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八八艦隊育成計画 第二章 皇国の行く末  〜Chapter 2 Future of Red Sun〜  作者: 扶桑かつみ
chapter2

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chapter2_08 極東戦線1941

※途中までは、国力、軍の進軍度合いなどから他のルートと同じです

 インド洋での艦隊戦は、日本軍の大勝利で幕を閉じます。

 御味方大勝利。

 まったくもって、大戦力を投入した側の勝利と言う、ごく当たり前の結果です。

 

 日本の海軍力の半分、つまり日本の軍事力の3分の1を叩き付けられた英東方艦隊こそたまったものではなかったでしょう。

 兵力差的に、約束された勝利だったのです。

 

 そして、制空権も制海権も失ったセイロンはその後の地上戦を行い、一ヶ月程度で攻略されます。

 

 かくして、日本側のセイロン攻略作戦は終了し、次の段階に移行します。

 

 順序としては、セイロンを新たな前進基地としての雨期の終わった印度東部に対する侵攻と、インド洋全域に対する徹底した通商破壊です。

 

 特にセイロンを押さえた事により、ベンガル方面だけでなくインド洋全域が日本海軍の活動拠点になった事は、大英帝国の通商航路、戦争資源、兵力の移動を考えると致命的な結果をもたらす事になります。

 

 そして、東南アジア、インド洋と大敗を続けている英国に、これを跳ね返し、セイロンを奪回する余力はありません。

 

 ドイツとの総力戦を継続している英国に、そのゆとりは全くないはずです。

 


 しかし、世界的な大事件が発生します。

 

 時間的には、現地時間で1941年6月23日の事です。

 

 そう、ドイツ第三帝国がソビエト連邦に対して、突如大規模な侵攻を開始したのです。

 

 ドイツ第三帝国とソヴィエト社会主義共和国連邦は、同じ軍事に偏重した大陸国家であり、その指導体制も事実上の独裁体制、さらに異なる社会主義を標榜とし、どちらの指導者も世界史的にはその侵略性においては人後に落ちないとされます。

 

 さて、大日本帝国にとっても、この事件は一大事です。

 

 それは単にドイツが、自ら望んでしては絶対いけないとされる二正面戦争を始めたと言う事に止まりません。

 

 この結果、自らへの圧力の低下英国は息を吹き返す事になり、日本にとっての不倶戴天の敵であるソロシアは極東での軍事プレゼンスを大きく低下、それどころか初戦で大敗を喫し、しばらくは極東で大きな動きを取ることすら不可能となりました。

 

 しかし、日本はこの時点でドイツと軍事同盟ではないとは言え、「防共協定」を結んでおり、共産主義に対しては共同で当たると言う約束事があります。

 

 それに、東亜解放では主に外交的な面から多少世話になっています。

 

 そして今回のドイツの相手は、日本陸軍にとっても宿敵と言えるソビエト連邦です。

 ここは軍事的圧力をシベリアに加えるなどして、借りの一つもしておきたいところです。

 今後の国際外交を考えれば、ドイツ人に大きな顔をされないためにも、一手打っておきたいところでしょう。

 

 そして、このどさくさに極東・東シベリア地域をソロシアからかすめ取れるのなら、今後のアジア安定を考えると非常に魅力的な状態とも言えます。

 

 しかし、当然というべきか、日本はドイツから何も聞いていません。

 ですが、開戦するやドイツ第三帝国は、後背からソビエトを攻撃して欲しいと虫のいいことを言ってきます。

 

 それでも日本軍による満州防衛(戦争)の準備は、それまでの軋轢と、満州の重要性、ノモンハン事件の影響、そして独ソ不可侵条約により数年前から準戦時体制、対英開戦後はなし崩し的にほぼ戦時体制に移行しつつあります。

 

 しかし、日本にとって、この独ソ開戦が寝耳に水である事には変わりありません。

 

 普通なら、外交的信義をまるで無視した(独ソ不可侵条約を一方的に破っている。

 )ドイツに対する不審を大きくするのですが、ここで日本はソ連撃滅による極東の安定という夢を見る事でしょう。

 たしかに、海軍の主力と陸軍の一部(3割程度)は、対英戦で動かせませんが、元から満州に駐留している大部隊に増援を送れば、対独戦で補給の途絶えたも同然の極東ソ連軍を撃滅する事ぐらい容易いとは言わないまでもできそうに思えます。

 

 はたして、日本陸軍に対ソ開戦は可能でしょうか?


 では、ここで八八艦隊の鋼鉄の戦乙女たちから離れる題材ですが、この当時の日本陸軍について見てみましょう。

 

 1941年夏頃の日本陸軍は、25個師団体制の元整備されています。

 そして、40年の対英開戦と共に戦時動員が開始され、さらなる大規模な陸軍の建設が進んでいます。

 

 つまり、動員可能師団25個、動員中師団もほぼ同数程度と言えるでしょう。

 近代国家の戦時動員ですから、この程度が常識に沿った軍備となります。

 

 1個師団は支援部隊を含めて2万人程度と考えると、全ての動員が完了すれば100万人、陸軍全体で考えるとさらにその五割り増し、その上各種支援部隊や陸軍航空隊も加算されるので最終的に日本陸軍全体で200万人にも及ぶ、巨大な軍事力が出現する事になります。

 この最終的な状態は、総力戦開始の2年後、つまり1943年ぐらいに出現する事になります。

 

 ただし、1941年夏の時点で日本が使える陸戦用師団は、あくまでそれまでに準備された25個師団だけです。

 衛星国を含めても30個師団を少し越えるぐらいでしょう。

 (この世界では韓国も建国10年程度の満州国も、装備や実体はともかく独自の軍隊を有しています。)


 そしてその内、すでに4個師団がビルマ=インド戦線、2個師団がセイロンに投入されています。

 さらに、占領地などの警備と後詰めとして1個軍(団)3個師団程度が東南アジアで待機している事になります。

 

 つまり、残りは16個師団です。

 早期に動員開始された師団を頭数に入れても20個師団が精一杯でしょう。

 この新設師団の中には、史実よりも多少機械化の進んでいる技術的タイムスケジュールなので、本格的な機甲師団もある事でしょう。

 

 さて、このうちいくらが満州に配備できるでしょうか。

 動員中の師団も早期に新設されたものは、国内警備任務ぐらいには使えるでしょうから、その気になれば20個師団丸々が投入できそうですが、国内の予備として最低限2個軍(団)6個師団程度は置いておきたいところです。

 

 つまり満州に派遣できるのは、せいぜい14個師団前後となります。

 さらに、衛星国状態の韓国軍が朝鮮半島側に1個軍団、韓国よりのソ満国境に1個軍団程度、つまり6個師団、12~20万人ぐらいは配備できるでしょう。

 これに、建国10年程度の満州軍が、国内警備師団や国境守備隊程度ですが、数個師団を含めて15~20万人程度動員可能です。

 

 つまり、対ソ戦備は合計して、陸軍25個師団程度、前線50万人、全てを含めて100万の兵力が用意できる事になります。

 

 また、これ以外に砲兵旅団や各種支援部隊が各軍(団)に配備され、これら全てを陸軍航空隊が全面的に支援します。

 海軍も内地で修理が完了したばかりで、実質的に待機状態となっている第一艦隊と1個基地航空戦隊が協力できます。

 


 ちなみに、史実の関特演に動員された師団数は、満州の防衛に必要最小限とされた歩兵16個師団、戦車団3個(ただの戦車集団)、これに陸軍航空隊の主力です。

 さらに他からの転用などにより侵攻を開始するなら、最大25個師団が投入予定だったとされています。

 総兵員数85万人と言われる、関東軍100万と言われた時代の、関東軍が最も充実していた時期です。

 

 そして先述した通り、無理をすれば日本(+衛星国)が総力を挙げれば、この25個師団と言う数字が確保できる事になります。

 その上、史実より遙かに機械化と火力重視の装備がされている部隊ですので、実質的には歩兵師団でも最低でも史実の本土決戦時の決戦師団かアメリカの歩兵師団ぐらいの戦力を保持しています。

 

 そう、五割り増しの予算で作られた陸軍なので、史実より機械化、重武装化が進んでいるのです。

 しかも、日支事変などにより余分な予算も浪費されていません。

 そして、基本的にソ連の狙撃師団よりも規模の大きな師団編成をしているので、単体での戦闘力はソ連軍の最低でも3割増はオーダーしてもよいでしょう。

 

 なお満州を守る満州駐留軍(日本軍以外も含めると「関東軍」と言う呼称は相応しくないので)を日本軍14個師団で見てみると、史実の配備から考えて大きく西部国境を守る第六軍(1個師団基幹)、北部国境を守る第四軍(1個師団基幹)、そして東部に第三軍(4個師団基幹)と第五軍(4個師団基幹)があり、機動打撃力となる第二十軍(4個師団基幹)ぐらいとなります。

 

 なお第二十軍は、進撃予定路の地形的要因から完全な機械化部隊となっており、機甲師団と機械化された歩兵師団から編成された極めて強力な機動打撃集団に編成されています。

 

 英独とさして変わらない国力で作り上げられた部隊ですので、余程陸軍が歪んでいなければ、同程度のソ連軍部隊の撃破も可能でしょう。

 

 さらに、韓国第一軍(3個師団基幹)と後から予備で追加される満州国師団が各軍に1個ずつぐらいも各戦線に配備可能です。

 そしてこれらの部隊の大半が、ソ連のウスリー州制圧を目的とした部隊配置をしており、当然その軍事目標もウスリー、沿海州地方の制圧となります。

 


 そして、部隊配置を見ても分かる通り、関東軍の第一目標はウスリー、沿海州地方の制圧です。

 

 しかし、これらの部隊が国境線で戦闘配置に着くのは、史実と同程度のスケジュールと同じなら8月半ばか後半と言う事になります。

 果たして、見切り発車で対ソ極東侵攻を行っても作戦を完遂できるでしょうか。

 

 史実では、10月までに第一目標を達成し、12月までにハバロフスクを攻略する事になっていました。

 同時に、アムール河流域も制圧予定でした。

 

 6月23日から早速準備を開始したとして、この時点で準備できる数は、日本軍が各軍団1個師団欠ぐらいで10~12個師団、韓国軍3個師団、これに現地の満州国軍です。

 

 とありあえず防御戦なら十分な戦力ですが、この時点での攻撃となると大きな不安があります。

 

 何しろ極東ソ連軍は、全体で約30個師団、うちウスリー・沿海州方面にその三分の二がいます。

 ソ連軍の一個師団が、欧米基準の強化一個旅団程度しかないので、一概に判断できませんが、せいぜい日本側若干有利ぐらいの戦力格差です。

 

 つまりこの時点での全面攻勢は、軍事的に大きな冒険となります。

 

 では、次に史実の関東軍が想定していた2カ月後の8月末だとどうでしょうか?

 2カ月の準備期間があれば、現地部隊の準備は万全となります。

 進出速度の速い航空部隊も問題ないでしょう。

 この戦線でも得点を稼いでおきたいであろう、海軍の大幅な支援も十分に可能です。

 

 肝心の陸戦師団の数も、内地で待機している1~2個軍(団)が動員可能ですし、その移動も国力が史実の2~3倍あるので全く問題ありません。

 単に日本本土から満州に移動するだけなら、準備さえ出来ていれば1カ月強でも可能でしょう。

 

 ではここで、緊急動員などで配備状況が変化しているので、もう一度関東軍もとい満州駐留軍の配備を見ましょう。

 

 まずは、西部国境を守る第6軍(1個師団基幹)、北部国境を守る第4軍(1個師団基幹)これに大きな動きはありません。

 

 大きな変化があるのは、ウスリー正面です。

 

 そして東部に第3軍(3個師団基幹)と第5軍(3個師団基幹)があり、機動打撃力となる第20軍(3個師団基幹)が元から防衛戦力として配備されています。

 

 これに内地から、第8軍(3個師団基幹)、第9軍(3個師団基幹)が運ばれてきます。

 そして、内どちらかが機械化軍団となります。

 さらに、韓国軍が1個軍団を発言権確保の為に持ってきますので、韓ソ国境を含めると、攻撃師団として24個師団が動員できる事になります(満州国軍除く)。

 

 史実の最大動員に匹敵する数です。

 これだけの大軍を、いくらご近所だからといって短時間で動員できるのですから、お金持ちとは何とも良いものです。

 

 もっとも、いかに史実より機械化が進んでいようとも、最初から西部国境のチタ方面が攻撃目標にされる事はありません。

 それは、この方面に50~100万もの軍隊が展開したら、いかに発展した日本と言えど継続的に十分な補給を行えないからです。

 

 しかし、ウスリー侵攻には十分な兵力です。

 

 その上独ソ開戦から二ヶ月が経過しているので、正面にあるソ連極東軍は、欧州の引き抜きに合い当初より弱体化しています。

 史実通りなら80%程度に戦力が低下している筈です。

 まあ、かの有名なゾルゲ情報が、日ソ開戦を知らせていたらあまり下がっていない可能性もありますが、陸上戦力差で五割増、航空戦力にでは2~3倍、水上戦力格差は比較にもなりませんから、減っていればいいかなぐらいの問題かもしれません。

 


 少し先に暴走してしまいましたが、次に本来先に論ずるべき開戦の是非を考えてみましょう。

 

 まずは外交問題です。

 

 日本とドイツは「防共協定」を結んでいます。

 これは、共産主義の膨張を防ぐための協定で、明確には軍事同盟ではありません。

 極めて曖昧な約束事です。

 

 ですが、史実と同じ道のりを歩んでおり、かの松岡氏が奮闘されていたら、間違いなくこの「防共協定」は「軍事同盟」へと1941年春に変化しているので、ドイツがソ連と戦争を始め、日本もすでにドイツと同様に英国に宣戦布告している以上、対ソ開戦しても特に問題はありません。

 むしろしていない方が不思議なぐらいです。

 

 もちろん、「日ソ不可侵条約」があるので、この問題をクリアする必要がありますが、ドイツとの間の条約が「軍事同盟」であるなら、外交常識的にこちらを優先すべきです。

 

 それに、この時代の国際外交の状況から見ても、律儀に不可侵条約を守る方が「バカらしい」と言うのが実状です。

 

 ただし、「東亜解放」を標榜として、新秩序構築の「正義の戦争」を継続している身ですので、この点がネックとなります。

 ですがこれも、「軍事同盟を結んだドイツとの信義を守った」と言う事を前面に押し立てておけば、問題も回避できるでしょう。

 第一、ロシア人国家こそ約束を守らない事で有名なのですから、あまり非難もでないでしょう。

 

 一つ気がかりなのは、アメリカ合衆国の動向ですが、こちらは経済的な利益を優先した外交を展開しておけば、政府レベルでは容認されるでしょう。

 アメリカとはそのような国の筈です。

 

 アメリカ市民と言う、正義大好きの人たちについても、政府や米財界に解放した後のお金儲けには参加させてあげるからと言って、何とかしてもらいましょう。

 

 間違っても、潜在的な超大国であるアメリカは怒らせてはいけません。

 対ソ開戦で二正面戦争を決意する以上、これだけは避けねばならない問題です。

 

 ガス抜きするためにも、ドイツやソ連で迫害されている民族などもせっせと助けて、ご機嫌はとっておきましょう。

 

 全ては、日本が生き残り、アジアの政治的覇権を確立するためです。

 


 あと気になるのは予算問題ですが、100万の軍隊を最低3カ月、最大1年半程度動かさねばならないのですから、財務官僚が卒倒する額になる事でしょう。

 私も考えたくありません。

 

 しかも、すでにアジア、そしてインド洋での大規模な戦争を継続している上に、さらに極東戦線です。

 まあ、7年も支那大陸で戦争をした事を考えれば、それよりはマシかもしれませんが、あまり考えたくない事態です。

 

 そして、この戦争開始により日本も本格的な総力戦に突入する事になります。

 

 よって、対ソ開戦を決意した時点で、大日本帝国はこの戦争を何があろうとも勝利せねばならなくなります。

 しかも、できれば大勝利せねばなりません。

 でなければ戦後、戦費による巨大な不景気が域内全域を覆う事になり、新秩序どころではなくなってしまいます。

 

 まあ、「欲しがりません勝つまでは」の標語の看板が町のあちこちで見られる事になりますが、このバクチに手を染める以上、「聖戦」完遂のため国民には犠牲を強いるしかないでしょう。

 


 まあ、極東地域の戦闘そのものは、完全な陸戦となりますし八八艦隊や海軍とあまり関係ないので、スパーっと詳細は飛ばしますが、史実よりも大きな戦力、高度な機甲戦力、大規模な航空戦力を投入できますので、余程大きなミスでも発生しない限り、史実で想定されていた極東全域の占領は可能でしょう。

 

 ただし、この一連の戦いで、陸軍主力は大きな消耗を強いられ、向こう10年はこの規模の軍事動員はできなくなるでしょう。

 もっとも、日本陸軍の本懐がソロシア撃滅ですから、むしろ本望かもしれませんが・・・。

 

 あ、そうそう最低限の戦争の正義を確保するために、開戦にあたっては奇襲攻撃などはせず、独ソ開戦すぐに日ソ不可侵条約の破棄を宣言し、ドイツとの同盟を履行することを宣言します。

 その上で8月末に宣戦布告をおこない、その後の攻撃開始と言うことにしましょう。

 

 戦争にとって最も重要な奇襲効果が損なわれてしまいますが、これぐらいの正義を確保しておかねば、戦後アジアを主導する上で日本の面子が立ちません。

 


 なお、この戦場での八八艦隊の鋼鉄の戦乙女たちは、ウラジオストクでの包囲戦時やアムール河方面からの上陸時の艦砲射撃ぐらいしか出番はありません。

 空母も全てインド洋で消耗していますので、この時期に大きな作戦行動はできず、洋上での艦隊防空が関の山です。

 

 一方肝心の独ソ戦ですが、日ソ開戦によりソ連がシベリアの精鋭軍が全くドイツ戦線に投入できない上に、物資を支援してくれる国はイギリスだけで、しかも大切な援助ルートの一つのインド洋が日本軍により完全に封鎖されており、わずかな援助すら期待できない状態ですので、ソヴィエト連邦は文字通り自力で戦わねばならない状態となります。

 

 その上、なけなしの予備兵力や新規兵力も、極東が総崩れとなっている以上、回さなければなりません。

 そうしなければ、中央から遠いシベリア方面の共産主義体制そのものが危機に瀕するからです。

 つまり、欧州ロシア方面の予備兵力は、史実の17個軍団と言われる大軍から比較すればその数分の一程度と言え、とても大反攻できる数字ではありません。

 しかも反撃どころか、届かないシベリア師団の代わりに新編成師団を防衛のために逐次投入せねばならず、さらに損害を被り、そこへあらない投入を行いと言う悪循環すら起こる可能性があります。

 

 はっきり言って、史実よりもはるかに不利な状況と言えます。

 


 よって欧州ソ連軍は、1941年ドイツ軍最後の賭けである「タイフーン」を押しとどめることが出来ず、「泥将軍」、「冬将軍」に悩まされるドイツ軍にギリギリの所で押し切られてしまい、レニングラード、モスクワ、ロストフの線を維持する事ができなくなります。

 

 その後のドイツ軍がようやく、待ちに待った越冬体勢に入った後の冬季反攻も、反撃のための肝心の予備兵力が少なく、目的を達する事ができません。

 そればかりか、上層部の誤断による不完全な反撃でよけいに戦力を消耗する可能性すら大いにあります。

 

 そうなれば、ソ連の命運は風前の灯火です。

 助けてくれるのは、インド洋からの資源がやってこなくなった英国で、援助物資を細々とアルハゲリンクスに陸揚げしてくれるだけです。

 


 ちなみに、火葬戦記ではあまり知られていませんが、1941年当時の極東ソ連軍は、ソ連赤軍の中でも最精鋭部隊がかなり存在しており(何と第一軍の名を冠した部隊がウスリー正面にいた)、これをロシア戦線に送れるかどうかは、独ソ戦の帰趨を握っていたと言っても過言ではないと私は思います。

 

 なお、1941年の史実のソビエト極東には、約30個師団が所属しており、これに10数個の戦車旅団など支援部隊が所属していました。

 このうちウスリー、沿海州、ハバロフスクなどに展開してたのは、全体の7割以上にも達しました。

 

 その上、日ソ開戦ならこちらに予備兵力のいくらかを送る必要もあり、独ソ正面の予備兵力が最低でも三分の一、最大半分減少する事になります。

 しかもこの半分と言う数字は、ソ連赤軍と言う巨体故に30~40個師団と言う膨大な数字となります。

 


 なおこの戦争に際しても、我らがアメリカ合衆国は、対ソ戦で入り用になった日本からのさらなる受注も受けて、貿易で不景気回復の糸口を探しつつ完全な傍観です。

 

 共和党主導のアメリカとしては、共産党を攻撃し、その戦争でせっせと自国商品を買ってくれる日本は、たとえ「日ソ不可侵条約」を途中反故にしていても、粗略にしてはいけない商売相手ですので、大きな文句を言う事はありません。

 


 なお、日本も米国も欧州で商売したくても、ドイツへはイギリスが邪魔で、ソ連は援助しか欲しがっていない始末ですので、どちらも商売相手として適していると言えず、むなしく指をくわえる事になります。

 ついでに、アメリカとしては、英国との貿易はそれなりにしていますが、ドイツがいつ何時この国を蹂躙するか分かったものでないので、控えめとなります。

 (共和党政権の合衆国に参戦とか援助の意志はありません。

 )

 日米の対欧州大陸貿易再開は、日独がスエズルートを確保した後となります。

 これを、様々な物資が滞っているドイツも待ち望んでいるに違いありません。

 取りあえず、目先の利く人たちは、コーヒーなんかを買い込んで、砂漠の狐がスエズを望むのを待ちかまえている事でしょう。

 


 さて、北の大地で血みどろの地上戦が行われている頃、セイロンを攻略した日本海軍が体制を整え、インド洋での第二段階に作戦に移行しようとします。

 

 東部インドにも11月には再び乾期が訪れるので、この時にインド東部に対する侵攻が行われます。

 その間連合艦隊は、ソ連戦に参加する内地の部隊と通商破壊に従事する艦艇をのぞいて、いったん内地の各母港に帰り整備補修を行います。

 

 その代わりに、日本軍はセイロンとビルマから海軍航空隊による航空撃滅戦と、潜水艦、一部の水上艦による通商破壊がせっせと行われます。

 もちろん、大英帝国の最重要交通線を完全に遮断するためです。

 

 そして史実のようにアメリカからの援助もなく、インド洋からの資源を入手できない英国には、この破壊に耐えることはまず不可能です。

 史実の三倍の国力を持った日本の実力は、その全力を発揮しなくても現在の英国にとっては大きなものとなっています。

 

 しかも、英国はインド洋でリンクする各地に増援を送りたくても、インド洋も地中海も交通線、補給線ともほぼ遮断されているので、送ることすらままなりません。

 

 秋が終わる頃には、日本の執拗な航空撃滅戦により、在インドRAFの壊滅はほぼ間違いないでしょう。

 

 王立海軍もカナダとの大西洋の交通線の維持と地中海の激戦にあり、強大な日本軍と対峙できるだけの戦力を派遣する余裕がないので、インド洋の制海権は完全に失われます。

 そしてセイロンが日本軍の占領下にある以上、「一時的」などと言う状態ではありません。

 

 なお、日本軍によるインド東部に対する侵攻は、チッタゴンに対する海上からの強襲上陸が企図されますが、これを阻止すべき英国の戦力ももはや枯渇しています。

 出来ることは、現地の陸上部隊が地の利を活かした遅滞防御をするのが精一杯でしょう。

 

 対する日本艦隊は、1個戦艦戦隊、1個航空戦隊を中核とした圧倒的な戦力を持ってこれを攻略、爾後当地に臨時インド政府を設立して、全インドに対する揺さぶりを行います。

 

 そうこうしているうちに怒濤の1941年は過ぎ去っていきます。

 

 なお、この年のうちは、我らがアメリカ合衆国は、日本に後でアジアの利権の分け前をもらうために若干の援助はしてきますが、貿易で不景気回復の糸口を探しつつ完全な傍観姿勢です。

 

 もしかしたら、連合国側の敗北を考え、もっと枢軸よりの姿勢を示すようになっているかも知れません。

 


■第二次世界大戦(戦況推移1941年冬~) ▼



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