47.なろう作者の特権
「編集者は小説を書けないんですよ。作家さんに頑張ってもらうしかない。出版社は作家さんがいないとどうにもならないんです」
そう編集者に言われ、私は奇妙な感覚に晒されたと同時に、それは当然だと思った。
我々作家が一斉に何も書かなくなったら、出版社は潰れてしまうのだ。
作家が先に居て、出版社はそのサポートをしてくれているという関係にある。
自分にしか書けないものがあって、それを書くのが小説家。
拾い上げて出版してくれるのが出版社だ。
しかし我々はなろうで書籍化したい気持ちが先行し過ぎて、その大前提を忘れ去ってはいないだろうか?
つまり「誰かが見て/拾ってくれるであろう小説」ばかり書いてしまって、「自分にしか書けない小説」を見失ってはいないだろうか、という疑念があるのである。
なろうには、ランキングに載るためのテクニックというものがいくつかある。
私がこのエッセイに書いて来たことだ。
テンプレの応用、ランキングに載るための投稿方法、ブーストの使い方、様々な方法がある。
けれどこれに頼り過ぎると、なろう小説特有の弱点が露呈する。
ランキングを上がるためのテクニックに腐心する余り、内容が画一的になったり、構成に無理が生じてしまったりするのだ。
書籍化への近道とはランキングに載ることである。それについては疑問を挟む余地はない。
ランキングに載るために、読まれるものを書く。書籍化を目指す作者たちのその行動は、誰にも責められない。
しかし書いた小説から「独自色」が消え失せたとしたら、それは自分の書いた小説と言えるのだろうか。
私たちは「執筆」にもっと我儘になっていいし、誇りを持っていい。
だいたいなろう小説のほとんどは出版社が書かせているものではなく、作者が自分のペースで書いているものなのだ。
なろう小説は、読者に読ませるためだけにあるものでもない。
作者が楽しむためだけに書いた小説があったっていい。
執筆が苦行になっているなら、更新頻度を気にせずいつでも休んでいい。
どんなに閲覧数の少ない小説だって、自分が面白いと思えば何万字だって書いていい。
それが、このサイトの本来の使用方法のはずだ。
こんなに自由で気ままなサイトは、なかなかない。
なろうは書籍化チャンスのみならず、作者にそういった大いなる特権を与えてくれるサイトなのだ。
ところで。
私は誰かに
「小説を出版した」
と言うと割に褒めてもらえるのだが、
「なろうからデビューした」
と告げると急に嘲笑の的になるので奇妙に思っていた。
きっと、例のランキングにおもねる姿勢で書いて来たと思われ、嘲笑われていたのだろう。
けれどそれを笑う奴は、なろうの競争原理もみんなの腐心も何も知らない。
なろうがどんなサイトかも知らない。
天才も努力家ものんびり屋も、十把一絡げに「あのなろう系」とカテゴライズして笑うだけだ。
「これを世に出したい」
と思って駆けずり回ってくれた出版社のみなさんの苦労も、何も知らない。
泣いたり怒ったりしながら書いている作者の苦悩も知らない。
作家がいなくなれば誰も何も読めなくなることを知らない。
だからみんな、もっと胸を張って〝自分の〟小説を書こう。
我々はランキングやテンプレに縛られず、もっと自由に小説を書いていい。
いつか誰かが見つけてくれるだろう、くらいの気持ちでオリジナリティをぶつけていい。
それもなろう作者の特権なのだ。




