誠実なだけではもめない1
「魔獣がしゃべった?!」
ぼくと少女の会話は動転を多分に含んだ言葉から始まった。
オーケーオーケー。この反応は予測の範疇。
こんなこともあろうかと、普段から出会いの脳内シミュレーションを繰り返しているぼくに隙はなかった。むしろ想定していたパターンのなかでも好ましいほうだと言ってもいい。
そういうわけで、この突然の出会いに対してぼくは冷静そのもので、それどころか動揺をあらわにする少女に向かって優しく微笑むだけの余裕があった。
そう、ぼくは冷静で、そして紳士なのだ。
毒リンゴを食べて眠っているお姫様を発見しても、いきなりキスするなどという暴挙に出ない程度に紳士なのである。
だから、ぼくは優しくこう言った。
「おっぱいをもませてください」
ぜんぜん冷静じゃなかった!
ぼくったらなんてことを口走ってるんだろう!
その出会いはコンピュータウィルスのように唐突で、ぼくの口からはアドウェアのように思わぬ益体のないセリフが飛び出していた。
――女の子をエスコートするための更新プログラムをインストールしますか?
答えはもちろんイエス!
……よーし、一人芝居をしてたら落ち着いてきたぞ。
再び満を持してもう一度声をかける。ぼくは紳士。ぼくは紳士。
「おっぱいをもませてください」
――更新プログラムの適用に失敗しました。
ガッデム!
森のくまさんだって、はじめは「お嬢さんお逃げなさい」から始めるというのに、ぼくときたら何を口走っているんだろう。
おっぱいVSお嬢さん。
確かにお嬢さんにはおっぱいがついているし、はじめも音も「お」つながりだけどさ!
どっちのほうが紳士的かと聞かれれば森のくまさんに決まってるじゃないか!
「だ……大丈夫?」
ぼくが自分の感情の処理能力の低さに頭をかかえてジタバタと悶えていると、女の子のほうが心配そうにのぞき込んできた。
ぎゃー! 近ぁい!
絶対的な距離としては別に普通だけど、相対的な距離としては近ぁい!
だって考えてみてほしい。
木星くらいに遠いと思っていたものが、月くらいの場所にきゅっと近づいてきたんだ。
映画がハリウッドで、インディペンデンス号は宇宙のかなたで、ぼくの心はマルマゲドン!
ちなみに月はかわいいです!
「なにやってんだお前」
そんなぼくに手を差し伸べたのはフリートークだった。
計測が終わったのか、背中に白いタブレット端末を乗せて、のんきにこちらに歩いてくる。
過去に、これほど中年トカゲの存在が頼もしく思えたことがあっただろうか。いやない。
少女はフリートークを見とめると、さっきと同じように目を見開いた。
「トカゲもしゃべった!?」
「ん、ははーん……侵入者っていうのはお嬢さんのことだな。どこからきた? 名前は? 飴ちゃんあげようか?」
「お……おおお……」
平然といつも通りにしゃべるフリートークにぼくは羨望のまなざしを隠せなかった。
対して女の子の方はいまだ警戒の表情。きょろきょろと油断なく腰の長銃に手をかけている。
「……ここは、どこなんよ?」
「ここはソラン重工製大シェルター【天空島】の八番島。通称はフールビル。ようこそ、人間文明の棺桶へってな」
「天空島!? ここが!?」
ナイスリアクション!
って言いたくなるくらいに少女の犬耳がぴこんと跳ねて、しっぽが興奮にぶわっとなる。
きょろきょろとあたりを見渡す姿はまるでプレーリードッグのよう。
でも、その興奮はすぐに冷めてしまったようだった。尻尾も耳もしゅんとなってしまう。
「なんか……思ってたより普通なんよ?」
ここはダムの底。四方八方山に囲まれているわけで、眼下に望む空も見えないからね。仕方ないね。
「その様子だと外からの来訪者ってところか? オレたちの姿に警戒するのもわかるがね、どっちかってーとお嬢ちゃんのほうが侵入者で不審者なんだぜ? なんならお巡りさん呼んで判定してもらおうか? 拘置所っていう快適なホテルにご案内ってな」
少女はフリートークのとげとげしい言葉にちょっとびくっとしたけれど、その言に一理あると思ったのか、やがて一枚の紙片を取り出し、ふかぶかとお辞儀をした。
「も、申し遅れました。わたくし、株式会社ガッデンヘイヴのガーディアン見習い、メルペチカといいます。あ、これ名刺なんよ」
Oh……ジャパニーズオジギ!
うやうやしく掲げられた紙片は、名人の切り出した刺身を思わせるピシっとした緊張感。
紙片をかかげる姿は神に祈る敬虔な巫女のようであり、何度も繰り返されてきたと思われるその滑らかな動作は、受け継がれてきた伝統を静的な造形美として完成させていた。
これはもしや……名刺交換?
それは、かつての人間文明において、社会人が必ず身に着けていたといわれる儀礼であったという。
ぼくもモームさんに厳しく伝授されていたけれど、まさか2000年という時間を経てもいまもなお社会通念として守り続けられていたとは。
背筋をまっすぐに伸ばし、足先をそろえ、腕は腰の横に。背中を曲げるのではなく、腰から上半身を倒すように!
「コレハゴテイネイニドウモ。ぼくはフルーフと申します。以後よろしくお願いいたします」
その紙片を両手で受け取り、記載を確認する。
金色の緻密な文字でガッデンヘイヴと箔押しされた、流麗な筆の文字で名前が記述されている立派なものだった。
フリートークもぼくの肩によじ登り、横からその記載内容を確認する。
「ふーん、ガッデンヘイヴ……ガーディアン……ねえ? オレのデータベースにはない名前だが……。それで? そのガッデンヘイヴさんがなんでこんなところに?」
「……川に落ちたんよ」
「は?」
メルペチカさんはじわっと涙をにじませた。
「ガッデンヘイヴに向かう船に乗ってたらグールに襲われて、魔法をつかってバババってやっつけたけど船から落っこちて、川に落ちて助かったと思ったら、今度は滝つぼに飲み込まれて……」
「ふーん。知らない言葉ばっかりだが、なるほど事情はわかった。地上には取水用の転送装置があるからな。おおかた誤動作でもしたんだろうよ」
フリートークは聞きたいことを聞いて少女に対して興味を失ったようだった。
だけど、ぼくはメルペチカさんの言葉のなかにキラキラと宝石のようにまばゆく光る単語があったのを聞き逃さなかった。
「魔法!? 地上の世界には魔法があるの!?」
メルペチカさんは「魔法を知らんの?」って首をかしげると、やがてふひっと笑った。
「だったら……じゃっじゃーん、見るんよ! これが魔法を使うための道具――銃型ワンドなんよ!」
ひょいと腰のベルトから抜き出して、手渡してきたのは、ずんぐりとした鈍く黒光りする長銃だった。
錆はないけれど、ちょっとでこぼこしていて田舎の猟友会の猟銃のような朴訥とした雰囲気があって、砲身を覗き込むと、ライフルリングとは違う小さな模様がびっしりと刻み込まれているのが見えた。
「ふーん、この模様が? よくわからないけどすごいんだね」
「そう! すごいんよ! これはなんとガッデンヘイヴの正規品でね、旧式だけどSFPリアクターの虹彩が他社製品に比べて――」
「……あの、メルペチカさん?」
なんか変なスイッチがはいっちゃった!
彼女は戸惑うぼくに構うことなく、『立て板に水』って言葉がぴったりのすごい勢いで語り出す。
「フリュリュ・ドゥエリの魔法理論が正しいとすれば、すなわちアストラル・ウィッドの発展こそが次世代の魔法の基盤技術として――」
……ガーディアンってセールスマンのことなのかな?
延々と続くセールストークはマシンガンのようで、ぼくは容赦ない情報の洪水のなかで溺れてしまいそうだった。初心者には色んな意味でレベルが高い話で、とてもじゃないけど半分も理解できない。
そういう意味では少なくとも優秀なセールスマンではなさそうだ。
閉口したぼくらをよそに、彼女の独演はしばらく続き、やがてぼくがうたた寝を始めたあたりで、
「――というわけでこのワンドはとってもすごいんよ!」
と締めくくられた。
……結局どうすごいんだろう?
それがどれくらいすごいのかわからなかったけれど、とりあえずぼくは「すごい、すごい。うん、すごいよね」って同意しておいた。
女性との会話で一番重要なのは共感力だって、雑誌のなかの誰かが言ってた。
実際、メルペチカさんはそれで満足だったらしく、長い長い商品解説の果てに、返された銃を受け取ると、自慢げに、まるで宝物のように大切に腰に戻した。
ぼくはといえば、ちょっと残念そうな様子を見せてじっとメルペチカさんの顔を見た。
「……」
だってさ、魔法だよ? 使ってるところを見たいっていうのが人情だよね。
「……」
じっと見た。
「……」
あーあ、残念だな! って顔で黙って彼女の顔を凝視した。
「……見たいの?」
「もちろん!」
ぼくがうれしそうに喜悦の声をあげるのを聞いて、「やれやれしかたいなー、見たいって言われちゃったしなー」とかいうメルペチカさんの姿は、お姉さんぶりたい少女特有の微笑ましさそのものである。
だらしなく頬が緩んだその表情。さっきまであんなに警戒していた人とは思えないね。
そして、長銃――彼女の言葉を借りるなら銃型ワンドを抜いて、キっと真面目な顔つきになる。
銃口を向けた先は川の流れのなか。ぼくでも破壊するのになかなか苦戦しそうな、ひときわ大きな花崗岩。
「――我、神意の剣なり。鉄と血の後継が天に請う。おお、基は主の右手の現出である」
呪文の詠唱とともに銃口に魔法陣が浮かび上がる。
その詠唱に含まれる感情の高ぶりとともに、空気が振動しはじめるのを感じる。
かっこいい!
もしかしてこの岩を砕こうというのかな。ぼくは唾をごくりと飲み込んで――そしてあることに気付いた。
「あ、それ壊しちゃうと衝撃でお魚さんたちが大変なことになっちゃいそうだから、向こうのやつでよろしく」
「あ、うん」
資源は大切に。
爆発物を用いた漁法は水産資源保護法で禁止されています。
ごほん! 気を取り直してワン・モア・トライ。
銃口を向けた先は山のほう。ぼくでもなかなか苦戦しそうな、ひときわ大きな花崗岩。
「――我、神意の剣なり。鉄と血の後継が天に請う。おお、基は主の右手の現出である」
呪文の詠唱とともに銃口に魔法陣が浮かび上がる。
その詠唱に含まれる感情の高ぶりとともに、空気が振動しはじめるのを感じる。
と、ここまではさっきとだいたい一緒。
そのときだった。
「危ない!」
がさり、と花崗岩の奥、ダムの脇にある雑木林から人影が!
顔は見えない。
誰かな? 少なくともモームさんではない、けど――
「雷よ!」
ぼくが注意の声をあげるのと、引き金がひかれたのはちょうど同時だった。
銃口から放たれた雷光が曳光弾のような軌跡を描き、人影の頭に吸い込まれた。そして数瞬の沈黙のあとに落雷のような轟音をたててその頭を吹き飛ばす。
「なんてことを!」
やっちゃった!
ああ、なんてことだろう。ぼくが魔法を見たいといったばっかりに。ぼくが標的を変えてって言ったばかっりに。誰だか知らないけど尊い犠牲者が出てしまった。
ぼくはその人に駆け寄った。
頭は吹き飛び、それだけでなく爆発の余波は胴体にまでひどい焼け跡を残していて、誰だか判別すらつかないほどに損傷している。
どう見ても即死だ。
「……メルペチカさん?」
振り向いたぼくは、ひぇっと両手を上げた。
なぜって、彼女がぼくに向けて真剣なまなざしで銃口を向けていたから。




