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ぼくはおっぱいがもみたい  作者: へのよ
1章:小さな勇者様
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ぼくはおっぱいがもみたい 4

「……ァァ……!」


 巨大グールはまだ死んでいなかった。

 破壊された断面では、うにうにと繊維が(うごめ)き、肉体の修復をはじめていた。

 でも、その速度は緩慢。もはや抵抗することができないのは明白で、いまなら簡単にトドメを指すことができるだろう。

 

「ミラ」


 でも、それをするのはぼくの役目じゃない。

 背中のミラに声をかけると、彼女は力強くうなずいた。


「はい。えいっ」


 ミラが手に持っていた剣をぽいっと投げる。

 何の変哲もない鉄の剣はくるくると回転しながら、巨大グールの頭にぽてっと当たった。

 

 これまでの戦いから考えると、とんでもなくほのぼのとした攻撃。だけど、それだけで充分だった。


「アアアアアアッ……ァァ……!」

 

 

 生命力を失った巨大グールの足の先が、さらさらとしたグルコースの粉末に変わっていく。その変質は少しずつだけど、確実に。爪先から足首、足首から脛へと。

 それはまるで、地獄からの使者に足首を絡め取られた亡者のようにも見えた。


「ア…ァァ……!」


 巨大グールは諦めきれぬ、と最後まで弱弱しくぼくたちのほうに手を伸ばそうとするけれど、手の爪の先端まで崩れるように粉末化し、


「ァァァ…………」


 やがて、怨みのこもった細く長い悲鳴だけを残し、全身を真っ白な粉末に変えた。

 残されたのは人型にこんもりと山盛りになったグルコース。

 ふと思ったんだけど、この大量のグルコース粉末ってどう処分するんだろ? ペチカの態度(たいど)を見る限り、そのまま食品として使うことはなさそうだけど。


 それはともかく、ミラがふうっと短く息を吐く。


「終わりました」


「終わり? ミラってば面白いことを言うね」


「え?」


 突如として街を襲った絶望は過ぎ去った。

 巨大グールが全部のグールをまとめてくれたおかげで、街にはもうグールたちの姿はなく、あたりから亜人さんたちの歓喜の歌が聞こえてきていた。


 そして、ミラにはもっと大事な役目が残っている。

 

「ししょおおおおおおおおおおおお!」


 一番初めに抱き着いてきたのはギギさんだった。

 どれだけの距離を走ってきたのか。

 息を切らせながら、いの一番に「ししょお! ししょお!」ってミラのぷにぷにほっぺに頬ずり。ミラは困った表情で助けを求めてくるけれど、ぼくはぷいっと無視。

 いまのミラを困らせるなんてギギさんってばすごいよね。


 続いてやってきたペールエールさんが、巨大グールの残骸をかきわけて見つけ出した剣をミラに渡す。


「ミラ。……いや、勇者ミラ」


 そう、ミラにはまだやらなければならないことがある。


 たくさんの人がこちらに向かってくるのが見えた。

 工業地帯に避難していた人、街壁の向こうで戦っていた人。みんながみんな、ミラのために集まってくる。


 ぼくはミラからギギさんをひっぺがすと、ミラを両手で捧げ持つように、高く高く持ち上げた。

 世の中に対して拗ねていた女の子はもうどこにもいない。その剣をガラクタなんて思う人も誰もいない。ミラは視線を集めると「うん」とうなずき、堂々と栄光の剣を掲げた。


「やりました。イエーイ!」


 勝利のVサイン。やっぱりドヤ顔!

 ぼくも、ペールエールさんも、ギギさんも、街の人たちも。みんな「イエーイ」って笑った。


 死んだ人がたくさんいる。それはとっても悲しいことだと思う。

 でも、いまここにいる人たちに『生き残って欲しい』と、そう願って戦った人たちがいることを、ぼくたちは知っている。

 だから、その人たちのためにも笑っていこうと――これからも、グールなんかに負けはしないと、みんなでドヤっと笑った。


 魔法は心の力だ。

 だからみんなの心がひとつになれば不可能なことなんて何もない。


 ……オォォォォン


 遠く、工廠のほうから、低い優しい音色が流れてくる。

 その音の主に気づいたのはペールエールさんだった。


「グランカティオが起動した……?」


 勇者が生まれた日。

 その日、人間さんから亜人さんたちに遺された、希望の象徴である空飛ぶ船、グランカティオもまた、空に産声を上げた。


☆★☆★☆★



「ねえ、ちょっとそれとって!」


「えー? これー?」


 ギギさんが積み上げられた食料の箱を指さし、ぼくに倉庫に運ぶように指示してくる。


 ――あれから3日。


 (さいわ)いにもグールの襲撃は街はずれの出来事だったのでそれほどひどい被害は出なかった。

 今回の騒動の原因となった可能性のある発明品の数々は、遠く離れた隔離された土地で何度か実験をおこない安全性の検証をおこなうのだという。


 勇者になったミラを待っていたのは、お祭りの主役という大役だった。

 教会の偉い人たちや、ザルクトル経済同盟の重役さんとなんやかんや話をしたり、お祭りのあちこちでアイドルのようにセレモニーの挨拶をさせられたり。

 慣れないことにあたふたとしながらも、確固とした使命感で行事をやり遂げる姿に、頼もしさも感じるけれど、子供が独り立ちするのを見守る親のような寂しさも感じてしまう。


 こうして、ミラという名前は、一人ぼっちの拗ねた少女の名前じゃなくなって、亜人さんたちの希望の象徴の名前になった。さっき、ミラに「すごいね」と言ったら、彼女は逆に「フルーフさんが言います? それ」と笑いながら返してきた。


 壊れた浮遊有船(ふゆゆせん)で、この子を見つけたとき、こんなことになるなんてまったく想像もしてなかったけど、とにかく楽しそうに笑うことはいいことだ。


 ぼく? ぼくは今のところ、通りすがりの人間文明の遺産ってことで、大君主(オーバーロード)なんて恥ずかしい名前をつけられることは回避した。

 なので、みんなぼくのことを『白いの』とか『おっぱいなやつ』とかって呼ぶ。

 おっぱいなやつって言われると、まるでぼくがおっぱいみたいだよね。おかしいね。ぼくは『おっぱいがもみたい』のであって、おっぱいそのものではないのだけれど。


 ――閑話休題。


 そして、今日。

 グランカティオはたくさんの人たちの見送りを受けて、勇者を乗せて飛び立とうとしていた。

 艦首のほうではミラが集まった人たちに対して手を振っているころだろう。船内にいても地響きのような歓声が振動として伝わってくる。

 

「フルーフ。補助燃料のケースを知らないか?」


「えーっと、さっき艦尾のほうに置いてきた気が」


 ペールエールさんも機関士としてついてくる。

 勤めている工廠のなかではそこそこの役職についてたはずなんだけど、辞めてきたらしい。

 前にガーライルさんとは似てない兄弟だと思ったけれど、そこらへんのフットワークが軽さは似ているかもしれない。


「でも、本当にいいの? ぼくたちについてきちゃって」


「ガーライル兄さんが、フルーフを『アニキ』と呼んだその夢を、私も一緒に見届けたい。

 それにグランカティオも、ガッデンヘイヴの研究所でちゃんと整備したいな。

 あそこの研究所長にはこの船の修復でお世話になってるんだけど、動いたら一回持ってこいって言われてるしね」


「そうじゃなくて――」


「ペールエール!」


 振り向くと、リュネさん。


「その、なんだ……。お前、ミラたちと一緒に行くのかよ?」


 リュネさんの口調は困りながら悲しんでいるような感じ。なのに、態度はもじもじとしながらぷんすかと怒っていて、なかなか器用な感情の発露だと思う。

 ペールエールさんは、そんなリュネさんをことなげもなく軽く胸に抱くと、

 

「行くよ。だからついてきてほしい」


「……は?」


「君が好きだから、ついてきて欲しい。ダメかな?」


「お、お、お前ってやつは!? な、な、なんでこんなところで言う!? ああ、もう! ……きゅー」


 リュネさんはペールエールにおデコをちゅっとされると顔を赤くして目を回した。

 ええーい、こんなところでラブコメをするんじゃない!

 勇者の出発ということで、たくさんの人たちが見送りにきているんだけど、そのなかでこんな大胆な告白をするんだから、ペールエールさんっていい性格してるよね。

 

「フルーフ、誰か探しているの?」


 きょろきょろと見送りの人たちを見ていると、ギギさんが声をかけてくる。 

 ギギさんは結局ミラの弟子になれなかったけれど「あきらめないわ!」ってことでついてくるらしい。

 

「うん。アールノートさんがいないかなって。ギギさんはあの後アールノートさんに出会ったりした?」


 ぼくはギギさんと話しながら、3日前のアールノートさんとのやりとりを思い出していた。


☆★☆★☆★

☆★☆★☆★

 

「ぼくが……死ぬ?」


 仮面の占い師、アールノートさんに突然に死を宣告されて、ぼくは非常に戸惑っていた。


 なんというか、突然そんなことを言われても困るなあって感じ。

 だってモームさんには3ヶ月くらいで帰るって伝えてあるし。


「どうにかならないかな。とりあえず余命5ヶ月くらいは延ばす方向で」


「あら、思いのほか素直に信じるのね」


「だって、そういう人って死なないための方法を教えてくれるってところまでがセットだよね。でも、せっかくのお祭りの日に趣味がいいとは言えないなぁ」


「……もしかして霊感商法と思われてるのかしら」


「ええ!? あなた詐欺師だったの!? じゃあさっき買った1万プレカのお(まも)りは!?」


「ギギさんってほんとにポンコツだよね」

「あら、扱いやすくて割と便利なのよ? こういう()


 涙目になって騒ぐギギさんを横目にアールノートさんはさらりとひどいことを言って、ぼくと真正面に向き合った。


「モームのやつは元気? って聞いたなら少しは信用してくれるかしら?」


「モームさんを知っているの?」


「……古い知り合いよ」


 思いもしなかった名前が出てきて、ぼくはびっくりしてしまった。

 仮面の下ではどういう表情を浮かべているんだろう?

 懐かしんでいるのか、苦々しく思っているのか。その声音(こわね)からはわからない。


 ……ハッ!!


「モームさんって筋金入りの社畜だから、セクハラ・パワハラに耐えきれなくって辞めた元部下だとか!?

 ……ごめんね。なんか辛いことを思い出せちゃったよね」


「なんだかすごくひどい誤解をされている気がするの」


 なーんだ。誤解か。よかったよかった。


「モームさんはとっても元気だよ。アールノートさんももしかして人間さんなの?「違うわ」


 即答。

 ぼくの言葉に被せるように発せられた言葉は、断固とした拒絶の感情で彩られていた。


「モームのやつなら肯定するかもしれないけれど、わたしはそうは思わない。

 だってそうでしょう? 2000年も生きながらえるような存在が果たして人間を名乗っていいものなのかしら?」

 

「ダメなの?」

「ダメなのよ」

「ギリギリセーフだったりは?」

「しないわ」


 気にしすぎなんじゃないのかなー、って思うけれど、アールノートさんにとってそれは譲れないことであるらしい。


「人間さんって大変だなあ」


「……これを見ても同じことが言えるかしら」


 アールノートさんが仮面を外すと()()()()

 ギギさんが息を呑む。

 日焼けとかじゃなくって、ほんとに真っ黒。拷問にでもあったかのようなおろし金で削ったような平らな顔の表面に、目と鼻と口だけがあった。

 

「2000年も生きてると、いろんなことがあるものなのよ。

 ……この街をすぐに出なさい。フリートークだけを連れて」


 それは突き放すような言い方だったけど、


「アールノートさんは、そんなことを言いに、わざわざぼくに会いに来てくれたの? あなたには何の得もないそのことだけを伝えに?」


「……あなたを作ったひとたちは、あなたが今のあなたのままでいてくれることを望んでいたから」


 アールノートさんは仮面をつけ直しながら、何かを思い出すように遠い目をしながら微笑んだ


 ぼくを作った人って、どんな人だったのかな?

 とりあえずシロクマに農業をやらせようって思った時点で、素晴しく何も考えてない人だと思うんだけど。

 そんなことに思いをはべらせていると、ちょんちょんとギギさんがぼくのおなかをつつく。

 

「ねえねえ、フルーフ。もしかしてこの人ってツンデレなの?」

「ギギさんって、ほんと空気を読まないことにかけては一流だよね!?」


 まったくもう!

 ……それにしても、死ぬってどういうことだろね?

 

 そんな疑問に首をかしげたときだった。


「見なさい。始まるわ」


 始まるって何が?

 聞き返そうと思った瞬間、


「なにこれ……」


 ギギさんが空を見て、唖然と言葉を失った。

 ぼくもつられて空を見る。


「雨でも降るのかな?」


 空には暗黒が渦巻いていた。

 日蝕のように微かな太陽の光が欠片さえも遮断されていく。


「これは……」


 空はあっという間に黒いまだら模様となっていく。

 じわじわと蝕み、侵食するように蒼天を闇のヴェールが覆い尽くしていた。


 ゴゥゴゥという不吉な音がどこからか鳴り始め、雲よりも遥かに高い場所に、黒い模様が中心に集まるように渦を描き始めていた。


「ギギさんは何か知ってるの?」


「ええ……わたしの知ってる事例からすると……ちょっとやばいかもしれないわ」


 誰もが凍りついたような表情で空を見上げていた。


 先ほどの喧騒は消えうせ、ごくり、という唾を飲み込む音が聞こえるほどに不気味な静けさが訪れていた。

 周囲を見回すと、街中(まちじゅう)の人々はさっさと避難する方向に動いていた。お祭り騒ぎに後ろ髪を引かれる様子もなくってあっさりとした感じ。


 普段から避難訓練でもしてるのかな? なんて思っていると、

 

「ほら、ほら。早く。わたしたちも行きましょう」


 なんて、ギギさんが手を引いてくる。

 どこに行こうというのかな? ギギさんの引っ張る方向はみんなが逃げるのとは真逆の方向。黒い太陽から光が落ちた先。

 

「逆方向じゃない?」


 ってぼくが首をかしげると、ギギさんときたら、


「え? 師匠を探しに行くんでしょ?」


 なんて驚いたように聞き返してくる。


「……さっきのアールノートさんの話聞いてた?」


「聞いてたわよ、失敬ね!

 でも、それがフルーフにとって躊躇(ちゅうちょ)する理由になるの? あなたって、もっと男前だと思ってたんだけど」


「本音は?」


「かつての勇者ニュルンケルも、本人は使い魔魔法以外に魔法が使えたってわけじゃないから。絶賛ただいま大ピンチ。そこを助ければ弟子入り間違いなし! ふふ、わたしって天才ね」


「やっぱりそんなことだと思ったよ!! もう、仕方ないなぁ」


 ひょいっとギギさんをお姫様抱っこで抱きかかえる。


「はわわ、なんでお姫様抱っこ!?」


「なぜって、ぼくが抱えて全力で走るのが一番早いから。

 ほら落ちると危ないからおとなしくしてよ」


 ぼくたちの様子を見てアールノートさんがため息をついた。


「あなたにそんな義務はないでしょう。それともあのミラという娘を人間として認識してしまったのかしら?」


 ぼくは首を傾げて「うん、人間だとは思ってないよ」と言った。じゃあなぜかというと、


「恋をしちゃったんだ。

 この大地に降りてきて、亜人さんたちを見て、ぼくは嬉しくなっちゃったんだ」


「それが恋? ずいぶんとおおざっぱなこと」


「好きだから助ける。単純でしょ?

 むしろ、みんなを救うのは義務じゃなくって権利だってことが、とても嬉しい。

 この感情を恋って言葉以外になんて表せばいいんだろう?」


「……フルーフ、あなたは優しいのね」


 アールノートさんは仮面の奥の目を細めて「勝手にしなさいな」と言って、ぷいっと横を向いた。

 でも、ぼくがアールノートさんに言ってほしい言葉はちょっと違う。


「アールノートさんにひとつお願いがあるんだけど……『いってらっしゃい』って言ってほしい。駄目かな?」


「なぜかしら?」


「だって、ぼくは人間のためのサポートユニットで、あなたはどうしようもないくらい人間さんなんだもの!」


 アールノートさんは特大のため息をついた。


「……ミラって()は工業地帯にいるわ。いまからならギリギリ間に合うかもしれないわね。さっさと行きなさいな」


 そのときのアールノートさんがどんな表情をしていたのか、ぼくからは見えなかった。


☆★☆★☆★

☆★☆★☆★


「アールノートならもうこの街から離れたぜ」


 と言ったのは、騒ぎの最中まったく存在感のなかったフリートークだった。


「やあフリートーク。なんか、すっごい久しぶりに会った気分なんだけど」


「そりゃこっちのセリフだ。オレがいない間になんでこんなことになっちまったのかね? サポートユニットの面目丸つぶれだぜ」


 あれ? でも、アールノートさんとフリートークって出会ってたっけ?

 モームさんと知り合いらしいから、フリートークがアールノートさんのことを知っていてもおかしくはないけどさ。


「アールノートから伝言を預かってる。「いってらっしゃい」だとよ」


 ギギさんの言うとおり、アールノートさんってばほんとツンデレだよね。

 ぼくは”人間さんのための”サポートユニットだった。いまでもその本質は変わらない。

 だからぼくは人間さんにそう言われるととても嬉しい。


 やがて旅立ちの準備が終わって。

 

「ミラ」


 ぼくはその名を呼んだ。

 見送りにきている皆さんに応えるために、手を振り続けている背中。

 薄いピンク色を基調とした、勇者にふさわしい衣装はプライオリアのみなさんが用意してくれた服だ。


「はい。いきましょう」


 振り向いた彼女の表情は昨日までとは全然違う。

 堂々とした明るい表情は、希望の象徴にふさわしい笑顔にあふれていた。

 その佇まいは、ミラの向こうに見える、たくさんの人たちを背負ったものであった。

 

 ……フィイイ。


 グランカティオがふわりと宙に浮く。

 かつて人間さんたちの夢を乗せて宇宙(そら)を飛んだ船は、今度は亜人さんの希望を乗せて空を()く。


 お祭りはクライマックス。青空は打ち上げられた花火で色とりどりに彩られ、そのなかを泳ぐようにグランカティオが飛ぶ。

 ぼくは眼下の人たちに手を振った。


「バイバイ! またくるよ!」


 ぼくたちの冒険はこれからなんだもの!

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