99 跡形もなく
両眼を丸く見開き驚愕の表情を浮かべたまま、男の上半身は切れ目に沿うように斜めに滑り落ちていく
通常の敵ならば、これで完全に死に絶えるはず。
だが、今トモヤの目の前にいる存在は、まさに規格外と称するに相応しい存在だった。
「フ、フフフ、まさか、これで終わりだなどと、思ってマセンよね?」
「……これは」
分かれた男の体が黒色の靄に変化したかと思えば、また一ヵ所に集っていく。
そして集った靄は、なんと再び男の体を創り上げたのだ。
(そういえば、さっきも似た登場の仕方だったな)
その様子を見たトモヤは、男が目の前に現れた時のことを思い出し目を細めた。
あの時も男は黒色の靄からその体を作り上げていたのだ。
「オヤオヤ、あまり驚いた様子はありませんネ。つまらないデス……いえ、もしくは必死に冷静さを保っているだけデショウか」
静かに分析を続けるトモヤの前で、男は続ける。
「簡単なことデスよ。ワタシの魂魄魔法で操れるのは、当然他者だけでなく自分も含まれマス。魂への還元と、物質への昇華を可能とするワタシに、アナタの弱々しい攻撃など喰らいマセン」
「そうか、だったら――」
元から思考していた内容と男の発言から、トモヤは一つの答えに辿り着く。
どうやらこの男には斬撃を含めた物理攻撃は通じそうにない。
限界近くまで攻撃ステータスを高めた攻撃ならば可能かもしれないが、それでは周囲にいる者達も巻き込まれる危険性がある。
であるならば、対策は簡単だ。
体を、ではなく、
「お前の魂ごと消滅させる一撃を浴びせればいい」
剣を放し、右手を男に向ける。
魔力を集中させ、無防備な男に向けて叫んだ。
「神聖魔法、発――」
「させまセンよ」
「――ッ」
瞬間、男の対応を見て、トモヤは魔法の発動を反射的に止めた。
もし彼が取った対応が魔力の結界を纏うだとか、攻撃魔法を放ってくるだとか、そういうものならば遠慮なくトモヤは攻撃を続けただろう。
だが、今目の前に広がる光景はそのどれでもなく。
布が擦れ合う音がする。
靴が床を叩く男がする。
呻き声を上げるのが聞こえる。
そして、“千を超える濁った眼光”が、トモヤを射抜く。
男を守るようにして立っている者達は、トモヤが救おうとしていた女子供達であった。
この現実を前にしては、さすがのトモヤの顔にも驚愕の色が現れる。
「侵食が、完了しましたヨ」
悠々と、男は告げる。
「どういうことだ」
「言葉の通りデス。彼女達の心の中に残しておいた私の魂が、ようやく取り込みを終えたのデス。つまりソレは、彼女達の魂、ひいては体を支配したも同様。私の手にかかればこれほどの人数がいたとしても、同時に操ることが可能デス」
「ッ!」
それが本当のことであると、トモヤも信じるほかなかった。
光を失った瞳を浮かべる彼女達が、自分の意志で男を守っているようには思えなかったからだ。
「残念でしたネ。アナタがワタシをすぐに殺していたならば、どうにかなっていたかも知れマセン。ですがもう手遅れデス。彼女達が助かることはもうありまセン。それは全部、アナタの傲慢と、怠慢のせいなのデス」
「…………」
「オット、そういえば、名乗るを忘れてしまいましたネ。死にゆくアナタに、せめて自分の命を摘み取る者の名を教えて差し上げマショウ」
男は両腕を広げ、衣装を靡かせながら高らかに叫ぶ。
「我が名はゼーレ! 偉大なる王にこの身を捧げし、魔王軍の精鋭なのデス!」
さあ、絶望しろ。
そんな意思を込めて叫んだであろう、魔王軍ゼーレの言葉を。
トモヤはほとんど聞いていなかった。
◇◆◇
(……油断した。いや、というよりは慢心か)
目の前にいる魔族の男ゼーレは、トモヤにとって本来ならば相手にすらならない程度の実力の持ち主であった。
故に、トモヤは周りに被害を及ぼさないよう気を付けながら、リスクを負うことなく倒そうとしていた。
だが、その結果がこれだ。
トモヤの余裕から相手に与えることになった時間によって、逆にこんな危機的状況を生み出すことになってしまった。
(……いや、まだ終わっていない)
けれど、当然それで終わるトモヤではない。
自らの失敗をそのままにしておくなど、トモヤのプライドが許す訳がない。
確かに以前のトモヤなら、ここでどうすれば現状を打破できるのか、多少なりとも悩んでいたかもしれない。
もしかしたら、それで何かが手遅れになっていたかもしれない。
しかし今のトモヤには、どんな逆境をも打ち砕く知恵がある。
「仕方ない――やるか」
その知恵を、トモヤは異空庫より引きずりだす。
「来い、終焉の剣」
「ム――?」
そのタイミングで、余裕の笑みを浮かべていたゼーレが眉をひそめる。
彼の視線の先にあるのは、トモヤの手の中にある一振りの剣。
刀身から鍔、鞘に至るまで漆黒に染まった、終焉樹の核より生み出された剣。
その剣が放つ異才なオーラにゼーレも気付いたのだろう。
だが、ゼーレが我に返るのを待ったりはしない。
トモヤは剣の柄を強く握り締め、その芯から溢れ出る魔力を身に沁み込ませるようにして――唱えた。
「万能の叡智は我が糧に」
瞬間、ドクンと一度。
剣が大きく脈動した。
「――――ッ」
同時に、剣からトモヤの体に様々な記憶が押し寄せてくる。
子供の体にとりついたアンデッドを除霊する親の記憶。
命を失ったはずの魔物が動き出すのを見て恐怖する少女の記憶。
そして――魂だけになってなお生きようとした魔物が、ただ危険だからと無残にも滅ぼされた記憶。
それは自分自身が殺される記憶、つまりは死の体験に他ならない。
命を奪われるに値する感情が、次々とトモヤに襲い掛かってくる。
これこそがトモヤがゼーレに攻撃する際、終焉の剣ではなく通常の剣を使った理由であった。
終焉樹のもとに運ばれてくる魔力には記憶が込められている。
その中には他者を傷付けようとする悪意の他に、“傷付けられた者の記憶”までもが含まれている。
剣を使用していく中で気付いたことだが、剣の記憶を参照しようとすると、時折そちらの残酷な記憶がトモヤに襲い掛かってくるのだ。
命を奪われる者の記憶がトモヤに齎す精神的ダメージは計り知れない。
故に、トモヤは本当に重大な場面以外でこの剣を使うことは控えようと決めていた。
そしてその本当に重大な場面こそ今だ。
トモヤは絶大な痛みに耐えながら、やがてその答えに辿り着く。
大切なものを奪わず、悪意のある魂だけを滅ぼす光の一撃。
「神聖魔法、剣術、魂魄魔法――併用」
腰元に剣を溜め、光り輝く魔力を纏い。
「ッ! なッ、まさかアナタはこの者達を巻き添えにしてでも、ワタシを殺すつもりだというのデスか!?」
ようやく現実に帰ってきたゼーレに向けて、今度こそトドメとなる一撃を放つ。
「魔滅の斬光」
振るった刃から、魔力で生み出された光の刃が放たれる。
放たれた瞬間は通常の大きさだったはずの斬撃は、なんと大気中の魔力を呑み込みながら加速度的に拡大し、ゼーレに迫っていく。
「させマセン! ワタシには、この大量の壁があるのデス!」
身に迫る死に対しゼーレが取った対応は至極単純、女子供を操り自らの盾をすることだった。
「バ、バカなッ!?」
が、その全ては無意味。
トモヤが選択した消滅対象は、ゼーレの魔力のみ。
光の斬撃は彼女達に触れた瞬間、その魂に刻まれたゼーレの魔力のみを消滅させ、彼女達の体と魂には一切の影響なくすり抜けていく。
「バカなバカなバカなッ! ワタシが! このワタシが! こんなところで滅びるなど――」
そしてとうとう、教会を呑み込むほどの大きさと化した光はゼーレを喰らい、遥か彼方まで飛んでいく。
やがて全てが終わった後、もうそこにはゼーレの姿は残滓すら残ってはいなかった。




