109 弱者
◇◆◇
ユウ達は扉を抜け部屋の中に入った。
巨大な広間の奥には玉座があり、そこには一つの人影があった。
漆黒のオールバックに、感情のない無機質な瞳、そして額から伸びる二本の長い角が特徴的な、精悍な顔つきの男だった。
外観が窺えるのは顔だけだ。それ以外の部分は、まるで外気に触れるのを拒絶するかのごとく鎧を全身に纏い、さらにその上から赤黒いマントを羽織っている。
「……来たか」
その男はユウ達を一瞥すると、底冷えするような声でそう呟いた。
否が応でも、場の緊張感が高まる。
彼こそがきっと、ユウ達が倒さなければならない世界の脅威――魔王なのだ。
覚悟は既にできている。
ただ、戦いを始める前に訊いておかなければならないことがあった。
「幾つか、貴方に問いたい」
「続けろ」
ユウの言葉に対し、魔王はそう返した。
ふぅと小さく息を吐いた後、ユウは告げる。
「まず一つ、貴方がこの世界で人々を苦しめる魔王で正しいか?」
「……ふっ。“人々”か」
その言葉のどこがおかしかったのか、魔王は小さく冷笑する。
「我にとってすれば、我以外の者どもなど塵芥に相違はないが……貴様らから見た者どもが人々と呼ぶのであれば、その問いには頷かざるを得ないな」
「っ、ならどうして人々を苦しめる!? 貴方にそんな権利があるとでも思っているのか!」
「貴様はどこか勘違いしているのではないか? 我に者どもを苦しめる権利があるのではない。初めから貴様ら風情に、我の行為を拒絶する権利が存在しないのだ」
「ッ!」
あまりにも自然な物言いに、ユウはようやく理解できた。
魔王にとってみれば、人々の人権など最初から存在してないも同然なのだ。
自分の行うことは正しく、絶対で。そんな価値観の中で生きてきたのだろう。
だからこそ、反省も後悔も罪悪感も、人が当然持つべき感情を知らないまま。誰かの心に想いをはせるなどということもしないのだ。
もし、この男がこのまま悪逆非道を続けるというのなら。
倒さなければならない。それが、ユウのすべきことなのだ。
だけど、その前に聞かなければならないことはもう一つだけあった。
「最後に一つ。貴方は魔法に詳しいと聞く。そこで問いたい、貴方は“ここではない世界に渡るための魔法”を知っているか?」
それは、原初の目的。
ユウ達が旅をする理由の一つは、魔王によって苦しめられる人々を救うこと。
だがその前提として、旅の末にユウ達が元の世界に戻るための手段が存在しなければならない。
だからこそ、ユウはそう尋ねたのだが。
「……!」
対する魔王の反応は、想像していたものとは全く違った。
これまでのように興味なさげに答えるのではない。目を大きく見開き、続けて喜びに耐え切れないとばかりに口角をにっと上げる。
「そうか。やはり、そういうことだったのか」
「……何故、笑う?」
「ふっ、これが笑わずにいられるものか。ふっ、ふふふ……面白い」
歪んだ笑みを浮かべながら、ゆっくりと魔王は立ち上がる。
「……ッ」
「なにこれっ!」
「きゃっ」
「……なんて威圧感」
ただそれだけで、ユウ達に与える恐怖は規格外のものだった。
魔王の身から溢れる魔力によって、気概までをも失いそうになる。
その光景を見下ろしながら、魔王は告げる。
「貴様らの目的は理解した。では、そろそろ戦いを始めよう」
「ッ、その前に、今の問いの答えは……」
「そんなことなどどうでもよい。どちらにせよ、戦いに勝った者が、敵の所有する全てを略奪できるのだ。単純であろう」
「……ああ、分かったよ」
魔王を倒さないことには情報を聞き出せない。
そう理解したユウは後ろにいる三人に視線を送り頷き会った後、ゆっくりと剣の柄に手を添えた。
そして、とうとう、その剣を抜いた。
「さあ、いこう」
そこにあるのは、黄金の輝きを秘めた一振りの剣。
フレアロード王国、王都のすぐ傍にある迷宮。
選ばれた者しか入ることのできないその場所で、強力な魔族との戦闘の末に手に入れた最強の聖剣――エクスカリバーだ。
そして、戦いの火蓋が切られた。
「…………」
たった一人の、灰色の観客と共に。
黄金に輝く魔力の奔流が、暗い室内を駆け巡る。
大気そのものを浄化させながら舞う剣閃が魔王に迫る。
「……無駄だ」
が、その全ては魔王が軽く翳した手の前に呆気なく霧散する。
全く通用していない。
だが、まだだ。
「結衣、理子、美穂、頼む!」
「うん!」
「ええ!」
「分かったわ!」
背後に待機していた三名は、それぞれの持つ最大火力の魔法を放つ。
ユウ達のパーティは前衛がユウ一人、後衛が残り三人という構成だ。
その理由としては、前衛を務めるユウの実力が圧倒的だということもあるが、またユイ達が非常に強力な魔法の使い手だということもある。
魔力を練り込むには十分な時間が必要だが、条件さえ揃えば地形を変える程の威力を持つ一撃を放つことができる。
火炎の龍が、水流の蛇が、雷の巨鳥が猛烈な勢いで魔王に襲い掛かる。
「――――」
その数と勢いを前に、魔王は防御する構えを取る暇もなく直撃を浴びた。
接触地点を中心に猛烈な旋風が吹き荒れる。腰を落とさなければ簡単に吹き飛ばされてしまいそうになる。室内の壁や床は砕け、暴れるように室内を飛び交う。
馬鹿げた火力。これまでにこの攻撃を受けて無事だった魔物などいなかった。
だが――今目の前にいるのは、最強の魔王。
「……この程度か」
風が吹き止んだ時、そこには傷一つない魔王が立っていた。
「いや、まだだよ」
けれど、その程度は想定内とばかりにユウは小さく呟いた。
剣を握る手に、力を込める。
「魔力よ、集え」
そう唱えた瞬間、大気中に漂う魔力――ユイ達が放った魔法の残滓が、エクスカリバーのもとに集う。
エクスカリバーの最大の能力。それは大気に漂う魔力を吸収し、束ねて放つことだ。
つまり先ほどのユイ達の魔法は魔王を倒すためのものではなく、吸収するための強力な魔力を生み出すためのものだったのだ。
三者の力がエクスカリバーに集う。さらにそこにユウ自身の魔力を惜しみなく注ぎ込み、今にも暴発せんばかりの輝きを放つ。
そして、そんな剣を使いこなすことができるのが、ユウという存在だ。
「神器適性、発動」
自身の持つスキルをも利用し、そして――
「リヒト・ラディーレン!」
放った。
黄金に輝く魔力の奔流――そう称することもおこがましい。
それは、許しだ。死だ。
全ての悪を滅ぼす、絶対の光。それを前にし耐え忍ぶことができるものなど、きっとこの世界のどこにもいない。
それは眼前に佇む魔王も同様。否、これまで数えきれないほどの悪事を犯してきた魔王だからこそ、その威力は何百倍にも跳ね上がる。
そう、思っていたから。
絶対に、これで勝てると思っていたから。
「拍子抜けだな」
「えっ……がッ」
その光の中を悠然と歩く魔王の存在を認めるのに時間がかかり、その間に彼の手が喉元を掴んでいた。
ガントレットの冷たい感触が、喉に当たって気持ち悪い。
何より、それはいつでもユウの命を奪えるという証明に他ならなかった。
「ユウ!」
仲間の声が聞こえる。
だけど、そちらに意識を割くことなどできない。
目の前に立つ魔王の冷たい瞳がユウを射抜いていたから。
「これで終わりか。あまりにも想像以下だった。いや、しかしまあこんなものか」
期待外れだと、まるでそう言いたげだった。
「我に敵う者などこの世にはいない。それは真理であり絶対の法則だ。それが崩されることなどありえない。そんなことは理解していた。否、“そうでなくてはならない”」
「……」
「まあ、よい。終わらせるとしようか」
ユウの喉を掴む左手とは反対の右手を、ぐっと腰元に溜める。
その殴打を喰らえば、ユウは一瞬で死ぬだろう。
(ここで、終わる、のか……?)
嫌だ。ふざけるな。
終わる訳になんて、いかない。
「まだ、だ……」
「何?」
「まだ、終わっていない……!」
そう、この戦いで、使ってない力が一つだけある。
その力には代償があって、これまで極力使うことを控えてきた。
けれど、今使わなければ負けるというのなら?
その代償をも、乗り越えてみせよう。
「――英雄化、発動」
「むっ」
それは、禁断のスキル。
自らのステータスの限界を底上げするものだ。
レベルが1上がるにつき、上がるステータスは2倍。
そしてそれは“累乗”されていく。
初めてこのスキルを使った時、レベルは3で、ステータスは2の三乗の8倍だった。
圧倒的な力で戦うことができた。
だけどスキルの強化時間が終わった時、襲い来る疲労や苦痛は並大抵のそれではなかった。
40キロの重さまでしか持てない人間が、ドーピングで無理やり320キロの物を持ったといえば分かりやすいだろうか。元の体では耐え切れない程のものだったのだ。
それこそが代償。
初めて能力を使った時は、たった8倍で、数日は身動きが取れない程の痛みが襲い掛かってきた。
そして今、ユウが保有する英雄化のレベルは10。
2の10乗――1024倍。
能力を使い切った時に訪れる苦痛は、きっとユウの命を奪うに等しいものだろう。
それでも、今、戦わなくてはならないから。
だから。
「ぁぁぁあああああああああああああ!」
「ッ」
叫び、無理やりに魔王の拘束を逃れた。
体中に力が溢れてくる。
制限時間は、たった一分。
だけどたった一分だけなら、ユウは人類の最強に至る。
ユウの元のステータスは全て100万。それにかけた数字を計算し、静かに唱えた。
「――ステータス・オール1024000000(10億2400万)」
だけどその考えに、一つの間違いがあったとするならば。
「……そうか」
目の前に立つ、この魔王という存在が。
「よいぞ、“人間”。その覚悟を認め、特別に見せてやろう」
「何をだ……?」
もはや、人類と呼んでいい存在ではなかったことだ。
「これをだ」
言って、魔王は高らかに手を掲げる。
そしてどういう原理か、空中にステータス画面が現れる。
どうやったのかなど、考える余裕はなかった。
そこに書かれていることが、あまりにも荒唐無稽だったから。
「なんだ、これは……」
そこには、こう書かれていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヘリオス
攻撃:∞
防御:∞
敏捷:∞
魔力:∞
魔攻:∞
魔防:∞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そこに書かれていたのは、本当に必要最低限の項目のみ。
だが、各ステータスの項目にかかれた∞という記号を前に、そんなことはどうでもよかった。
「む、げん……? そんなことが、ありえるのか?」
「ほう、貴様はこれを知っているか。我の推察とも同様。やはりこれは異世界の概念であったのだな……ふっ、それについては後で構うまい」
魔王――ヘリオスは満足気な表情で続ける。
「どの道、これで理解しただろう。どう足掻いたところで、貴様に勝ち目はない。我こそが絶対の存在であるのだと」
「ッ」
こんなものを見せられては、信じざるを得なかった。
だけど、それ以上に、信じたくないという思いがあって。
信じる訳にはいかなくて。
「いや、まだだ!」
だから、現実から逃げるように、ユウは剣を握りヘリオスに立ち向かう。
そんなユウに対し、ヘリオスは仕方ないとばかりにため息を吐き。
「よいだろう、人間。最後まで付き合ってやろう」
そこから一分間のことは、何も覚えていない。
次にある記憶は、自分が地に這い蹲っている場面だった。
体の限界を超えているからだろうか、既に痛みは感じない。
「時間切れだ」
その上から、ヘリオスの声が聞こえる。
自分がヘリオスに敵わなかったということだけは理解できた。
「本来ならば、このまま我が貴様たちを殺すところだが、その覚悟に敬意を表し提案しよう。我の軍門に下れ、人間よ」
「……そ、んなことを、僕が、頷くとでも?」
「頷かないのであれば、あやつらを殺す。そういってもか?」
言ってヘリオスが視線を向けた先にいるのは、意識を失ったユイ達だ。
……彼女達が殺される。それだけは、認める訳にはいかない。
例えこの身が朽ちようとも、心を折られようとも、それだけは。
もう二度と、目の前で誰かが死ぬのを見るのなんて。
だから、だから。
「……わ、かっ――」
――その破砕音は、突如として耳に飛び込んできた。
何事かと顔を上げて、そして目を疑った。
先ほどまで壁があったはずの場所に大穴が開き、外の景色が見えたから。
そして、そこには一人の姿があった。
(なんで、君が……!)
ユウの心の叫びは聞こえない。
「……ほう」
その姿を見て、ヘリオスが興味深そうに視線を向ける。
そんな彼らを前に、彼は――トモヤは悠々と部屋に跳び下りてきた。




