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ぼくはおっぱいがもみたい  作者: へのよ
序章:空の島より
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誠実なだけではもめない2

修正しました。目を倒して→目を回して

「動かんといて!」

 

 鋭い制止の声とともに、明確な殺意をもって撃たれた雷光がぼくの顔の脇をかすめた。

 すぐ後ろでぎゃっと言う悲鳴が上がる。

 悲鳴? いったい誰の?

 不思議に思って振り向いた先には、


「……鹿?」


 そこにいたのは一頭の、大きな野生の牡鹿だった。

 この山には、地上の自然の光景を思い出せるように、何種類かの野生動物が放牧されている。この鹿もそのうちの一頭なのだろう。


 その鹿は、怪我でもしているのか、お腹からは鮮血を滴らせ、頭の半分はメルペチカさんの魔法によって吹き飛ばされて脳漿を飛び散らせていた。


「離れて!」


 でも、メルペチカさんは厳しい表情でそんな鹿に銃を向ける。


 どう猛な種でもないし、立っているとは言っても死後硬直のおかげだ。その姿は弱弱しくすぐにでも倒れてしまいそうで、警戒するような理由なんて何もない。

 いったい何をそんなに慌てて――


「それは……グールなんよ!」


「グール?」


 変化は劇的だった。


 まるで人形のような不自然な動きで、ギシギシと関節が暴れまわり、肉体が爆発するように膨張した。

 物理法則を無視して膨張し、むき出しになった真っ黒の筋繊維からずるりとさらに筋繊維が生まれ、黒い体液がその石油のようにあふれ出す。

 赤い線状の光が輝きだし、それを中心に黒い毛が伸びて、あっというまにその肉塊を包み込んだ。


 ぐちゅぐちゅというくぐもった音が響く。

 そうしたグロテスクで、しかしどこか神秘的なプロセスを経て、先ほどの犠牲者とまったく同じ姿かたちをしたものが現れていた。

 

「アアアァァアアアァァァアアアッ」


 けたたましい叫び。

 叫喚とでもいうのだろうか。地獄の底から這い出てきた餓鬼のような、生ある者すべてを憎むような叫び声だ。


「うわわ……」


 ――背筋がぞくりとした。


 眼は爛々と憎しみに赤く燃えている。

 肉体は禍々しい真っ黒な繊維で構成されていて、近くで見るとその筋肉は油のような透明な滑りがある筋繊維が縒り合わさって束になり形作っているのが見て取れる。


 肉体は火傷しそうなほどの熱を持ち、相手の命を燃やし尽くしてやろうといわんばかりに、空気と触れた部分が陽炎のように揺れていた。


「ガアァァッ、ガアアアッ」


 ソレは突然の出来事に身じろぎさえもできないでぼくに、叫び声とともに掴みかかってきた。

 熱い蒸気のような吐息がぼくの鼻を濡らし、憎しみのみを映し出した深紅の瞳がぼくをいすくめようとしてくる。


 その爪はぼくの毛を貫くほど鋭くはなかったし、この程度の力でどれだけ締め上げられたとしても、びくともすることはない。


 それでも、ぼくを戦慄せしめたのは――これほどに生命というものに対して憎悪を抱くものがこの世に存在してもよいのか、という感情だった。


「こ、この!」


 その瞳に爪を突き立ててもソレは怯みもせず、首をわしづかみにして引きはがしても、その腕はぼくの生命を握りつぶすための動きを止めなかった。

 その顔を岩にたたきつけると、石のように硬質の深紅の眼球がひび割れ砕けた。

 それでもなお、細胞の一片にいたるまで命を奪おうと動き続けたけれど、やがて目の赤い輝きが失われると、動かなくなった。


「……はぁ、はぁ」


 死んだ。

 間違いなく、死んで、動かなくなったはずだ。

 

 しかし、


「まだなんよ!」

「アアアァァァァアアア!!!」


 まるで巻き戻しのように引きちぎったはずの筋繊維が修復され、ぐちゃぐちゃになった顔をもあらたに形作ると真っ赤なルビーのような硬質の眼球がふたたび輝きだす。


 ズタズタになって死んだはずの死体が、まるで出来損ないのホラー映画のように唐突に起き上がって動き出し、地獄に引きずり込もうといわんばかりに、その腕を伸ばしてくる。


 たぶん、冷静になればどうってことのない相手なんだろうけど、あまりにも身の毛のよだつ光景に、ぼくは気圧されてしまう。


「あわわ」

「やあああああああああ!」


 でも、その爪がぼくを襲うよりも早くメルペチカさんの短槍の一撃がその目を貫いた。


 今度は呪文はなかった。

 でもこれも魔法の道具なのか、その目を貫いた槍の切っ先が黄金に輝き、光が毒のようにグールの肉体を駆け巡る。


「アアアアァァァ……」


 その輝きが全身を一巡したとき、グールは力ないうめき声を上げて地面に倒れ伏した。


 今度こそ死んだ。

 チョンチョンとつついてみるけど動きはなくて、ようやく緊張の糸が切れてぼくは大きなため息をつく。


「はぁ……」


 でも、今わの際に見せた執念が、ぼくの脳裏にべたりと気持ち悪く張り付いていて、なんだかちょっとフワフワした嫌な気分。


「……これは?」


 ようやく落ち着きを取り戻しはじめたぼくはフリートークに尋ねた。この島の生物であるならば、きっと知っているはず。

 でも問いに答えたのはメルペチカさんのほうだった。


「それはグールなんよ。

 生命を糧に増殖する邪悪な鬼。世界にあふれた悪意の結晶。いままでこの島にいなかったのなら……ごめんなさい、きっとうちが連れてきちゃったんね」


「悪いやつなの?」


 少なくとも正義の味方には見えなかったけれど。

 メルペチカさんは首を縦に振った。


「いま、地上はグールであふれかえっていて、毎年いくつもの街が襲われて滅んでいるんよ」


彼らがどこからきて、何を目的としているのかもわからない。ただ、本能のままに生きとし生けるものを襲い、殺した相手をグールに変えて増殖し続けているのだ、とメルペチカさんは語った。


「……地上の世界じゃそんなことが」


 ぼくは少し恥ずかしくなってしまった。

 だって、地上の世界は危険なままで、彼女たちはそんななかで生きているっていうのに、ここで平和に暮らしているぼくが退屈だなんだと愚痴っていたんだ。


「こいつはほんとに生物なのか?」


 死体を検分していたフリートークが尋ねる。


「炭素繊維で構成されてはいるようだが、さっきの変化を見せられるとちょっと、な。ナノマシンの群体か、あるいは地上の汚染と科学が結びついたクリーチャーって言われたほうが納得できるぜ」


「ナノマシン?」


 なにそれおいしいの? って言いたげにメルペチカさんが首をかしげた。地上じゃもうあまり見ないのかな?


「めんどくさいから説明はパス。こいつはこのまま放っておいてもいいのか? ウィルスだとか汚染だとか不安なんだが」


「それは、もうすぐわかるんよ」


「なんだと?」


 フリートークがその返事に眉根を寄せると同時、ぶわっとグールの身体が白い粉末に変化していく。


 毛も肉も、血液さえも。まるで急激に風化するように、水分を失った白い粉末へと変わり果てていく。その速度はすさまじく、ぼくたちが驚いている間に、全身くまなく粉末に変わって、人型のなにかがいた、ということがわかるだけの白い塊となってしまった。


 それはまるで聖書のなかで神様の怒りに触れて、塩の柱になった都市を彷彿とさせる光景。


「……まるでソドムとゴモラだな」


 フリートークもぼくと同じことを思ったらしい。

 じゃあ、これって塩なのかな?


 爪の先でつまんでペロっ。むむ、これは。


「あっまーい!」


 すっきりさわやかしゃっきりスウィート!


「ってブドウ糖だ、これ!」


 塩と思って舐めてしまったから、口のなかに違和感となって甘さが広がってしまう。


 別名グルコース。

 単糖の一種。動植物が活動するためのエネルギーとなる物質で、生物としての必需品のひとつだ。


 とは言っても、骨や肉を構成するその物質そのものではなく、死体がブドウ糖へと変化してしまうなんていうのは世の中の摂理に反している事象のはずだ。そもそも、鹿の死体がグールになるなんていうことが、ありとあらゆる法則に逆らっているのだけれど。

 

「「ああああああああああああああ!」」


 叫んだのはフリートークとメルペチカさんの両方。


「何舐めてんだお前! どんなウィルスがはいってるかわからねーんだぞ!?」


「あわわ、早くペッてするんよ! ペッって!」


 ふたりしてぼくの喉のあたりをつかんで、吐き出せ、と言わんばかりにぐいぐいと引っ張る。


「やめて! 喉をわしゃわしゃしないでっ! ほんと、ただのブドウ糖だからこれ!」


 農業を舐めてはいけない。

 農薬には毒薬にもなる物質が含まれている。そんなことはきわめて当たり前のことで、法律的にも毒物劇物取扱者の資格をもっていなければならない。

 いわんや、万能農業用作業ユニットであるぼくは、さらに上級の農薬肥料ソムリエの資格を有しているのだ。

 

「そんなぼくがヒ素や青酸カリはもちろん、ブドウ糖の味を間違うはずがないじゃないか。農業万歳!」


「……ほんとかよ?」


「嘘だと思うなら、ちょっと舐めてみなよ。ほら!」


「「ノーサンキュー!」」


 訝しげな表情の2人に、ぼくが粉末を掬って差し出すと、2人とも光の速さで首を横に振った。


 そんなに全力で否定しなくてもいいじゃないか。

 手持ち無沙汰になったぼくはもう一度手の中のブドウ糖を舐めとった。

 今日は4時間くらいずっとハイキングコースを登ってきたので、体のなかにカロリーが染み入るのを感じる。

 むむ、もう一つかみ!


「混じりけのないブドウ糖って癖になる味だよね」


 つまんでペロっ。つまんでペロっ。

 なんだか手が止まらなくなってきちゃったぞ!

 

 ぼくがブドウ糖をひたすら舐めていると、


 ――ぐーっ。


 と、どこかでお腹の音がした。

 どこかって? 発信源がどこかはわかりきっているじゃないか。


「甘くてとってもおいしいよ?」


 ぼくはもう一度、メルペチカさんにブドウ糖を掬って差し出した。


 考えてみれば、川に落ちてここにいるってことは、たぶん食事も満足にとってないんじゃないかな?

 いつ船から落ちたのかはわからないけれど、ダムの調子が悪くなったのは昨日って言ってたから、お腹が減っていても不思議じゃない。


「さあ!」


「ぐ……ぬぬ」


 躊躇するメルペチカさんに対して、ずずいっとさらに一歩。


「甘くてとってもおいしいよ!?」


「ぐぐ……ぬぬぬ……」


 もう一度、ぐーってお腹が鳴って、メルペチカさんがゆっくりと震える腕でぼくの手の中にある粉末に手を伸ばす。

 第三者が見たら麻薬中毒者のような光景。つまりそれはもう一押しってことだ。


「さあ!」


「あ、甘いもの……エネルギー……」


「さあ! さあ!」


「……でも、やっぱりダメーーっ!」


 でも、ぼくの腕は拒否されてしまった。

 押しのけられた腕のなかの、ざらりとした粉末が風にさらわれて飛んでいく。

 地上でも、こうやってグールの死体は風に溶けて世界を巡るのだろう。そして、いつか草木の栄養素となるのだ。もしかすると人類がいなくなった後の新たな食物連鎖の法則として成立しているのかもしれない。


「ああ……でも、カロリーが足りない……きゅー……」

 

 風に運ばれていったグールの痕跡を感慨深く見送ったぼくの横で、メルペチカさんがきゅーっと目を回して倒れた。



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