急転直下 2
ガーライルさんに手を引かれて歩く街は、昨日とはまた違う表情をミラに見せていた。
手を繋いで歩いていると、あちこちから「うちに寄ってけよ」だとか、「なんだお前、ロリコンにでも目覚めたのか」だとかって、性別・種族にかかわらずたくさんの人たちが声をかけてくる。
いずれも、ちょっとしたユーモアを交えた親しみを感じるやりとりで、昨日はどこかよそよそしいとさえ感じていた街が、血の通った故郷のように思えてくる。
「ガーライルさんは人気者なのですね」
「んー。普通じゃん?
ミラちゃんも、学校に行けばきっと人気者になれるじゃん。オレっちが保障するじゃーん!」
道中で買ってもらったリンゴ飴で顔をべたつかせていると、ガーライルさんは笑いながら、ミラの顔を濡れた布で拭いてくれた。
「過去、これほどに信用のできない保障があったでしょうか」
「ミラちゃんってばオレっちをなんだと思ってるの!? ひどいじゃん!」
ガーライルさんは破顔すると「まあいいや」と言って、ミラの手を引いて、ふたたび賑やかな街のなかをゆく。
「どこにつれていこうというのですか?」
「向こうのほうじゃーん!」
「何があるのですか?」
「いろいろじゃーん!」
……この人と話していると、脳みそが腐っていくのを感じる。
それでも、おとなしく手を引かれて、”そこ”にたどり着いてみると、
「……ほんとに色々あるのです」
としか言いようのない光景が広がっていた。
海沿いの、工業地区へと続く橋の手前。
田園地帯の切れ目に、これでもかと言わんばかりに詰め込まれたお祭り騒ぎ。
魔法で動く人形や、人の動きに合わせて切り替わる光の粒子、ほかにも浮遊有船の原理を利用した、坂道でもすいすい走れる二輪車などなど。
「今日はザルクトル経済同盟の発明品品評会なんじゃーん」
ミラが「すごい、すごい」と興奮していると、ガーライルさんはそのなかでもひときわ人を集めているステージの横に設置された、関係者以外立入禁止と書かれたブースの帳を無遠慮に開けた。そして「よーっす。オルゼイ、久しぶりー」とごあいさつ。
勝手に入って怒られるんじゃないかと思ったけれど、そこの責任者であろう鬼人の偉丈夫はガーライルさんを見ると、「おお、ガーライルじゃないか。いつ帰ってきたんだ」と嬉しそうに抱擁しながら挨拶を交わした。
「いきなりやってきてどうした? お前の弟の会社の展示はもっと向こうだぞ。それともなんだ、オレに会いに来たのか」
「コルトに会いに来たじゃん。会わせたい娘がいるんじゃーん」
「コルトに? あいつならステージの裏側で待機してるはずだが……。まあいいや。何の用かは知らんが、勝手に邪魔していくといい」
「オーケー、サンキューじゃーん!」
ガーライルさんに手を引かれるまま、ステージの裏の方へ。
「わたしに……会わせたい人、ですか?」
ミラが訝しげに尋ねるとガーライルさんからは「会ってみりゃわかるじゃーん」とやっぱりというかなんというかお気楽な答えが返ってくる。
ステージの裏側は正面と違って雑多にさまざまな器具が積み上げられていて、まるで別の世界にきたような感じだった。
「よーっす! コルト、いるじゃーん?」
「おや、ガーライルさん? ここにいますけど、どうしましたか?」
ガーライルさんの突然の訪問にも動じずに答えたのは14歳くらいの生意気そうな青髪の翼人の少年だった。
「むむ。コルトってば、背が高くなって、ちょっと男らしくなったじゃん?」
まだ幼さの残る顔立ちと華奢な体つきは、どこかツバメを思わせる。彼はガーライルさんがくしゃくしゃと頭を撫でようとするのを、鬱陶しさとくすぐったさの入り混じった表情で受け入れた。
ガーライルさんは満足げに頭を撫で終わると、ミラのほうへと振り向く。
「紹介するじゃん。この子はコルト。
ザルクトル経済同盟でもそこそこ有名、知ってる人だけ知っている自称天才少年じゃん」
「……それって微妙に褒め言葉じゃないですよね?」
コルトさんが呆れたようにため息をついたのを無視して、今度はミラの頭に手を乗せ、コルトさんに紹介。
「そんでこっちの娘はミラ。見ての通り、無愛想じゃん」
「最近気づいたんですけど、ガーライルさんはわたしに喧嘩を売っているのですね?
……ガーライルさんがそういうデリカシーのない人なのはわかっていますので、それはいいんですが。でもどうして彼に会わせたかったのですか?」
「だって二人は似たもの同士! 無愛想と無愛想でマイナスを掛け合えば、笑顔でにっこりハッピーラッキーになるかもしれないじゃーん――あいたっ、やめて!? 二人してオレっちの足を蹴らないで!?」
この人ってば蹴られるためにわざとやってんじゃないだろうか。しかもちょっと嬉しそうにしてるし……もしかしてマゾ?
はあ、とミラがため息をつきながらコルトの顔を見ると、奇しくも彼も、ちょうどミラの顔をじっと見つめていた。
ガーライルさんが無愛想と評するだけあって、ムスッとした表情がへばりついた感じではあるけれど、どちらかというと他人の関わりを拒否するのではなく、お子様特有の万能感にプライドをこじらせたかのような顔。
ガーライルさんは、いったいミラに彼と何をさせようというのか。
なんか気恥ずかしくて、生来の人見知りの気性がむくむくと頭をあげ、ごくりとガーライルさんの一挙手一投足を見守る。――と、
「じゃ、あとは若いお二人に任せたじゃん!」
シュタっと効果音が聞こえてきそうな見事な敬礼を残して、ガーライルさんはぴゅーっと去っていった。
「「ちょっと!? どういうことですか!?」」
またしても奇しくも息があってしまい、ちょっと気まずい空気が流れる。
ため息をついたのはどちらが先だっただろうか。
遠慮がちに声をかけたのはミラのほうだった。
「……コルトさんはお仕事でここにいるのですか?」
「はい。このステージには、ぼくのつくった仕組みが採用されているんですよ。……とはいっても8割以上は人の手を借りたものなんですけどね」
「コルトさんには助けてくれる人たちがたくさんいるのですね。
わたしに似ているっていうから、その……孤独なのかと思ってました。どうして大人たちに混ざって、そんな風ににいられるのですか」
彼の言葉はきっと謙遜からくるものなんだろうけれど、ちょっとうらやましい。
羨望混じりにミラが尋ねると、コルトさんは「よく聞かれるんですよね、それ」と笑った。
「たぶん、ぼくが常に怒っているからだと思います」
「怒っている、ですか? それは誰かに復讐してやるとか?」
「そんなもったいないことはしませんよ。
ぼくが思うに、怒りっていうのはエネルギーなんです。しかも、とても強い。
例えば、なんで空を飛べないんだろうってイラっとしませんか?
もっと空を自由に飛び回りたいのに、どうして地面を這いずり回っているんだろうって」
「はあ」
「たぶん同じことにイラっとしていた人が過去にもいたはずです。なのに、いまだにぼくたちは空を飛べない。解決できていない。
先人たちが束になっても実現できなかった難しい問題を解決しようっていうのに、年齢差だとか些細なことにかまっている余分なエネルギーなんてどこにもないんです」
コルトさんは「ぼくの尊敬する人の受け売りなんですけどね」と付け加えると、気恥ずかしそうに笑った。
「……似たもの同士、ですか」
ミラにとっても怒りとはすぐそこにいる隣人で、確かにそういう意味ではこの少年とは似た者同士なのだろう。
――でも。
ミラはちょっと悲しくなった。
なのに、ミラとコルトさんはどうしてこんなにも違うのだろう。
コルトさんは自分が何者かということをすでに確立させているというのに、ミラはいまだ誰かの庇護のもとでしか、自分という存在を維持できなくて。
素直に言ってしまえば、彼我の置かれている環境の圧倒的な違いに打ちひしがれてしまったのだ。
「コルトさんはすごいのですね」
出されたお茶に口をつけると、ほんのり渋く、大人の味がした。
ミラが褒めると、コルトさんは「いえいえ」と首を横に振った。
「でも、ミラさんのほうがすごいじゃないですか」
「え? わたしにはコルトさんがすごいと思うようなものはなにも――」
「だって魔獣を使役できるんですよね?」
「ぶーーーっ!?」
思わずお茶を吹きだしてしまい、気管に入って咳き込んでしまう。コルトさんは目を輝かせて言葉を続けた。
「実はミラさんのことはギギさんから聞いていたんです。
なんでも、すごい魔獣を使役しているとか!
使役魔法なんて伝説のなかに出てくるような代物なのに、その齢で使いこなしているなんてすごいじゃないですか。
――あ、でもこれって秘密なんでしたっけ。ギギさんもぼくにだけの内緒って言ってたのでそこは大丈夫だと思いますが」
「ぜんぜん大丈夫じゃないんですけどっ!?」
「え? ギギさんって、ああ見えて口が堅いひとですよ?」
「コルトさんが知っている時点で口が堅いとは言えないのです!」
「それもそうですね、あはは」
「あ、あわわ」
噂に尾ひれどころかスクリューまでついて、はるか天元のかなたまで突き進んでいらっしゃる!
なんということだろう。危惧していた通り、いや、それ以上の事態である。
ど、どうしよう。
「……よし」
一瞬の逡巡のあと、ミラは決意した。
それはフルーフさんに出会ってから学んだ、この世で生きていくための秘訣。
「コルトさん、見てください。空が……青いですね」
あきらめよう。
あきらめて身を流れに任せてしまおう。
そうすれば大丈夫。何が大丈夫かわからないけど、たぶんいける。おーけーおーけーふぁいんせんきゅー。わたしはきょぅもちょぉげんき。
今夜は肉を食べよう。繊維を犬歯で乱暴に引きちぎり、咀嚼しよう。そして何もかも忘れてしまおう。
「空は確かに青いですけど……。
そういえば、いまはその魔獣連れていないんですか? あのギギさんが言うんだからきっとすごい魔獣なんですよね」
おや? とミラは首を傾げた。
コルトさんの声の響きのなかに、ミラに対するものではない感情が入りまじっているような。憧れというか……
「ギギさんとは親しいのですか?」
「ぼくは昔、あのひとに助けてもらったんです。
難しい病気にかかってしまったんですけど、当時、医療魔法使いの見習いだったギギさんが、色んな街や人間様の病院跡をかけずりまわり治療法を見つけてくださって、治していただいたんです。命の恩人ですよ」
ミラはちょっと安心した。
なんだかんだ難しいことを言うけれど、彼もやっぱり思春期にある少年で、そう思うとさっきよりは身近に感じられる気がする。
「コルトさんはギギさんのことが好きなんですね」
言ってから、ちょっと意地悪な質問だったかもしれないな、と気づく。
いや、別に『す、す、好きっていうとちょっとニュアンスが!』みたいな年相応の反応を期待していたというわけでもないけれど。
「はい。好きです」
でも、返ってきたのは毒気のない即答だった。
「……」
あんまりにも素直に返答されたので、ミラは何も言えなくなってしまう。
例えば……もしも将来、ミラが恋をしたとして、こんなにも素直に答えることができるだろうか。
そう思うと、彼の素直さというのはとても好ましいものである気がするし、自分のもちあわせていない寛容性を持ち合わせているようで、自分の未熟さを思い知らされたようで悔しい気もする。
質問内容だって、意地悪をするつもりはなかったと思っていたけど本当にそうだっただろうか。
「おーい、コルト! そろそろ始まるからスタンバってくれー」
「――ああ、すいません。そろそろ時間なので、これで失礼します。よろしければステージのほうを見て行ってくださいね」
ミラがどういう返事をしようかと逡巡してるうちに、ステージのほうに呼ばれてコルトさんは軽く会釈をして去って行った。
「……」
その背中を見送って、ミラは残ったお茶を飲み干した。
……ガーライルさんはどうしてミラと彼を引き合わせたのだろう。
「あのひとのことだから、何も考えてないような気もしますが」
きっと齢が近いから、とかそういう程度の理由なんだろう。難しく考えても無駄な気もする。
だから、ミラはそのことについて考えるのを打ち切った。
そんなことよりも、
「ああ……さっきの変な噂をどうにかする方法を考えないと」
ギギさんのばらまいている噂はいったいどこまで広がっているんだろう?
さっきはあきらめたつもりだったけど、どうやらミラにはそこまで達観できるほどの極致には至っていなかったらしい。
なんとかしなきゃ、っていう焦燥感が胸中に渦巻く。
「……もしも、コルトさんがわたしの立場になったらどうするんでしょうかね?」
そんなことを考えながら、ミラも席を立ってステージのほうへと向かった。




