120 月と地 終
心からの思いを告げられるのは、ルナリアが眠っている時だけ。
けれどそれだけで十分だった。
自己満足だろうと空虚であろうと、何だってよかった。
その小さな幸せをただただ宝物のように噛み締める。
本当は分かっていた。
そんな日々が永遠に続くことはないと。
終わりの瞬間はいとも呆気なく訪れた。
――ルナリアがミューテーションスキル・神格召喚に目覚めた。
ヘリオスの力を以てして、名称以外は解読すらできなかったスキル。
テラリアの持つそれとは違う、正真正銘ルナリアにしか使用できない人智を超えた力。
そのような力を持つ存在を、ヘリオスが許すわけがなかった。
「あの者は殺す。それは確定事項だ」
一切の迷いもなくそう言い切ったヘリオスを前にして、今度ばかりはテラリアも素直に退くわけにはいかなかった。
覚悟を込めて、わずかに震える声でテラリアは言う。
「……もし魔王様がそのお言葉をを実行に移されるのでしたら、私は自害します」
「なんだと?」
「どうか、お考え直しください」
まさかそのような条件を出してくるとは思わなかったのだろう。
ヘリオスは驚いたように目を見開いた。
テラリアにとってもその申し出は賭けだった。
これまで様々な新しいスキルを生み出しヘリオスに存在を証明することである程度の貢献はしてきた。
自分がいなくなることで、研究にいくらか不都合は生じるはずだ。
しかしミューテーションスキルを持つ者の排除に比べたら、その程度些細なことだとして切り捨ててしまわれる可能性もあった。
「なぜ、それほどお前があの者にこだわるのかは未だに理解できぬな」
結論から言ってしまうと、テラリアは賭けに勝利した。
ヘリオスは一度だけため息をはいた後、条件と共にルナリアの殺害を止めると誓った。
けれどその条件は、想定以上に厳しいものだった。
中央大陸からルナリアを追放すること。
それが魔王の出した条件だった。
自身の手で殺せないのであれば、せめて目の届かぬ場所に追いやれということだろう。
ルナリアほどの幼い者が一人きりで生きられるわけがない。
けれどヘリオスがこれ以上配慮してくれるわけがない。
ここまで意見を変えてくれただけでも奇跡のようなものなのだ。
「…………」
ルナリアとの別れの瞬間が、刻一刻と迫っていた。
「…………」
「…………」
テラリアとルナリアの二人は、南大陸に広がる森の中で立っていた。
このまま彼女の手を握ったまま二人きりで逃げ出せたらどれだけ幸せだろう。
けれど、そんなことをヘリオスが見逃すわけがない。
本当は獣族が暮らす集落までルナリアを連れていきたかった。
だがヘリオスはそれすらも許さない。
人のいない場所に置き去りにしてくるようスキルを用いて命令されたのだ。
その命令に逆らうことなどテラリアの実力ではできるわけがない。
ルナリアも自分がなぜこんな場所に連れてこられたのか察しているのだろう。
光の失った瞳には虚空が映し出されている。
それは一体、何に絶望してのものだろうか。
確認する余裕なんてものは当然なく、テラリアは膝をつきルナリアに向き合う。
「ルナリア、知っての通りここでお別れです」
「……うん」
「手を出してください」
「……こう?」
膝を曲げ、差し出された小さな手を握る。
幼い少女が幸せに生きられるようにと祈りながら、二つのスキルを使用する。
一つ目のスキル――魔物隔離。使用した者より劣る魔力を持つ魔物が襲ってこなくなるようになるスキルだ。テラリアは自分の魔力でルナリアを包み込むことで、彼女を守る。
そしてもう一つのスキルを使用する。
そのスキルの名は、信愛――ルナリアのことを信じ、愛してくれる者に巡り合えるよう運命に干渉するスキル。
ヘリオスすら知らない、テラリアだけの持つ力。
自分では無理だった。だけどきっといつの日か、ルナリアを心から愛し守ってくれる者が現れてくれるはずだ。その存在に、自分の思いの全てを託す。
さあ、お別れだ。
体が引き裂かれそうな程の痛みに耐えながら、テラリアは告げる。
「……さようなら、ルナリア」
「………」
ルナリアは何も言わなかった。
震える瞳でテラリアを見つめるだけ。
これから自分に訪れる苦難を想像し、不安を覚えているのだろうか。
けれどきっと大丈夫。
暫くは辛い日々を送ることになるだろう。
けれどいつか貴女だけは、幸せに生きられるようになれるから。
テラリアはゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がると、ルナリアに背を向け歩き始める。
彼女に言葉をかけるのはこれで最後になる。
だから、我慢することができずに小さく呟く。
「幸せになってね、ルナ」
それさえ叶えば、自分が産まれたことにも意味があったと思えるから。
どうか、彼女の未来に幸福がありますように。
「――――――!」
最後に何かを叫ぶルナリアの声はもう、テラリアの耳には届かなかった。
◇◆◇
ルナリアとの出会いから別れまでの出来事を思い出したテラリアは、数刻前に出会った青年の言葉に思いを馳せる。
彼、トモヤは言ってくれた。
ルナリアは元気に楽しくやっていると。
その言葉だけで、全てが報われるようだった。
テラリアが願った、ルナリアを信じ心から愛してくれる人物が目の前に現れたのだから。
そして何より、彼女が幸せに暮らしていると聞くことができたのだから。
だけどいつだって、幸福は突然壊されるものだから。
「――――ッ」
ドンッ、と。
耳を劈くような爆発音とともに、自室の扉が中に飛び込んでくる。
その奥にいた人物を見たとき、衝撃のあまり言葉を失う。
普段は魔王の間に呼び出された時しか姿を見ることがないヘリオスが、そこに立っていた。
そして告げる。
テラリアを絶望の底に突き落とす言葉を。
「あの無能を処分する。そのためにはまず、お前を――」
もう、逃れられない。
世界はこんなにも残酷だ。




