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ぼくはおっぱいがもみたい  作者: へのよ
序章:空の島より
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誠実なだけではもめない3

 ログハウスの横にはバーベキューセットが置いてある。


 だけど、今回は出番なし。

 今回用意したるは、ちんまりとした3つの七輪。

 そのなかでは炭が赤く燃えていて、ぼくは甲斐甲斐しくぱたぱたとうちわであおいでいた。


 夏の最後の夕日は高く空を照らしていたけれど、ログハウスから延ばされたライトがそれよりも強い光でぼくらを照らし出している。

 ライトの下にはきんきんに冷やされたビールサーバが鎮座し、風鈴が夏を忍ぶようにちりんと鳴った。


 脂の焼ける匂いが混じった煙が辺りの空気に入り交り、丹念に焼き上げたニジマスが熱にうなされる子供のように体を少しだけ反らせ、飴色を思わせる焦げ目をつくる。

 完璧だ。まさに悪魔的所業。


「でき――」


 たよ。と言い終わる前に、焼き上げたその瞬間を狙って、腕が走った。


「はむっ、はむっ!」


 そのまま頭からがぶりと口のなかに放り込まれてしまう。

 犯人は言うまでもなくお腹を空かせた犬耳少女。頬を一杯に膨らませて咀嚼する様子は餌を食むハムスターのよう。


 そうして8匹目のお魚さんを思う存分に蹂躙したメルペチカさんは「くーっ」と恍惚の表情で声をあげた。


「このでっぷりとした肉厚の白身と脂身のコラボレーション! そしてそのなかに注意深く封印された内臓の苦みが舌に触れることで訪れるギャップと深みのハーモニー! そして、煙で半燻製されたぱりっぱりの皮がもうたまらんのよ! ヘイ、シェフ。おかわり!」


「おかわり! じゃねーよ」

「シェフでもないし」

「いい食いっぷりだなぁ……これが若さか」


 三者三様の感想を聞きながら、さらに彼女はきんきんに冷やしたビールサーバーにもその魔の手を伸ばす。


「うまぁいっ! こ、これはもしかして伝説の……おビール様!?」


 ほっぺに手を当てて恍惚の表情を浮かべるその姿はまさしく、仕事にくたびれて缶ビールをあおるオフィスレディのそれであった。

 メルペチカさんの年齢?

 行間を読み取るっていう暗黙の了解は人間文明における素晴らしい文化のひとつだよね。


「さて、そろそろお話を伺ってもいいかな? えーと、メルペチカとかいったか」


 さんざん飲み食いをして落ち着いたメルペチカさんに向かって、モームさんが話しかける。


「はい! 申し遅れました。わたくし、ガッデンヘイヴのガーディアン、メルペチカといいます!」


 彼女はぴーんと背筋を伸ばして、ポーチから名刺を取り出した。


 出た! 名刺交換の儀式!

 地面に対しての90度のお辞儀は何度見ても惚れ惚れする姿勢だ。

 それに対してエリート社畜を自負するモームさんの行動は……


「ふーん、ペチカちゃんね」


 ひとさし指と中指でつまんで、つまんなさそうにひらひらと両面を見ただけだった。


 あれー?


 人間文明を代表する美しい祭事を見られると思っていたぼくは、なんか肩すかしを食らったような気分。

 だけど、メルペチカさんのほうも気にした様子もなく……それどころか、崇拝する人気アイドルグループと握手しようとする乙女のように顔を上気させていた。


「あの!」


 もじもじとしながら、両の手の指を手持ち無沙汰に絡ませる。


「あの……もしかしてモーム様は人間様であらせられるんかね?」


「「人間……様?」」


 ぼくたちは目を見合わせた。

 ――人間様様? 人間のようだってこと?

 ――いや、文脈から推定すると敬称のようだが?

 ――とりあえずめんどくさいし、適当に肯定しとけばいいんじゃね?

 

 相談終了。

 代表者として、ごほん、とひとつ空咳をしてモームさんがうなずく。


「まあ、そういうものであるようなないような……様がつくかどうかは知らんが種としては人間ではあるな」


「おおお……」


 そのため息は歓喜だった。

 人は偉大なるものに会ったときに、ただただ威の前に歓喜するしかないと聞いていたけれど、彼女が見せた感情はまさしく歓喜だった。


「うちの目の前に本物の人間様がおるけんねえ……ファンです、触らしてください!」


 わなわなと震える声とともに、了解を得る前に感極まったようにモームさんに抱き着く。


 ちょぉっっと、待ったぁぁぁあ!

 そういう役割ってさ! 普通はぼくのものなんじゃないの!?

 愛くるしい顔つき、ふさふさした手触りの毛皮!

 この作品のマスコットは断じてぼくだ。こんなくたびれたおじいさんじゃない!


 だいたい、倒れたところをつれてきてあげたのはこのぼくだよ!


「これは困ったな……なんだフルーフ、そんな表情をしおって」


 ぼくがぐぬぬ、と歯ぎしりしているのに気づいて、モームさんがちらりと視線を向けてくる。


「なんでもないよ! 別に羨ましいとか、そんなこと全然ないから!」


「そんな表情でなんでもないわけなかろう。……ああ、なるほどそういうことか。WAHAHA」


 その視線は生物的な雄としての勝利を確信した顔だった。


 ぐぬぬ!


「しかし、その人間様ってのはなんなんだ? このおっさんがそんな大した存在だとは思えないんだがね。足は臭いし、息も臭い。おまけにそろそろ禿げそうだし」


 そんなぼくらをよそに、フリートークが首をかしげる。


 よーし、もっと言ってやれ!

 これは決して悪口などという低俗に堕した悪行ではない。

 真実に基づく真摯なる暴露、すなわちジャーナリズムの根源なのだ!


「人間様はね、人間様なんよ?」


「いや、そんな不思議そうにされても……なんで様付けで呼んでるか聞いているんだが」


 言われて、メルペチカさんは、なるほどと手を打った。


「人間様はね。うちら亜人を作ったって言われとるんよ。ほかにも空気を浄化したり、魔獣を追い払ったり、あと大地を生み出したり、天を割ったり! あと、あと――」


 彼女が言う神話を要約すると以下の通りである。


 1日目に光り輝く人間様は天から降りてきて、汚染された大地を癒した。

 2日目に空気と海を浄化した。

 3日目に魔獣と悪鬼を追い払い、己を模した生物を作り出した。

 4日目に天に戻った。

 そして地上に遺された生物たちは、人間様に対する尊敬として、自らを亜人と名乗った。



 うわあ……にんげんさまってば、ちょうつおい……。

 それってニンゲンって名前の別種の生き物では?

 でも、人間文明が崩壊したのが2000年だしね。謎の神話になっちゃうのもしかたないのかもしれない。


 っていうか、これって聖書のもろパクりじゃないの? 著作権が息してないよ?

 それに、そこまでパクったんなら7日目までつくろうよ! 飽きちゃったの!?


「ほう、なるほど……ほんとに神様だったか」


 ほっぺたをぷにーっとつままれたモームさんが嘆息する。


「もしかすると、この島から出てったやつらのしわざかもな。人工生物の研究者もおった気がするし。天に戻ったというのが気になるところではあるが」


「へえ、じゃあこの尻尾ってアクセサリーとかじゃなくて本物なんだ?」


 ふりふりと揺れる尻尾はパっと見た感じ犬のよう。

 欠かさずにブラッシングされていると思わしき毛並みで、キューティクルが天使のわっかをこんにちわしていた。


 うずうず。


 ――触ってみたい。


 こういうのって耐え難い欲求だよね。

 うん、ちょっとだけ触ってみよう。

 ぼくの決断はあっという間だった。

 手のひらで優しく包み込むように、ふんわりタッチ!


「ひゃああん!」


 撫でた瞬間、しっぽの毛が逆立った。

 ぴんと背筋が伸びて、弛緩していた筋肉が一気に強張る。


「な、なにするんね!?」


「ご、ごめんなさい」


 噛みつかんばかりの勢いっていうのはきっとこのこと。犬耳な亜人さんなだけに。

 バウバウと吠え出しそうな表情は、元々のおっとりとした顔立ちと相まってそんなに怖くはなかったけれど、それでもあまりの表情の急変にぼくはしゅんとなって謝るのみだった。


「許可なく乙女のしっぽに触るなんて――ひゃあああん!」


 でも、その勢いはすぐにまた別の人が尻尾をつかむことによって霧消した。


「ほう、興味深いな。犬や猫は尻尾が敏感だと聞くが、知性を持つと性的なものとして昇華されるのか。ふむ」


 おまわりさん! ここに立場を利用して卑猥なことをしている人がいます!


 素知らぬ顔をして尻尾をなでる姿は、往年の彼がセクハラ上司であったことを易々と想像させるものだった。その手がつつーっと、さらに付け根まで伸びる。

 メルペチカさんのほうはさすがに顔を真っ赤にして……


 あ、これあかんやつだ。ってぼくは思った。

 いくら神様扱いでもやっていいことと悪いことがあるよね?


「ん、この尻尾は洗わずに家宝にします!」


 ちょっとぉぉぉ!? ぼくのときと反応違いすぎない!?

 この差はいったいなんなのさ! ぼくは断固抗議するぞ。毛むくじゃら差別反対!


 ……いや、もしかしてこれは好感度の差なのかな?

 よくよく考えてみると、ぼくってば初対面で「おっぱいもませてください」って言っちゃったしね。


 むむむ、きっとそうだ。


 こんなに愛くるしいシロクマチックなぼくが、拒絶されるわけないじゃないか。


 よーし、原因はわかった。ならばあとはPDCAサイクルに従って対処をするだけだ。


 愚者は経験から学ぶけれど、賢者は歴史から学ぶという。

 そう、図書塔でいままで詰め込んできた膨大な人間文明の知識を実践するときがやってきたのだ。


「よし、『待つ』か」


 好感度というのは、好感度イベントによって変化する値である。

 いまのぼくに必要なのは、好感度上昇イベントが発生した際に確実に最善の選択肢を選び、グッドコミュニケーションを積み重ねることに他ならない。


 完璧だな。

 女の子がいっぱいでてくるゲームの攻略本を熟知したぼくに隙はなかった。


「……」


 ぼくは待った。

 ひたすらに好感度イベントが到来するのを待った。


 モームさんとメルペチカさんが楽しそうにおしゃべりしているのを、待てを命令された従順な犬のごとき忍耐強さで待った。


「――でだな、猫というものはすなわち可愛さの権化であるわけだな」


「つまり、猫のほうが犬よりもすぐれていると。そう、おっしゃるんかね?」


 犬猫議論で白熱しはじめた二人。


 そろそろ阻害感を感じ始めてきちゃったぞ。いや、でもくじけちゃいけない。

 難攻不落のヒロインだってフラグ管理をすれば同時攻略が可能なのだ。必要なのはくじけぬ心だ、がんばれぼく。


 でも、やっぱり疎外感を感じちゃうわけで。


「おい、フルーフ。なにやってんだ?」


 くじけそうなぼくに声をかけてきたのはフリートークだった。


「見てわかんない? ちょっと好感度をかせごうと思ってね。話しかけてきてくれるのを待っているんだ」


「は?」


 眼を丸くするトカゲって結構可愛いね。

 あの2人は犬猫の議論をしているけれど、トカゲも選択に入れてあげてもいいんじゃないかな?


 ぼくがなぜ待っているかを彼に説明すると、ものすごく深いため息をつかれた。


「……オーケー、やりたいことは理解した。けどよ、それが通じるのはイケメンだけだ。そしてお前さんは残念ながらイケメンじゃない。彼我の戦闘力を見誤ったな。戦略ミスってやつだ」


「HAHAHA。フリートークってば面白いジョークを言うね。こんなに可愛いぼくに対してさ。手をぐっぱぐっぱしてあざとくアピールするぼくってばとってもイケメンじゃないか」


「カケラもイケメンじゃねーよ」


「なんと」


 この世に生を受けて10年。

 初めて突きつけられる現実はぼくに敗北感を刻み込んだ。

 現実が教科書通りにいかないなんてことはわかっていたけれど、まさか『※ただしイケメンに限る』がぼくに適用されるだなんて!


「だ、だとすればぼくはどうすればいいんだ!?」


「当たって砕けとけよ。なーに心配することはない。いざとなりゃあ力づくで……ぐふふ」


「スタアアアアップ! それ以上はいけない」


「やれやれ、しかたねえな……ちょっと待っとけ、なんとかしてやるからよ」


「フリートーク? 何をしようとしてるの?」


「ふ、お前のサポートユニットであるオレを信じろよ。なあ相棒」


 やだ、このトカゲさんってばちょっとかっこいい。


「あー、おふたかた?」


 どきどきと見守るぼくを尻目に、フリートークは議論を白熱させていた二人の間に割って入った。


「ん、どうした?」


「いやね、あの毛むくじゃらがよ、お嬢さんに歓迎のための一発芸をするって言うからちょっと見てやってくれよ」


「聞いてないんだけど、そんなこと!?」


 前振りのない無茶ぶり。

 かつての人間文明において新入社員に課せられたという刑罰がここに発生した。


「ほう。面白そうだ」


 モームさんとメルペチカさんの期待に満ちあふれた目がぼくを見る。

 でも、ぼくにはそれがこの事態をどう収束させるかをじっくりと値踏みする管理職のように見えた。


「あわわ……えっと、その……カワイイ子猫のポーズ!」


 ぐっぱぐっぱ。

 ぼくにできたのは思考を停止して、あざとらしさをこれでもかと振りまくことだった。

 お腹をさらして、手をぐっぱぐっぱ。首は45度で上目使い。ちょっと恥ずかしそうに、あどけなく、えぐりこむように媚びを売る!


 さあ反応は!?


「何をやっとるんだお前は」


 心底あきれたようなモームさん言葉にぼくの血は一気に頭に昇った。

 変な汗がぶわっと鼻を濡らして、耐えきれない恥ずかしさがこみあげてくる。


「ああああああああああああ」


 ぼくは逃げた。

 何も言わず、ぼくを優しく迎えてくれる本たちが待つ図書塔へと脱兎のごとく逃げ出してしまったんだ。


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