84 記憶
◇◆◇
セルバヒューレまで戻ってくると、騒ぎが収まったと判断したらしい人々もまた集まってきていた。
とはいえ彼らがまだ事情を完全に把握していないことには変わらない。
トモヤ達は手分けをして、皆にもう脅威はなくなったと伝えることにした。
そういう訳で、さっそくトモヤは近くにいた人々の下に足を踏み出し――
「――トモヤ!」
不意に、自分の名前を呼ぶ声がした。
それは決して聞き逃してはいけないものだ。
声をした方向に体を向けた瞬間、どんっと誰かが勢いよく飛び込んできた。
見下ろすほどに小さなその少女は、もちろんルナリアだった。
「ルナ!」
ルナリアやリーネがフラーゼのもとに向かってから、まだ一日やそこらなはずなのに、不思議と二ヶ月くらい会えなかった気がする。
何故だろうか、時空の歪みが存在しているのかもしれない。
トモヤは感動の再開に耐え切れないまま表情を緩ませてそう叫ぶと、ルナリアはトモヤの胸にすり寄せていた顔を上げて全力で笑った。
「えへへ、ずっと会いたかったよ! ただいま、トモヤ!」
「……ああ、おかえり、ルナ」
その可愛らしさに耐え切れず、トモヤはしゃがむとルナリアの体をぎゅっと抱き締めた。ルナリアは嬉しそうに「んぅ~」と声を漏らす。
人々にもう安全だと報告しないといけない? そんなもの、ルナリアと抱擁することに比べたら些細な問題だ。
(いったい俺は誰に言い訳してるんだろう……まあいいか。それよりもルナが帰ってきているということはつまり)
そっと顔を上げると、少し離れた場所には予想していた人物がいた。
いや、予想していたよりも何故か一人多いが、おおむね予想通りだ。
「まったく、ルナばかりに気を取られすぎだ。私達に気付くのが遅いぞ、トモヤ」
「そうっすよ! せっかくはるばる山を越えてこんなところにまで来たのにひどいです!」
そこにいたのは、リーネとフラーゼだった。
リーネは呆れたようにため息を吐き、フラーゼは頬を膨らませていた。
ルナリアとの感動の抱擁は、彼女達に見られてしまっていたらしい。
となると、どうするのが一番だろうか。
トモヤはふーむと悩んだ後、覚悟を決める。
そして両手を二人に向けて広げると、そのまま言った。
「リーネさんとフラーゼさんも……くる?」
「なっ! トモヤ、君はいきなり何を言って――」
「いくっす!」
顔を赤くするリーネとは異なり、フラーゼは全力で飛びついてくる。
ルナリアの隣にすっぽりとはまった彼女は、恍惚な表情を浮かべていた。
そんなこんなで残るは一人。
「……リーネさんはどうする?」
「も、もちろん私はそんなことを望んではいない。いない、が、ルナやフラーゼが行っていることを私だけがしないのは不自然だな。うん、不自然に違いない」
「いや、別にそんなことはな――」
「うるさい! いくぞ!」
恥ずかしさを振り払うように叫び、結局リーネもトモヤの腕の中に入ってきた。
ルナやフラーゼの嬉しさ全開の表情とは違い、少しだけ顔を綻ばせる。
そして、三者三様の体の柔らかさや良い匂いを感じながらも、トモヤは思った。
(この光景、周りから見たらどう見えるんだろ……まあ、可愛いからいっか)
それ以上は何も考えないことにするのだった。
◇◆◇
そして、ルーラーが襲撃してきた日から三日後。
トモヤとシアはお馴染みとなった世界樹にいた。
シアの手の上には、終焉樹の核が置かれている。
先日の言葉にもあった通り、彼女は改めて協力する気になってくれたらしい。
シアはしばらく終焉樹の核を眺めた後、ふーと息を吐きだした。
「だいたい、分かった気がする。この中に出来た結晶体、それを私の力で破壊すればいいの?」
「ああ、その通りだ。それに成功しないと錬成ができないんだ」
「……うん。けど、少し難しいかもしれない」
「どうしてだ?」
せっかく協力してくれるというのに、早くも難航しそうな気配だと思いながらそう尋ねる。
「この核の内部の性質を変えないためには、魔力でできた矢で穿つ必要がある。けれど私の空間飛射で破壊できるのは、放った物より強度の低い物だけ。トモヤが全力で錬成を使用しても破壊できなかった物を、私の魔力で壊せるとは思えない」
「なるほど、それは困ったな……いや待て、いけるかもしれない。兆越秘射を使った時みたいに、俺の魔力をシアに送って、それを放てばいい」
「っ! それならいけるかも。天才的発想」
「まあな」
「トモヤから出た発想だとは、とても思えない」
「おい」
そんな冗談(冗談だと信じたい)を言った後、トモヤ達はさっそく実行に移すことにした。
シアの手をぎゅっと握りしめる。気のせいでなければ彼女の長い耳が赤く染まったように見えたが、トモヤはあえてそこには触れないことにした。
正直なところ、トモヤにだって多少なりとも気恥ずかしさはあるのだから。
「んじゃ、いくぞ」
「うん」
息を合わせて、告げる。
「「――――空間飛射」」
シアの手から魔力の矢が放たれる。
そして、小さくパリンという音が響いた。
「成功?」
「分からん、試してみる。錬成Lv∞――発動」
シアから核を受け取り、錬成のスキルを発動する。
すると、終焉樹の核は一切の抵抗なく変化していく。
――成功だ。見事、中の結晶体を破壊することができていたようだ。
となると、問題は次だ。どんな形の武器に仕上げるか。
――イメージするは一振りの剣。
手に馴染み、力強く振り払える、そんな剣がいい。
そして――――
「――――出来た」
トモヤの手の中には、確かに一振りの剣があった。
終焉樹のどこまでも深い漆黒をさらに凝縮させた、辺り一帯の光を呑み込んでしまうかのような黒の刀身。その刃はあまりに鋭く、指が軽く触れただけで切り落とされそうな程であった。
同じ素材から作られたため、刀身と一体構造の鍔と柄もまた、これでもかというほどの闇をその身に秘めている。どこまでも深い、深い闇。
この剣が、これから一生の相棒になるのだと本能から自覚したトモヤは、ぎゅっと柄を握りしめる。
瞬間、ドクンと剣そのものが脈打った。
(これ、は――――)
――――それは、遥かな記憶。
有史以来、ありとあらゆる人の思念が籠った魔力を吸収し続けた終焉樹の核。
その核から創り上げられた剣にもまた、同様の思念が籠っている。
それらの記憶――悪意がトモヤの体の中を駆け巡りだす。
(そういうこと、だったのか……)
数々の記憶の中で、トモヤはようやく理解した。
初めて終焉樹の核に出会い鑑定を使用した時、無意識にその内部の魔力を見るのを止めた。
フラーゼの工房で力ずく錬成を使用した時、外層が割れて漏れ出してきた魔力を浴びて咄嗟にその穴を塞いだ。
それらは全て、この悪意から逃れたいが故だったのだ。
誰かを傷付けるために使用された魔力。
何かを壊すために使用された魔力。
大切なものを台無しにするために使用された魔力。
この剣を構成するのは、そんな魔力でしかない。
けれど、その中には確かに価値のあるものもあって――
「……トモヤ? 成功、したの?」
――シアの声が、トモヤを思考の中から呼び戻す。
そんな彼女に向けて応える。
「ああ、そうだ。すまないけど、試し斬りをさせてくれ」
「いい、けど。何を?」
「……あれが、丁度いいな」
言ってトモヤが視線を向けるのは、普段シアが修練に使う的を置いてある高台だった。
その距離5000メートル、剣の試し斬りをするには適さない遠さ。
けれども、今のトモヤにとってそれは関係ない。
かつて、ディヴァンという青年がいた。
その青年に与えられたスキルは剣術のみ、ステータス自体もそう恵まれたものではない。
けれども、彼はやがて英雄と呼ばれる程にまで力を手に入れた。
自分のステータスから分かる限界を超える程の努力を重ねることによって。
そんな青年の記憶が、伝わってくる。
「剣術Lv3――――」
その青年が辿り着いた極致を、いまトモヤが再現する。
「――――瞬刃」
漆黒の剣を、そっと振るう――瞬間、遥か先にある的が同時に十個、真っ二つに斬り落とされた。
「……えっ?」
その光景を見て、戸惑うようなシアの声が聞こえる。
正直、トモヤ自身もとうてい信じることはできない。
リーネが剣術と空間魔法のスキルを併用することによって生み出した空斬。
それ以上の破壊力と射程距離を持った一撃を、ディヴァンはただの剣術一つで生み出したのだ。
不可能を可能にしてみせた一撃。
それは瞬刃だけではない。
ありとあらゆる人物の、ありとあらゆる技の記憶。
否、人生そのものを、トモヤは参照することができる。
それらが告げる、この世界ではステータスやスキルだけが全てではないと。
もっと、先があるのだと。
きっと今のトモヤなら、ブラストスライムを前にして、爆発させずにその核を破壊することすら容易だろう。
「これはちょっと予想外だったな」
ずっと考えていた。
ステータス・オール∞の力でもできないことがこの世界にはきっとあって、それを補うために必要な何かを探していた。
それは、こうしてすぐそばにあったのだ。
なんとも喜ばしいことか。
けれど、同時にこうも思う。
トモヤがこの剣を手に入れたのは偶然か、それとも必然か。
必然だとするならば、これを手に入れなければならない理由があるということ。
ステータス・オール∞だけでは成し遂げることの出来ない何かが、トモヤ達が進む先に待って――
「……いや、これはさすがに考え過ぎか」
結局のところ、いまどれだけ考えようとその答えが出ることはないだろう。
だからトモヤはそれについて考えるのを止めて、改めてシアに向き直った。
「ありがとうシア。これで完成だ」
「……うん」
トモヤのお礼の言葉に頷くシア。
それを見て、トモヤは少し違和感を覚えた。
シアはどこか元気がない、というよりも、何かを思い悩んでいるような様子だった。
「トモヤ」
どうしたのか、トモヤが尋ねるよりも早くシアは口を開く。
「勝負、しよう」
「……勝負?」
「そう。いつもやっていた、的の破壊した数を競う勝負。負けた方が、勝った方の命令を何でも聞く。特別ルールとして試行回数は一回、トモヤの試行は今の剣での攻撃、ということでもいい」
「別にいいけど、俺に有利な条件すぎないか。それだと、俺は一撃で十個の的を破壊したことになるけど」
「それで構わない」
「なら……まあ、いいよ」
あまりにもシアにとって不利すぎる、というよりも勝負にすらならないような条件だった。
これまでの勝負では、シアは完璧に的を射抜くことはできこそすれ、当然一回の射で複数枚を破壊することなどはできてない。
ということは、間違いなくトモヤの初勝利となる。
どんな命令をしてやろうかと内心わくわくする。
ふと、弓を構えるシアの手には矢が握られていないことに気付いた。
魔力の矢で射抜くつもりなのだろうか。
「……ん?」
(待てよ。一射ではなく、一回ってのが条件だったよな……まさか!)
トモヤの考えに応えるかのように、シアは的を見据えながら唱えた。
「兆越秘射」
「やっぱりか!」
そして当然のごとく魔力は百を超える矢となり、その全ての的を射抜くのだった。
「勝ち」
「ああ、そうだな。俺の負けだよ」
条件をきちんと確認せずに頷いた自分が悪いということで、トモヤは素直に負けを認めた。
シアはそんなトモヤを見て満足気な笑みを浮かべている。
一見すると無表情に見えるシアだが、よく見るとそこに浮かぶ感情に気付けるのだ。トモヤはそれほどまでに長い時間、シアと共に過ごしたという訳である。
「それで、何を命令するんだ?」
「その前に。トモヤは、もう少しでこの国を出て旅をする。正しい?」
「ああ、そのつもりだけど」
元々の目的であった剣を創り出せた今、これ以上セルバヒューレに留まる理由は存在しない。
仲良くなったシア達と別れることになるのは辛いが、仕方のないことだ。
まさか、世界樹の守り人としての役目があるシアを旅に誘う訳にもいかない。
「そう。じゃあ、お願い。目をつむって」
「目を? それが命令か?」
「違う。これはただのお願い。聞きたくないのなら、聞かなくてもいい」
「いや、聞くけどさ」
少しだけ寂寥感を抱きながらも、言われるがままに目を瞑る。
当然、目の前は真っ暗になり何も見えない。
そんなトモヤに向けてシアが近付いてくるのだけが足音から分かる。
いったい、何をするつもりなのだろうか――
「……んっ」
――その時、トモヤの頬に柔らかな何かが触れた。
「――――え?」
その感触は。
これまでに経験したことのないものだけど。
直感で、分かる。
動揺したまま目を開くと、トモヤのすぐそばにはシアがいた。
つまりは、さっきのはキ――――
「シ、シア、お前いま何を」
「それじゃ、命令」
トモヤの動揺などお構いなしといった風に。
シアはここにきて一番の、満面の笑みを浮かべて言った。
「私を、貴方達の旅に連れて行って――トモヤ」
第三章、完結。
長きに渡ってお付き合いいただきありがとうございました!
まだまだ続きます!




