53 自覚
あれから数十分後。
ようやく我を取り戻したリーネは改めてモルドと会話を再開していた。
「あ、兄上達の意向は理解できました。きちんと確かめなかった私も悪いとは思います。ですが、それでもやはり、もっとちゃんと数々の不可解な行動の理由は説明してほしかった!」
「そ、それは本当に申し訳ないと思っている。すまなかった」
「うっ、そう謝られてしまえば私の方からこれ以上文句は言えませんが……うん、勝手に勘違いして家を飛び出したことについては謝ります。ごめんなさい」
「っ、なら――」
「ですが、やはり家に戻ることはできません」
先程までとは一転、毅然とした態度でリーネは告げる。
「私にはトモヤやルナといった大切な仲間が出来ました。今は彼らとの旅が心から楽しいと感じています。これからもずっと続けていきたいと思っています。ですから……家に、戻ることはできません」
「……そうか。なるほど、その眼は本気だな。よし、相分かった。その旨を私の方からお父様や弟達に伝えておこう」
「感謝します」
頭を下げるリーネを優しい目で眺めた後、モルドは次にトモヤに視線を向ける。
「トモヤくん、見ての通りリーネは色々と抜けたところのある子だ。これからもどうか、彼女を支えてやってほしい」
「なっ、兄上、なぜトモヤにそのようなことを――」
「知ってます、任せてください」
「なぁっ!?」
兄とトモヤの会話を聞き、リーネは面白い反応を見せる。
そんな彼女たちのいるテーブルに小さな影が飛び出す。
「私もいるよ! 私にも、リーネのこと、任せてね!」
「君はたしかルナリアさんだったかい? そうだね、君にもリーネのことをよろしく頼もうかな」
「うん! がんばる!」
それは、天真爛漫な笑みを浮かべるルナリアだった。
その元気な姿を見てちょー可愛いとトモヤは思った。
(――はっ! まさかこれが、モルドさん達がリーネに対して抱いていた思い!?)
トモヤはモルド達を理解することができた。
今なら盃だって交わせそうだ。
「それでは、私はこの辺りで失礼しよう」
「そうですか……家に戻らないとは言いましたが、いずれ顔を出すくらいはしようと思います。父上等にもそうお伝えください」
「了解だ。お父様達もとても喜ぶだろう。たぶんリーネが帰ってきた時用に城が1つ建つ」
「そんなに!?」
まさしく規模が違う喜びようだった。
「それで、時にトモヤくん」
「はい、なんですか?」
続いて、モルドの視線はトモヤに向けられた。
「リーネとは、どこまで進んだのかな?」
「――――ッ」
「なぁっ!?」
「……?」
「きゃっ!」
その言葉にトモヤ、リーネ、ルナリア、アンリがそれぞれの反応を見せる。
トモヤは無言で目を見開き、リーネは赤面し、ルナリアはきょとんと首を傾げ(天使)、アンリは両手で頬を押さえていた。
「この、バカ兄上!」
「ごふっ!」
最終的に、モルドはリーネの拳にやられた。
いい奴だったよ……
◇◆◇
「ふー」
宿屋の前でモルドを見送った後、リーネは小さく深呼吸をした。この一時間の、彼女の心を揺れ動かす様々な出来事が終わり、ようやく落ち着きを取り戻したのだろう。
そして、リーネはゆっくりと隣にいるトモヤの方を向く。
「それにしても本当に驚いたぞ。色々とな」
「お疲れ様。今日はもう休むか?」
労いの言葉をかけてから、トモヤは宿の中を指差しそう尋ねる。
だが、リーネは首を横に振った。
「いや、それなんだがな……トモヤ」
「ん?」
彼女は翡翠の双眸を真っ直ぐトモヤに向けて言った。
「付き合ってくれないか?」
「――――ッ!?」
「修練に」
「…………」
「待ってくれトモヤ、どうして無言で宿に戻ろうとするんだ」
宿の扉を開けるトモヤの腕の裾を、リーネが焦った様子で掴む。
振り向くと、そこには上目遣いでトモヤを見つめるリーネの姿があった。
……何だかなぁ。と思いつつ、トモヤは身体の向きを再びリーネに向けた。
「俺は悪くない。全部リーネが悪い」
「な、なんでそんな急に冷たい態度をとるんだ? トモヤ? トモヤさん?」
「……冗談だ。気にしないでくれ。それで、何で修練なんだ?」
「むぅっ」
人差し指で軽くリーネの額を押し、トモヤはそう尋ねた。
リーネは右手で額を押さえ「何なんだ君は……」と頬を膨らましつつも答える。
「兄上と話していて思い出したんだ、自分より強い者を相手に鍛えていた時のことをな。空間斬火に目覚めてからは、正直戦闘時にそれほど困ることはなかった……久々に、昔のような鍛え方をしてもいいとは思わないか?」
「その相手として俺を選んだと?」
「うむ、そうだ。ぜひトモヤに付き合ってもらいたい」
「…………」
「あいたっ。な、なんでまたデコピンするんだ!?」
「……なんでだろうな」
リーネに顔色を見られないように顔を逸らしトモヤはそう答える。
横目で見るとリーネが不思議なものを見るような表情をしていた。
そんな表情を見てしまえば、もう断ることなど出来ない。
「まあ、うん。分かった。付き合うよ」
「そうか、ありがとうトモヤ!」
「………はぁ」
「なぜそこで溜め息!?」
そして、リーネとトモヤは場所を第二区画に移し修練を行うこととなった。
黒く乾燥した大地。少し冷やりとする風。
そんな環境の中で、一組の男女が激しく木剣をぶつけ合っていた。
「はぁっ!」
「――――」
リーネが地に切っ先が触れるような構えから力強く振り上げた剣を、トモヤは驚異的な反射速度で横に跳び躱す。
しかしそれだけではリーネの猛攻は終わらない。二撃目、三撃目と剣撃が迫り、躱しきれない幾つかの攻撃は手に持つ木剣を翳し、カンッと高く鳴り響く音と共に防ぐ。十数回続く連撃のうち、少しの隙を見つけたトモヤは、しかし攻撃するほどの隙ではないと判断し後方に跳び距離を置く。
「空斬!」
「そういう作戦かッ」
しかし、どうやらリーネはその対応すら読んでいたようで、離れた箇所から斬撃を飛ばす。
普段なら防御ステータスに頼って防ぐが、今回の目的とは反するためその方法はとれない。トモヤはリーネと同じ構えをとり空斬を放った。二つの斬撃が接触し、旋風が吹き荒れる。
風はトモヤの目にも飛び込んでくる。怪我を負うものではないと理解していながらも、長年の経験から反射的に目を瞑ってしまう。再び目を開けた時、既に決着はついていた。
「私の勝ちだな」
「……参った」
喉元に添えられた木剣の切っ先を見て、トモヤは素直に自分の負けを認める。
攻撃・魔攻・敏捷ステータスを50000にして、つまり先の戦いで平均ステータスが35000になったリーネよりずいぶんと強く調整したはずなのに、結果としては全く敵わなかった。
「やはり、トモヤ程の実力者が相手ともなると緊張感が全く違うな」
リーネは木剣をトモヤから離し、そう言った。
「いや、俺の攻撃なんて一つもリーネに当たらなかったんだけど」
「それでもだ。君の攻撃を一撃だけでも浴びれば敗北する。それだけで恐ろしいことなんだ。強力な魔物を相手にする時と似た感じだな」
「そういうもんか……で、この修練はちゃんとリーネのためにはなったのか?」
「もちろんだ。相手になってくれてありがとう、トモヤ」
そう言って、リーネはその場で地べたに座る。そんな彼女を眺めていると、ふとトモヤは気付く。
修練によってかいた汗によって、リーネの着ている布地の服が彼女に張り付き、身体のラインをしっかりと主張している。靡く燃えるような赤色の髪も相まって、艶やかな雰囲気を醸し出していた。
無意識のうちに、トモヤは固唾を呑み込んでしまう。
そんな中、リーネは自分の横の地面をぽんぽんと叩きトモヤに告げる。
「どうしたんだ? トモヤも一緒に休もう」
「あ、ああ。じゃあ失礼して……」
激しく鼓動する心臓を自覚しながら、ゆっくりとリーネの横に腰を下ろす。
「…………」
「…………」
しかし座ったはいいものの、新たな会話が生まれることはなかった。
気まずいような、もしくはむず痒いような、そんな不思議な空気が流れていく。
そんな中でふと少し前のことをトモヤは思い出した。
「ありがとな」
「ん? 何がだ?」
突然の感謝の言葉の理由がリーネにはよく分からなかったらしい。
「いや、さっきリーネがモルドさんに言ってくれたことだよ。俺やルナと一緒にいると楽しいって言ってただろ?」
「なんだ、そんなことか。構わない、心から思っただけのことだ」
「だからこそだよ。本気でそう思ってくれているからこそ、俺も嬉しく思えたんだ。だって俺も、リーネと一緒にいれて、すごく楽しいからさ」
「……そ、そうか、うん、そうか。トモヤも私と同じなのか。そうかそうか、うん!」
「そうかって今4回言ったぞ」
「か、数えなくていい!」
茶化すようなツッコミに顔を赤くするリーネ。
そんな彼女の姿を見ていると、心の中に湧き上がってくる不思議な感情があった。
「トモヤ」
その感情が何かを理解するよりも早く、リーネの声が耳に届く。
視線をそちらに向け――トモヤはぐっと言葉を呑み込んだ。呼吸すらも忘れた。
リーネは微笑んでいた。普段は少しだけ鋭い翡翠の瞳からは優しい意志を感じ、すっと通った鼻梁や、桜色の唇、きめ細やかな白い肌――今までも見てきたはずのそれらがトモヤの心を揺さぶる。そしてリーネはその微笑みのまま口を開いた。
「こちらこそ、ありがとう。どうかこれからも、ずっと私と一緒にいてほしい」
それがトドメとなった。
その時初めて、トモヤは自分が抱いている感情の名前を知った。
「ああ、もちろん」
だからこそ、トモヤは心からそう応えた。
好きな人と一緒にいたいと願うこと。それは当然なことのはずだから。
「そろそろ戻ろうか、リーネ」
「ああ……ん?」
先に立ち上がり、トモヤはリーネに向かって右手を差し伸べる。
それを見たリーネは少しだけ不思議そうな表情を浮かべた後、頬を朱に染め左手を伸ばす。
2人の手は静かに繋がり、ぐっと引っ張るとリーネの華奢な身体が起き上がる。
トモヤとリーネは微笑み合い、何気ない言葉を交わしながら歩いていった。
まだどちらも告白すらしていないという事実に震える。




