115 灰色
トモヤはこれまで心の内に秘めていた疑問を口にする。
するとこれまで怒りと憎しみを見せる以外、冷静さを保っていたヘリオスの瞳に僅かな動揺が生じた。
「ルナ、だと……? まさかあやつのことか……!」
言葉から、彼女の存在を認識自体はしているようだと判断する。
詳しい事情まで聞く時間はなかったが、やはりルナリアの言った内容は正しいのだろう。
――魔王ヘリオスは、ルナリアの父親なのだ。
「なぜ、あの愚者のことを貴様が知っている……? いや、その感情の発露、怒る様。なるほどそうか、そういうことか。くくく、くはははは!」
ヘリオスは何が可笑しいのか高笑いする。
その笑い声を聞くたびに、トモヤの内側から抑えきれようもない怒りが沸き上がるのを感じる。
「何を、笑っている」
「これが笑わずにいられるものか! 貴様の言葉を認めよう。確かにミューテーションスキルを持つ者など我にとって嫌悪と侮蔑の対象でしかない。故に、あの愚者も捨てた。この城より追い払った後、人知れずその命は尽きているかと思っていたが、あろうことか他者に拾われ愛情を受けるまでになっているとはな……ああ、実に滑稽だ」
「お前……ッ!」
「よいぞ、面白い。心より笑ったのは久方ぶりだ。運が良かったな、貴様。心が満ちたゆえ、此度はこれで見逃してやろう……世界を滅ぼしたいというのならば、話は別だがな。くく、くくく」
今すぐにでも、湧き上がる衝動のままに魔力を放ちたかった。
だけど、その裏側にいる冷静さを保ったままの自分がトモヤを制していた。
トモヤとヘリオスが全力で戦った後の未来に訪れる幸福は一切ないと。
爪が皮膚に突き刺さるような力で拳を握りしめているのに、痛みはない。
歯がすり減りそうなほどの力で噛み締めているのに、ただ無意味な音を鳴らす。
揺れ動かされているのはあくまで感情のみ。
トモヤとヘリオスがお互いに攻撃を仕掛けられるとすれば心だけだ。
けれど、トモヤはまだヘリオスのほとんどを知らない。
どうすれば彼の尊厳を傷つけることができるのかも分からない。
お手上げだ。
せめて釘を刺しておくことしかできない。
「――ヘリオス」
怒りを抑え込み、できるだけ感情を排した声で宣言する。
「もしお前が俺の大切なものを傷つけたらその時は、“世界を壊してでもお前を殺す”」
「……ほう」
互いに理解した上で避けようとしているタブーを冒してでも。
それほどまでに彼女たちの存在は大切なものになっているのだ。
ヘリオスとてこの世界が滅ぶことは望んでいないはずだ。これで下手に動くことはできないだろう。
こうなってしまっては、トモヤがここに残る理由もない。
衝動を抑えながら踵を返す。
この広間から出ていくための扉に視線を送り、そして気付いた。
――そこには灰色の女性がいた。
薄い灰色の髪が、すらりと腰下まで伸びる。
透けるような白い肌に、整った鼻梁。
深海がごとき深い青色の瞳は一切の光を映さない。
彫刻を彷彿とさせる、人の手によって造られた無機質な美しさ。
(――思い出した)
確かにトモヤがこの広間に足を踏み入れた瞬間から彼女はいた。
意識的に視界に入れないようにしていたため忘れていた。
よくトモヤとヘリオスの戦いの中で無事だったものだ。
彼女が纏う無地のローブには汚れ一つついていない。
(――違う、今大切なのはそこじゃない)
ようやく思考が感覚に追いつく。
彼女を始めてみたときの既視感の理由に思い至ったのだ。
そう、彼女は少し似ている。
きめ細やかな白い肌も、青色の瞳も。
そして何より、頭から伸びる二本の黒い角も。
ルナリアが正しく成長すればこうなるであろう姿が、そこにはあった。
「お戻りになられるのですね。お見送りいたします」
思わず言葉を失っていたトモヤに対し、灰色の女性は告げる。
トモヤははっと我を取り戻す。
「……貴女は一体」
「こちらです」
女性はトモヤの問いに答えることなく、広間の扉を開ける。
トモヤと女性の順番で廊下に出ると、彼女はすっと前に出て歩き始めた。
二人分の足音を鳴らしながら、無言の時間が過ぎゆく。
そしてとうとう出口に辿り着く。
改めて外から見る魔王城は巨大で、荘厳な雰囲気を纏っていた。
つい先ほどまであの中で戦闘していたのだと考えたら、少しだけ不思議な気分になる。
「それでは、私はこれで失礼いたします」
一礼した後、女性は踵を返し城の中に戻っていく。
その後ろ姿を見て、どうしても呼び止めなければならないと感じた。
「待ってくれ!」
「なんでしょうか?」
顔だけを振り向かせ、彼女はそう尋ねてきた。
感情を排した深い青色の眼を向けられると、出かかっていた言葉が喉で止まる。
それでもトモヤは振り絞るようにして訊く。
「貴女の名とルナリアとの関係を聞きたい」
「名前はともかく、なぜ、その者と関係があると?」
「それは……直感だ」
咄嗟に誤魔化したものの、本当の理由は分かっているのだろう。
彼女は青色の瞳でじっとトモヤを見つめた後、おもむろに口を開いた。
「私の名はテラリアです。少し前まではルナリアの世話係でした」
「テラリア……世話係……」
その回答には違和感を覚えた。
想定していた答えとは違っていたからだ。
世話係というよりはむしろ――
「質問には答えました……こちらからも、一つお尋ねしてよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
――テラリアの言葉によって意識が呼び戻される。
彼女に視線を向けると、これまでとは少しだけ違う姿があった。
逡巡するように何度も小さく口を動かしており、目にも僅かな迷いの色が見える。
先ほどまでの無機質な印象とは全く異なる。
「ルナは……ルナリアは、元気ですか?」
その言葉からは、どこまでも小さな少女を気遣う心を感じた。
ただの世話係から出てくるとは思えない。
二人の本当の関係など分からない。それでも、この問いにだけは真摯に答えなければならないと思った。
「ああ、元気に楽しくやってるよ」
それは誓いも含めた回答だった。
トモヤはルナリアに幸せな人生を送ってほしいと思っているし、そのためならば努力も惜しまない。
その思いが伝わったのだろうか。長年の苦悩から解放されたかのようにテラリアの表情が緩んだ。
「ああ、よかった」
その心からの呟きを聞いて、トモヤは覚悟を決めた。
「貴女も俺達と一緒に来ませんか?」
「それは、どういう?」
「ルナと貴女を会わせたいんです。きっとルナも喜んでくれると思うから」
しかし、テラリアの表情は曇る。
「大変申し訳ございませんが、その申し出には頷けません」
「……なぜ」
「ここに残ることが、私の使命だからです」
言って、テラリアは小さく微笑む。
トモヤにはどうしても、その笑みが心からのものには見えなかった。
けれど、トモヤにテラリアの意思と行動を変える権限はなかった。
何を言うべきか答えが出ないままのトモヤに対し、テラリアは告げる。
「どうか、正しき選択を」
それがどういう意味を持っているのかは分からない。
ただ一つ確かだったのは、トモヤはその言葉に頷くことができなかったということだけだ。




