76 平穏
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それから収穫祭までの20日間は瞬く間に過ぎ去っていった。
トモヤは日課として毎日シアのいる世界樹に出かけて勝負を仕掛けていた。
勝負内容も賭けの内容も、どれも一度目と同じ。
変わるのは試行回数くらいだった。
しかし、試行回数が1回であれ100回であれ、勝敗が覆ることはなかった。
そもそもトモヤの放つ矢が的を射抜くことは一度としてなかったからだ。
弓道などとは次元が違う。5000メートル先なんて、冷静に考えてみれば頭のおかしい数字だった。
「勝った。よし、命令。今日も私がルナリアと寝るということで」
「そろそろリーネさんが泣くからその命令は止めてあげてほしい。っていうかそろそろ俺もルナと寝たい。癒しがなくて死ぬ」
時には勇気を振り絞って、悪魔の命令を真っ向から拒絶してみたり。
「勝った。よし、命令。おいしいお肉持ってきて」
「了解――ちょっと東大陸に行ってきて買ってきたぞ。この大陸はあまりいいものなかったからな。ついでにシンシアやアンリと会ってきた」
「誰?」
時には超マッハで空を駆け世界旅行を楽しんだり。
「ゆみ、楽しそう! わたしもやってみたい!」
「おっ、ルナもやってみるか。でもな、俺ですら一度も的を射抜けないくらいだからな。さすがのルナでも難しいと思う――え」
「やったっ! 当たったよ、トモヤ! ほめてほめて~」
「天才。神の子と言っても過言ではない。もううちの子にする」
「おいこらシア、そんなもん許せるか! ルナがいなくなったら俺は死ぬ!」
「大丈夫だよっ、トモヤ。わたしはトモヤから離れたりなんかしないからねっ!」
「大天使だ……」
「だいてんしだよっ」
時にはルナリアの親権を奪い合ったり。
「うわ、今日もまたシアに添い寝権を奪われてしまった。というわけでリーネ、今日も同じ部屋で寝ることになった、よろしくな」
「ま、またか!? トモヤ、君は少しシアに負けすぎじゃないのか!? そ、それに同じ部屋で眠るなんて、緊張してきちんと眠れないんだぞ……」
「なんなら同じ布団で寝るか?」
「なっ、なな、なっ、トモヤのばかぁ!」
(……可愛い)
時には赤面するリーネを可愛がったり。
「っ、やっと見つけたぞ! なぜ武闘大会に現れなかった! 最後まで貴様と出会わないまま優勝してしまったではないか!」
「せい」
「ぐひょ」
「誰だ今の。つい殴っちゃったけど……まあいいか」
時には不審者に絡まれたので撃退したり。
そんな平穏な日常を過ごし、現在は収穫祭の前日となった。
「フラーゼのところに剣を取りに行く?」
「ああ」
朝食を食べ終え、トモヤ、リーネ、ルナリアの三人でくつろいでいる最中。
リーネから言われた言葉をそのまま繰り返すと、彼女はこくりと頷いた。
「彼女に私の剣の強化を依頼してからもう20日ばかり経つ。もう間違いなく完成してあるだろうから、そろそろ取りに行こうと思ってな」
「なるほど。けど明日は収穫祭だぞ? 楽しまなくていいのか?」
「いや、収穫祭が終わればここからドワーフの国に移動する人が増えるだろう。そうなる前に行って戻ってこようと思ってな。案ずるな、急げば収穫祭が終わるまでには戻ってこれるはずだ」
「それもそうか……けど、それなら俺がマッハで取りに行ってもいいけど」
「いや、自分の剣のことだ。自分で責任をもって確認したい……それに、君には君のしなければならないことがあるのだろう?」
「……そうだな」
リーネの言葉の意味を理解し、トモヤは神妙に頷き、そして小さく笑った。
トモヤの目的は既にリーネには伝えてある。
だからこそ、今トモヤから言えることはたった一つ。
「お互いに、できることをやろう」
「ああ、そうだな……ちなみにルナは私が連れて行く」
「待て、聞いてないぞそれは」
「君が簡単にルナの添い寝権を賭けるのが悪いんだ。一日ばかり、私がルナを独占させてもらおう」
「ふざけるなよっ、ルナ、お前も何か言ってやれ」
「帰ってきたら一緒におまつり回ろうね、トモヤっ」
「……まじかー、いやそれはそれで楽しみだけど」
純粋無垢なルナリアの笑顔の前には、トモヤはそれ以上言葉を紡ぐことはできなかった。
負け惜しみというわけではないが、何度かルナリアの柔らかい頬を両手でむにむにとつまんでおく。
「むぅー、どうひはの? ともや?」
「いや、離れる前にルナ分の補給をと思って」
「んー、何をいっへるのかよく分かんないけど……えいっ!」
「うおっ」
すると、突然ルナリアは勢いよくトモヤに向け飛び込んでくる。
トモヤは咄嗟にその小さな体を受け止めた。
ローブ越しにでも分かる、華奢で柔らかな体。
輝く白銀の髪から漂う甘く優しい香りがトモヤの鼻腔を刺激する。
その辺りに意識を取られていると、ルナリアはぎゅーっとトモヤを抱きしめ、さらには顔を胸にすりよせ嬉しそうに言う。
「えへへぇ、じゃあ、わたしもトモヤ分ほきゅう、だよっ」
「もう一生離さない」
「ただの変態じゃないか」
そんなやりとりの末、リーネとルナリアはフラーゼのもとへと旅立っていった。
「……さて」
外に出て二人を見送った後、トモヤは一つ大きく息を吐いた。
今日もまた日課がある。シアのもとに行かなくては。
「……トモヤ様」
不意に、後ろから名前を呼ぶ声がしたため振り向くと、そこには少し遠慮した様子のメルリィが戸から顔を覗かせるように立っていた。
青色の髪が、彼女の瞳の前で不安げに揺れる。
「メルリィか、どうしたんだ」
「いえ、特に用があるというわけではないのですが……今日も、お姉さまのところに?」
「ああ、そのつもりだけど。ついてくるか?」
「い、いえ、私は明日の収穫祭の準備を手伝わなくてはいけないですし、大丈夫です。ただ……」
メルリィはどこか言い辛そうにその場で体をもじもじとさせる。
先を促すでもなくじっと待ち続けるも、最後に彼女が言ったのは。
「いえ、なんでもございません。頑張ってきてください」
「ああ。今日こそあいつを泣かせてくる」
「そんなことは決して望んではいないですが……」
そんな、ありきたりな言葉だった。
町は賑わいを見せ始めている。
トモヤたちが辿り着いた時には、ほとんど地元のエルフ族しかいなかった。
しかし収穫祭が迫るにつれ、徐々にドワーフの国や東大陸から観光客が訪れてきているのだ。
多種多様の存在に溢れている街並みは、なんとも異世界然としている。
そのような感想を抱きながらも、トモヤはお馴染みとなった世界樹に辿り着き、風魔法を使用して遥か上空まで飛んでいく。
魔法の力加減にも、もう慣れた。初めは間違えて世界樹のてっぺんを超えてしまうことすらあったが、今では的確にシアのいる地点に辿り着ける。
練習を重ねることで熟練度が増し、失敗をしなくなる――そんな当たり前のことを、ふとトモヤは考えていた。
トモヤの纏う風に影響してか、そこにいたシアの長髪がふわりと靡く。
しかし彼女もこのような状況に慣れてしまったのか、振り向くことすらせず弓を構え続ける。
一日ごとにわざわざ修復している的に向け、何本も矢を放っていた。
その光景を眺めながら、トモヤは異空庫から以前創った弓を取り出し――
「じゃあ、勝負するか」
「…………」
言って、弦を引いた。
「よし、初めて一本当たったぞ」
10本目の矢が的に刺さったことを確認すると、トモヤは弓を下ろしながら少しだけ浮ついた声で喜びをあらわにする。
とはいえ、シアは当然のように10本全てを射抜いているため、勝負としてはトモヤの惨敗だった。
「いやー負けた負けた。けどこの調子なら明日には俺の勝ちかもしれないな」
「…………」
「お前も、俺に負けた時の言い訳を考えておくんだな」
「……それは、無理な話」
「ん? まあたしかに明日には無理かもな。けどそのうち、絶対に勝ってみせ」
「そういう、話じゃない」
重々しい声で発せられる言葉。
枝葉の隙間から射す陽光を纏い輝く青の長髪を揺らしながら、真剣な眼差しでトモヤを射抜く。
決して、冗談を言うような振舞いではなかった。
「あなたがどうして、勝てもしない勝負にこだわるのか。それは知らない」
じっくりと、一言一言を噛み締めるように口にしていくシア。
彼女の前で、トモヤも静かにその言葉を聞き届ける。
「ただ、一つ言わせてほしい。もう、迷惑」
そして彼女は――紡いで、言った。
「今日も私が勝った。だから命令、伝える――もう、勝負は受けない。あなたも、私に勝負を挑んでこないで」
そんな、拒絶の言葉を。
「…………」
これまでシアはいやいや勝負を受けることはあっても、真正面から拒絶することはなかった。とうとう、心から嫌気が差したということだろう。
始めに賭けを申し出たのはトモヤの方だ。ゆえに、当然この申し出を断ることはできず――
「ああ、分かった。もう、俺から勝負は仕掛けないよ」
――トモヤは、素直にそう頷いた。
トモヤ「ただし、世界樹まで会いに来るなとは言われてない、と」
リーネ「ただのストーカーじゃないか」




