 日本からの援助物資は、当初は基本的な兵站物資以外は、日本である程度余剰としてキープしていた輸出用兵器や旧式兵器などが主でしたが、ソ連と同盟を結ぶとほぼ同時に、日英政府は新大陸で勝手に孤立しているアメリカ合衆国に声をかけます。

 

 それは、日英が代金を払う形でアメリカで生産される様々な物資を買い付け、国内生産は全て自国の軍隊に振り向けるのが目的でした。

 また、戦争の勃発と共に第一次世界大戦時のように商売を始めているアメリカの生産力を、これにより少しでも制御、抑制しようという目的もありました。

 

 しかし、一番の目的は巨大な生産力を持つアメリカを、飴を見せることで自陣営に引きずりこみ、ドイツと手を組ませないことにありました。

 

 これは、それが初めて表面化したものであり、実際は戦争勃発の時から合衆国に対するアプローチは行われていたのが、それがようやく実現したものでした。

 

 合衆国としても、純粋にビジネスとして代金を払ってくれるのだし、商品が最も消費の大きな軍需産業なのだから、相手が先年戦った相手だからといってこれを断る理由は特になく、むしろこの戦争に経済的に深く関わり、国内経済を立て直すチャンスとして、日英政府の要請に積極的に応えるようになります。

 

 こうして、ドイツが手を出すことなど全く不可能な北太平洋、シベリアでのソ連への補給が本格化します。

 

 なお、これを一つのきっかけとして、日英との本格的な大規模貿易の再開につながり、大戦後半には合衆国側から連合国側への援助物資の無償貸与レンド・リースにまで発展する事になります。

 

 この動きは、まさに日英、とりわけ英国の戦争への勝利に対する執念が生み出した政治的行動とも言えるでしょう。

 

 そして、41年内は主に日本の物資がソ連へと流れ、これがソ連極東軍の精鋭と共に、ドイツをモスクワの前面で押し止めることに成功させる原動力となりますが、42年以降はアメリカで生産される膨大な物資が続々と流れるようになり、物的な面でもドイツ軍を押しつぶしていくことになります。

 


 一方、満州からの日本軍の兵力移動が、秋に入ると本格化します。

 

 この時点でソ連に備えて日本近辺や満州にあった兵力は、陸上兵力が約20師団の精鋭師団とそれを構成する50万人の第一線級の兵員と、航空兵力が各種約1500機でした。

 その全てが日本陸軍のものといっても過言ではありませんでしたが、この膨大な兵力のフリーハンドを得た連合国は、驚喜しつつ戦略物資の輸送の合間を縫って、地中海、英本土への移動を始めます。

 

 また、対ソ用に控えていた本土近海の海軍の残余の移動も行われることになり、これで日本に存在する全ての主要軍事力が欧州へ派遣される事となりました。

 

 さらに、日本の衛星国である満州国、韓国、そしてフィリピンなどからも日本が経費の一切を出すことを条件に兵力の派遣が決定し、数年の準備期間ののち陸上での補完戦力として欧州などへと送られることになります。

 

 こうした兵力の移動のために、空母に転用すべく海軍が助成し建造していた大型客船の全てが、そのまま客船として就役する事となり、しかもそれでも足りないとして戦標船の客船型の建造も行われ、日本の造船業界は膨大な船舶の建造の中にありながら、チョットした客船建造ブームとなります。

 

 一番有名なのは2.7万頓級の出雲丸、橿原丸で、この二隻は同大戦中ずっと日本と英国の間を兵員を満載して往復し続ける事になります。

 もっとも、兵員輸送と言う点では、英国などが保有する7~8万頓級の超大型客船の方が大きな役割を果たしており、日本の客船同様、希望岬周りの日英航路を何度か往復して1航海で1個師団の兵員を運ぶ活躍をしています。

 


 こうして、ソ連参戦と日本陸軍の本格的な兵力の移動が始まる中、膨大な兵力が東地中海に集中されます。

 

 これは、日本の兵站ルートの最大の難関であるアレキサンドリア=英本土ルートの起点として、大量の輸送船舶とその護衛艦隊があったからでもありますが、連合国、日英同盟が戦略的見地から地中海・北アフリカの安定化をまず図ろうとした事が大きな理由でした。

 

 1941年秋口を迎える頃には、日本からの大護送船団がいくつも到着し、地中海を埋めるほどの大艦隊に加えて、2個航空艦隊と日本陸軍の2個軍(団)が反撃に使えるまでに膨れ上がります。

 

 もちろん、日本軍以外にも英国を中心とした連合国軍が多数存在していましたが、これらは主にそれまでの戦線を支える戦力として存在しており、反撃作戦は海軍はともかくそれ以外では、日本軍がその主役を演じる事になります。

 

 連合国が立案した反撃作戦は、北アフリカにある枢軸軍を殲滅するための一種の二重包囲作戦となりました。

 

 作戦の格子は、北アフリカの英第八軍がエジプト国境とトブルクを包囲する枢軸軍を撃破し、海上からベンガジに強襲上陸を敢行し、彼らの退路を完全に断つと言うものです。

 また、その事前作戦として空母機動部隊とクレタ島の長距離攻撃部隊によりシチリア島を中心として、限定的な航空撃滅戦をしかけ、これを阻止に出て来るであろう枢軸側の航空戦力と海上交通線を破壊する事になっていました。

 

 投入される戦力は、地上戦力が英第13軍団と第30軍団の合計12万名と、強襲上陸する日本軍の一個軍(軍団)相当にあたる7万名で、航空戦力は空母機動部隊から約600機、長距離攻撃を行う基地航空部隊が約400機となります。

 それ以外にも、エジプトから近距離支援する空軍機約500機がトブルクに対する全般支援に当たる事になっていました。

 

 また、この作戦に参加する海上戦力は、日英共同の艦隊となり、その主戦力は戦艦13、巡洋戦艦5、空母9、軽空母2を中核とした大戦力であり、海軍部隊の詳細はクレタ作戦から若干の改変を受けて以下の通りとなります。

 


●本隊(日・第八艦隊、海上護衛総隊)


第二戦隊(第一小隊):「富士」、「阿蘇」

第十三戦隊:「高千穂」、「穂高」

第六戦隊:「鳥海」、「摩耶」、「伊吹」、「鞍馬」

第九戦隊:「最上」、「熊野」、「鈴谷」

第四水雷戦隊:「酒匂」 艦隊型駆逐艦:12隻

第五水雷戦隊:3000t型:1隻 睦月型駆逐艦:8隻

第三護衛戦隊:護衛駆逐艦4隻 海防艦:8隻

第六護衛戦隊:護衛駆逐艦8隻 海防艦:8隻

各種輸送・揚陸船舶:約120隻(上陸部隊7万名)



●打撃戦力(英・地中海艦隊)

戦艦:「St. アンドリュー」、「St. デイヴィット」

戦艦:「クイーンエリザベス」、「ウォースパイト」、

   「バーラム」、「マレーヤ」、「ヴァリアント」

重巡洋艦:2隻 軽巡洋艦:7隻 駆逐艦:12隻



●空母機動部隊


 第一機動艦隊:(艦載機:常用約300機)

第二戦隊(第二小隊):「雲仙」、「浅間」

第一航空戦隊:「蒼龍」、「飛龍」、「雲龍」

第二航空戦隊:「伊勢」、「日向」

第十戦隊(第一小隊):「利根」、「筑馬」

第三水雷戦隊:「能代」 艦隊型駆逐艦:12隻



 第二機動艦隊:(艦載機:常用約200機)

第五戦隊:「金剛」、「榛名」、「比叡」

第五航空戦隊:「翔鶴」、「瑞鶴」

第十一航空戦隊:「千歳」、「千代田」

第十戦隊(第二小隊):「大淀」、「仁淀」

第八水雷戦隊:防空駆逐艦4隻、艦隊型駆逐艦:8隻



 英機動部隊(英・H部隊)(艦載機:常用約110機)

巡洋戦艦:「インドミダヴル」、「インディファティガヴル」

航空母艦:「アークロイヤル」、「フォーミダヴル」

重巡洋艦:2隻 艦隊型駆逐艦:6隻



在クレタ空軍戦力


 日本海軍航空隊

第21航空戦隊、第23航空戦隊、貴下の約350機


 英国空軍

 大型爆撃機ばかり約80機




 作戦名称は「クルセイダー」。

 作戦が80%以上の成功を収めれば、北アフリカにある枢軸軍は殲滅される予定でした。

 

 11月18日、英軍のオーキンレック将軍は、作戦発動を麾下の全部隊に下命します。

 

 まずは、英第八軍によりエジプト・リビア国境に陣取るドイツ軍を包囲し、トブルクへ向けて突破する作戦が開始されます。

 

 戦闘は18日から25日にかけて続き、激しい運動戦の中ドイツでは司令官のロンメル将軍の所在すら見失うほどの混戦となりますが、オーキンレックの不退転の作戦指導が実を結び、ドイツ軍主力はトブルク後退を余儀なくされます。

 

 その後、ドイツ軍によるねばり強い作戦指導により、戦闘は長期化する様相を見せていました。

 

 そして、12月8日。

 それまで沈黙を保っていた日英の大機動部隊による東地中海空襲が開始されます。

 

 空からの攻撃は実質的な、奇襲攻撃となりました。

 

 同時に、ベンガジ強襲上陸作戦も開始されます。

 

 また、このタイミングは、ドイツ軍がロシア戦線から、第二航空艦隊司令部と第二航空軍団の移動を開始していたタイミングだったため、さらに混乱を大きくする事になります。

 ドイツ軍にとって、実質的に司令官不在となった事が悲劇を大きくしました。

 

 そして、現時点において、この地域に航空艦隊と呼べるほどの戦力を投入していなかったドイツ空軍、本来の主役であるべきイタリア空軍は、空母機動部隊と言う集中性と機動性に長けた大規模な航空集団の前に各個撃破され、数日にして新たに大規模な増援を受けなければ再起が不可能なほどのダメージを受ける事となります。

 さらに、重要な港湾のいくつかも連合軍の歯牙にかかり、多くの船舶と港湾施設にダメージを受ける事となります。

 そしてこれは、北アフリカに対して当面まともに補給を届けられない事を意味していました。

 

 また、ベンガジに上陸した日本軍部隊は、初の本格的強襲上陸作戦により自らのミスで戸惑った他は、特に大きな障害もなく作戦は成功し、実質的に枢軸軍を包囲する事に成功します。

 

 この強襲上陸は、トブルクでの防戦も難しくなったため、そろそろ全面的な後退を計画していたドイツ軍にとって、まさに致命的タイミングで発生する事となります。

 

 しかも、自分たちがさらに迂回して後退しようとしても、それよりも早く日本陸軍の機甲部隊がさらに数百キロ後方のエル・アゲイラまでをも奪取し、それすら難しくなります。

 

 そして当然のように、前面の英第八軍も攻勢を強化し、北アフリカに存在する枢軸全軍を追いつめていきます。

 

 その上、攻撃成功でフリーハンドとなった、連合軍空母機動部隊が自慢の腕の長さを披露するかのように、枢軸軍の頭上をおおい、目に付く移動目標を手当たり次第に攻撃を繰り返します。

 

 そして翌年の1月21日、ついに進退窮まった北アフリカの枢軸軍主力は降伏。

 司令部など一部の部隊は脱出に成功しましたが、この時をもって実質的な北アフリカ戦線の消滅を意味していました。

 

 しかし、一連の戦闘での連合軍の損害も大きく、これを洋上戦力だけで見ても、英軍の「ヴァーラム」、「アークロイヤル」がUボートにより撃沈され、またアレキサンドリアで停泊中に、イタリア軍の人間魚雷により「阿蘇」、「St. アンドリュー」が大破すると言う大損害を受けていました。

 また、空母機動部隊も一連の連続した戦闘で、向こう半年は使用不可能な程のダメージを受けており、この勝利が決して楽なものではない事を物語っていると言えるでしょう。

 


 一方、ドイツ軍の攻勢が続くロシア戦線は、泥将軍と冬将軍を経て、11月末にソ連軍の大反攻が始まり、一時は首都モスクワ前面に迫っていたドイツ軍を退け、戦線を大きく押し戻す事に成功します。

 

 この反攻がひとえに成功したのは、日本による早期援助実施と、シベリアのソ連軍を早期に、そしてそれこそ根こそぎ投入できたからです。

 

 当時極東・東シベリアに配備されていた約30個の第一線級師団と多数の戦車旅団は、8月には欧露に到着しており、また同じく極東で守備についていた将兵も第一線級が多かった事から、ソ連軍の反撃を容易にしました。

 

 ただし、この時点でソ連に侵攻したドイツ軍が崩壊したわけではなく、かろうじて首都侵攻を防いだと言う程度でしかありませんでした。

 

 しかし、この南北での戦いは、戦争全体での一つの転機となります。

 それは、枢軸軍の一方的な攻勢に終止符が打たれたからです。

 



■戦略爆撃 ▼ 


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