58 彼女の覚悟を、二人は信じた
「大変だぁあ! クラーケンスライムが出たぞぉぉおお!」
その叫びが響き渡った瞬間――海水浴場にいる者達は例外なく阿鼻叫喚の反応を見せ、海から離れるように駆け出していく。
「嘘だろ!? ここには魔物が出ないんじゃなかったのかよ! それもクラーケンスライムって!」
「そんなことを考えるより今は逃げるべきよ! 悲鳴はあっちから聞こえたわ! 早く!」
「命を賭けてでもこの場に残るべきか……どうするべきなんだ、くそぅ!」
人々の顔に張り付いたのは紛れもない恐怖。男性の顔にはまるで自分に死が迫ったかのような恐怖が、そして女性の顔にはどちらかというと暴漢に襲われているような焦りがあった。
そして中にはその場に突っ立って葛藤の表情を浮かべる男もいる。何がどうなっているか訳の分からない光景だった。
「ッ、何をしているトモヤ! 早く逃げるぞ! ルナもだ!」
そんな人々の様子を眺めていると、リーネから激しい叱咤が飛んでくる。
彼女もまた他の女性と同様焦っている様子だった。
クラーケンスライム――名称からして間違いなく魔物だろう。それもスライムというトモヤにとってRPGなどで馴染み深い存在だ。通常、旅の初めに出てくる最弱を代名詞とするような魔物。実力者であるリーネが恐れている理由がトモヤには分からなかった。
「リーネ、クラーケンスライムってのは一体――」
瞬間、ザパァンという海が波立つ音が盛大に響いた。
トモヤは反射的にそちらに視線を向け目を疑った。
「なっ」
海から姿を現したのは城ほどに巨大な、ぎょろりとした二つの赤色の目を持ったイカのような頭に、タコの様な触手を持った透明の生命体だった。
鑑定自動発動――《クラーケンスライム》。Bランク中位指定。たしかに強力な魔物と言うことは出来るだろうが、決してトモヤやリーネが遅れを取る相手ではない。故に、余計にリーネの焦った様子が理解できなかった。
そう考えていると、突然クラーケンスライムは動きを開始する。
陽光を反射する透明な触手、それも通常のイカやタコと違い30本ほどもありそうな物を、次々と人々に向け伸ばしていく。
「ッ! 空斬!」
トモヤの動きは早かった。
反射的に創造を発動、剣を創る。剣術・空間魔法を併用発動、空斬を放ち触手を断ち切る。
ただそれでも咄嗟に対応できるのは10本程度だけだった。それも斬られた部分から新しい触手が次々と生えてくる。
残りの触手は無残にも人々を襲っていく。その触手に弾かれた男性は弾丸の様な勢いで吹き飛び、女性に関しては……弾かれるのではなく、なぜか触手が女性の体をまさぐるように巻き付いた後、その触手の中に取り込まれていった。
「これはまたマニアックな――じゃなくてまずい、このままじゃあの人たちが!」
少し場違いな思考を無理やり頭から追い出し、トモヤは現況の把握に努める。
クラーケンスライムの中に取り込まれた女性たちは、まるで水中で溺れ、息が出来ないかのようにもがいている。さらにはそんな状態のまま、なぜか触手から頭の部分まで女性の身体が運ばれていく。
もしそれがクラーケンスライムの意思によるものなら、頭にまで辿り着いた時に何が起きるのか分からない。すぐに彼女達を助けなければならない。そう思い行動に移そうとしたトモヤがさらなる驚愕に目を見開くのは、次の瞬間だった。
「なっ……水着が、溶けてる!?」
そう、クラーケンスライムの中で溺れる女性達が身に纏う水着がどんどんと溶けて、とうとう生まれたままの姿が露わになっていった。動揺する間にも他の女性たちがどんどんと触手の中に取り込まれ、男性は例外なく弾き飛ばされていく。
「これは子供には見せられない!」
「ふえっ? くらくなったよ!」
そんな光景を見て、トモヤは反射的に剣を握っていない左手でルナリアの視界を遮った。ただ女性の裸があるだけならルナリアが見ても問題はないのだが……スライムの中にいるという状況も相まって、ちょっと子供が見るにはえろすぎた。
「くっ、こうなってしまえばさすがに見捨てる訳にはいかないか!」
「ッ、リーネ、あの人たちを助ける手段があるのか? というかそもそも、あの魔物は何なんだ?」
「アレはクラーケンスライム、通称・女性の天敵と呼ばれている魔物だ! 男性は触手で弾き飛ばし、女性はその身の中に捕らえ、着衣を溶かし裸にするんだ!」
「……へ、へぇ。いや、まあいいか。それで、このままの状態が続いたらあの人たちはどうなるんだ? 衣服だけじゃなく、その体まで溶かされるとかは――」
「そういったことは起きない! 暫くして満足すると解放してくれる。ただ、あの中は人間が呼吸することは出来ない。このままだと、解放された時には呼吸困難で死ぬ者も出るかもしれない!」
「な、なるほど。とにかく助けなくちゃいけないってことだな」
結局何がしたい魔物なんだと思わないこともないが、とりあえず現状の解決に思考を割くことにする。
「それで、どうすれば倒せるんだ? 触手を斬ってもすぐ生えてきたけど……」
「何を言っているんだ、敵はスライム種だ。核を壊さないことには何度倒そうとも復活する……頭の部分に銀色の球体があるだろう、アレが核だ!」
言われて視線を向けると、赤色の目の奥に確かにサッカーボールサイズの銀色の球体があった。
アレを壊さなければならないということはトモヤにも分かったのだが……さらなる問題があった。
「くそっ、取り込まれた人たちが壁になって、遠距離攻撃ができない!」
そう、核を遠距離から直接狙おうとしても、他の人々を巻き込まずに攻撃を当てられる自信がトモヤにはなかった。これまで困ったときは常に力技で解決していたことの弊害だ。
(直接飛び跳ねて核に接近するか……? いや、それも結局、飛んでいった先に人が現れたらぶつかってしまう。そうか、だからクラーケンスライムは、核を守るために取り込んだ人を核の周りに運んでいるのか)
一つの疑問は解消できたものの、根本的な解決にはならない。
トモヤがこの場所からクラーケンスライムに攻撃することはできない。中に取り込まれている女性が直接核を攻撃してくれればいいのに……そう考えて、トモヤははっと閃いた。
「そうだ! 俺がアイツにわざと取り込まれて、それで核を破壊しにいけば!」
それなら、他の人を攻撃に巻き込む心配はなくなる。
そう思ったトモヤだったが、いいやとリーネが首を横に振った。
「それは不可能だ、言っただろう、クラーケンスライムが取り込むのは女性だけだ。男性は触手で弾かれるだけ……トモヤならばそうそう吹き飛ばされはしないだろうが、それでも吸収されないことには相違ない」
「ッ、ならどうすれば……」
「簡単な話だ。君ではなく――女性である私がいけばいい」
「――――ッ!」
リーネの真意に気付き、トモヤは大きく目を見開いた。
「そんな……けど、それは! もしお前がクラーケンスライムに取り込まれたら他の皆のように……」
「それ以上は、言わなくてもいいんだ、トモヤ」
そっとこちらを向いたリーネの翡翠の瞳が、じっとトモヤを射抜く。
そこに込められていたのは確かな決意。
そして、優しい笑みだった。
既に砂浜に残された意識ある人々はトモヤ達だけだった。
女性は例外なくクラーケンスライムに取り込まれ、男性陣はなんか気絶してる。
クラーケンスライムがさらなる獲物を求めて伸ばす触手の数々をトモヤが片手間で空斬を放ち防ぐ中――二人はお互いの思いを汲み取っていた。
「……いくのか?」
「うん。それが、私だけに出来ることなのだから」
「覚悟は、出来ているんだな?」
「ああ」
その作戦を実行した先に待っている地獄、当然リーネがそれを理解していないはずはない。
それでも迷わず頷く彼女を見て、トモヤは思った。
リーネを、信じたいと。自分には起こせなかった奇跡を、きっと成し遂げてくれるはずだと。
「分かった、なら俺はせめて、俺の思いをお前に託すよ」
「これは……」
トモヤは右手に持つ剣をそっと差し出した。
リーネの剣は宿屋に置いたままで、今はこの場にない。
たったいま創造で生み出しただけの剣だけど、きっとリーネの力になってくれると信じて。
「ありがとう、トモヤ。君の思い、確かに受け取った」
そう言ってリーネは剣を受け取った。
そしてクラーケンスライムに向かい合う。
遥か彼方まで広がる大海に、立ちはだかる巨大な魔物。
それを前にして剣を構えるリーネの後ろ姿を見て、トモヤの瞳は少しずつ潤んでいく。
「リーネ、俺は信じてるから! お前なら出来るって! 成し遂げられるって!」
「ああ――任せろ」
リーネは空いた左手を横に伸ばし、ぐっと親指を立てる。
そしてとうとう、砂浜を力強く蹴り駆け出した。
勇敢なその様から目を離すことは決して許されない。
「……私も、みるよ」
「ルナ?」
小さくて、けれども強い意志の籠った声が聞こえた。
次いでトモヤの左手をルナリアの小さな両手がぎゅっと掴み、ゆっくりと自分の顔から引き離していく。
そして潤った碧眼でトモヤを見上げる。
「私も、リーネのがんばるとこ、みるから。みなくちゃいけないからっ!」
「ルナ……ああ、そうだな。一緒に、見届けよう」
ルナリアの覚悟は本物だ。
トモヤが差し出した右手に、ルナリアの左手が重なる。
二人は手を繋ぎながらリーネの努力に視線を移す。
「はぁぁぁあああ!」
リーネは赤色の長髪を靡かせながら、身体にまとわりついてくる触手をその剣にて断ち切り、その断裁面に自分から突っ込んでいった。
一瞬息が詰まったかのように表情をしかめるが、必死に耐えながらクラーケンスライムの中を核まで移動していく。
その途中に彼女が纏う黒色の水着が溶けていき、白く滑らかな肌が惜しみなく露出されていく。それでも止まることなく、リーネは真っ直ぐ突き進む!
「いけ」
「いけっ」
トモヤとルナリアの声援に応えるように、とうとうリーネは核のそばにまで辿り着く。
リーネはそのまま力強く、手に持つ剣を振るった!
「「いっけぇぇええ! リーネぇぇぇえええ!」」
それを見た瞬間、二人の声援はさらに熱を増す。
二人の叫びは重なり、そして。
リーネの剣が核を斬った瞬間、世界は眩い光に包まれていった――――
いやさっさと目を逸らせよと思った貴方。正常です、これからもそのままの貴方でいてください。
もっとしっかり見て詳細に描写して! ほら早く! と思った貴方。私と握手しましょう。
リーネとトモヤのやりとりに感動した貴方。異常です、まじドン引き。相手ただの服を溶かすスライムだぞ。




