119 月と地 中
一生をかけてルナリアを守る。
そんなテラリアの誓いは、呆気なくヘリオスによって壊されることとなった。
「ならぬ。それは許せぬ」
ルナリアの世話係を申し出たテラリアに対し、返ってきたのはそんな言葉だったのだ。
こうなるのではないかと想定はしていた。
それでも今回ばかりは引き下がるわけにはいかない。
勇気を振り絞りテラリアは顔を上げる。
「なぜでしょうか? 私が魔王城から出てはいけないということ以外、どのような行動も制限されていなかったと記憶しております」
「制限どうこうの話ではない。お前程の者が、あのような無能に時間を割くことが無駄だと告げている」
「無能……?」
あれほど幼い少女が、なぜそのように言われなくてはならないのか。
テラリアの憤りに気付いてか、ヘリオスは嘲笑うようにして口を開く。
「当然であろう。ステータスは貧弱、保有スキルも特別優れたものはなく、特筆すべきは神聖魔法などという魔族に反する力のみ。将来的に従順な配下となる可能性がまだ残っているため生かしてはいるが、期待は薄いであろう。あの者の心の在り方は、我等とは大きく異なるようだからな」
そんなことは分かっている。
だからこそテラリアは彼女に惹かれたのだ。
こんな真っ暗な世界で光に出会えたのだ。
それをもう、手放したくなんてなかった。
「話は終わりか? ならば出ていけ。研究の邪魔だ」
「……いいえ、終わってなどいません」
「なに?」
これまで、魔王に協力しろという命令以外には従ってきたテラリアの反応に、ヘリオスは怪訝そうに眉をひそめる。
「魔王様、貴方が何と仰られようと、私は決意しました。彼女を、ルナリアを守ってみせると」
「ルナリア……? その名はまさか」
「はい、私が彼女に与えました」
「――――ッ」
瞬間、空気が変わった。
重力が何倍にもなったかのように、圧倒的な重圧感が襲い掛かってくる。
その現象の発信源であるヘリオスの表情は、これまで見たことのないような歪な笑みを浮かべていた。
「……面白い」
続けてヘリオスは不可解な感想を漏らした。
「お前が特定の者にそれほどの興味を持つとはな。よかろう、特別に許可する」
「――――」
正直、衝撃を受けた。
ヘリオスがこれほど簡単に自分の言葉を受け入れるとは思っていなかった。
だが、彼が何を思って許可を与えたのか、すぐ気付かされることとなる。
「代わりに、条件が二つある」
「条件?」
「そうだ。テラリア、お前のミューテーションスキル、スキル創造を我の研究のために使用せよ。それがまず一つ目だ」
「…………」
反応も返さないまま、静かに続きを促す。
まだ想定内だ。もともとヘリオスが食い下がるようなら交換条件として提案しようと考えていた。
ルナリアと出会った瞬間、テラリアの優先順位の頂点に彼女が君臨したのだ。
例えやがて世界が壊れる結果になろうとも、今ルナリアを守ることの方が大切。
迷うことはない。
それほどの覚悟を持っていたからこそ、その他の二つ目の条件が気になった。
「そして二つ目、お前があの者に対し家族として接するのは許さん。世話をするまでなら目を瞑るが、度を過ぎた献身と愛情を捧ぐ様子が見えたなら、我があの者を殺す」
「――――ッ」
一瞬、理解ができなかった。
あまりにも受け入れがたい条件だ。
自分がルナリアに対してとめどなき愛情を捧げることを制限されるなどとは思ってもいなかった。
反論したかった。
そんなことは受け入れられないと。
しかし、ヘリオスの鋭い目を見て察する。
この条件だけは覆すことができない。これまではある程度話を聞くつもりがあったヘリオスに、一切の躊躇がなくなっている。
一体何をそれほど警戒しているのだろうか。
先ほどヘリオスが告げた通り、ルナリアは力のないただの少女だ。
ヘリオスに不満を与えるようなことをするとも、できるとも思えない。
それなのに何故ヘリオスはルナリアを警戒し――いや、恐れているのだろうか。
理由は分からない。
質問しても無駄だということだけが分かる。
ゆえに、答えは一つしか残されていなかった。
「かしこまりました。そのように致します」
こうして、テラリアはルナリアの養育権を勝ち取った。
これまで最低限ルナリアを世話していた、テラリアより年下の女魔族にその旨を伝えると、あからさまにほっとした表情を浮かべていた。
それだけを確認し、テラリアはルナリアのもとに向かった。
扉を開けると、中にいた幼い少女がぱあっと表情を輝かせて駆け寄ってくる。
「おねえちゃん!」
その小さな体を抱きしめたい衝動にかられた。
けれど、必死の思いで衝動を抑える。
膝を曲げ、ルナリアの両肩に手を置くことでその動きを止める。
「おねえちゃん、ではありません」
「……ふえっ?」
「私はテラリアです。それ以上でも以下でもありません。呼ぶ時はテラリアと呼び捨てで構いません。分かりましたか?」
「…………」
言葉の意味が理解できないだろうか。
それも仕方のないことだ。昨日と今日で言っていることが180度異なっているのだから。
それでもこうするしかなかった。
胸の痛みを掻き消すべく唇を噛み締め、ようやく平常心を取り戻し口を開く。
「分かっていただけるよう、何度もお教えいたしますので心配はいりません。これからルナリアの世話は私がしますのでご承知ください」
「……ルナ」
「えっ」
ぎゅっと、テラリアの服の袖を掴みながらルナリアは小さくそう零した。
咄嗟のことに理解が追い付かず、返答ができないでいると、ルナリアは泣き出しそうな顔でテラリアを見上げて言った。
「ルナ。よぶときは、ルナだよ」
「――――」
それは昨日、テラリアが彼女に教えたばかりの言葉だった。
それをまるで宝物のように大切に扱い、譲れないと訴えかけてくる姿を見て、目にじんと痛みが走るのが分かった。
ああ、いけない。このままだと、涙が零れる。
せっかくの覚悟が、一瞬で水の泡になる。
誤魔化すようにテラリアは立ち上がった。
「それでは、いくつか約束事を決めましょうか。その方が都合がいいでしょう」
「…………」
ルナリアはそれ以上、自分の思いを主張することなく。
ただ一方的に、テラリアの言葉を聞き届けるばかりだった。
そんな日々が、何の意味もなく過ぎ去っていく。
何年も何年も、何かを与えてやることもできないまま。
――――ああ、自分は一体、何がしたかったんだろうか。
ふと、そんなことばかりが頭を過るようになった。
自分はどうしてルナリアと一緒にいたいと思ったんだろうか。
ただ守ることができれば、それでよかったのだろうか。
本当は顔を合わせて笑いたかったんじゃないだろうか。
おねえちゃんと呼んでほしかったんじゃなかっただろうか。
ルナと、気さくに呼んであげたかったんじゃなかっただろうか。
分からない。
自分には分からない。
何も、何も、何も、何も。
何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も何も――――
「おねえちゃん」
――――苦悩が、苦痛が、絶望が、たった一言で掻き消えていくのを感じた。
「ルナリア……?」
視界の下にいるルナリアは眠っていた。目じりに涙が滲んでいるのが見える。
彼女はただ、夢の中でそう呟いただけなのだろう。
けれど、それだけで満足だった。
それだけで自分がルナリアの姉だと認められている気がした。
絶望は耐えられた。だけど希望の感情だけは抑えることができなかった。
未だ眠るルナリアに向けてテラリアは告げる。
言い訳と欺瞞の殻を被った、心からの言葉を。
彼女が眠る、いまこの瞬間だけはと――
「――愛してるよ、ルナ」




