嵐の前 4
「もう勘弁してくださーい」
ウェイトレスさんの泣き言が入ったのは記念すべき20皿目のことであった。
たった20皿というなかれ。調理されるたびに発生した異臭は店の中を汚染し、焼きそばのウニョウニョとした動きは見た者の食欲を失せさせる。
おかげで、あんなに活気のあった店内は魔界の瘴気みたいな、どんよりとしたナニカが溜まって、あんなにも活気のあった店内はお葬式の模様を見せていた。
おかしいね。ぼくはメニューにあった料理をおかわりしていただけなのにね。
【教訓】ジョークでも他人に影響を与えるほどのゲテモノをメニューに入れてはいけません。
アールノートさんのほうを見やると、客足は多少鈍ったものの、それでも一定のお客さんがやってきていた。
その様子をじーっとみていると、やがてお客さんが途切れたタイミングで、ふとこちらに話しかけてくる。
「あら。あなたも占いに興味があるのかしら?」
なんでわかったんだろ? すごいや。さすが占い師さんだ。
「見るからにあからさまだったので、すごくないわ」
「心の声にツッコミをいれられた!? すごいや。さすが占い師さんだ!」
「ふふ。まあ、まあ。そんなことよりこっちにおいでなさいな」
こいこい、と手招きをされたのでぼくはちょこんと前の椅子に腰掛ける。
基本的にアベック用に用意された席なので、ぼくの隣は空席。
「さて、あなたは何について占ってほしいのかしら?」
「えーっとね……」
全然考えてなかったので困ってしまう。
一番知りたいのは『いつぼくがおっぱいをもめるか』だけど、そんなことを占ってもらってもなぁ……。かといって、恋愛相談って言われてもぜんぜんピンとこないし。
「明日の天気とか?」
「そんなものは天気予報を見なさい」
ごもっとも。
アールノートさんはちょっと呆れるようにため息をつくと「まあいいわ」と言った。
「――この水晶をじっと見つめなさいな。光が見えてくるでしょう?」
アールノートさんが水晶を撫でると、その奥に白色の光が生まれる。
その輝きはぼくの内面を映し出すような、きらきらとした小さな瞬きだった。光が生み出す移ろう渦のなかに引き込まれそうで、思わずぼーっと見つめてしまう。
――まるでぼくの本心を覗きこまれるような、でもそれは決して不快な感じじゃなくて、見とれてしまう。
「これがあなたの運命の色。とても綺麗な色をしているわ。きっと素敵な出会いに恵まれるのでしょうね」
「ほんと? もしかしてラノベ主人公のようなハーレムが作っちゃったり? ふひひ、おっぱいもいっぱいもめちゃったりして!」
「それは無理」
「なんと」
だったら、ぜんぜん素敵じゃないね。
お姉さんはしょんぼりしたぼくを慰めるように、着ぐるみの上からぼくの鼻先を撫でて「あなたに聞きたいのだけれど」と、ほほ笑んだ。
仮面の奥から見える瞳はとっても綺麗で、なにか吸い寄せられるような不思議な魅力があった。
「あなたは――」
着ぐるみの上からだっていうのに、その手はとても暖かく感じた。
布団のなかで朝寝坊したいときのような、いつまでもこうしていたい暖かさっていうのかな?
うーん。ほんとに眠くなってきちゃったぞ。
なんか頭のなかに靄がかかったような不思議な感覚。起きながらにして寝言を言ってるような、そんな不確かさ。
「あなたはどうしてあの平和な、優しい安寧の地から出てきてしまったの? あそこにいれば、あなたは一生、苦労することもなくその生をまっとうできたはずなのに」
なんでって? 答えは簡単。
「恋をしちゃったんだ」
「恋?」
「亜人の女の子に出会ったんだ。
生きるっていうエネルギーがとっても素敵でさ。それで、亜人さんたちがどういう生活をしているんだろうって好奇心が――ううん、ちょっと違うかな」
ぼくは途中まで吐き出した言葉を首を振って否定した。
だって、地上に降りるって決めたとき、好奇心とか職責なんて頭の隅にもなかったんだもん。
「素敵だと思ったから、思わず出てきちゃったんだ。
どうしようもない衝動を恋っていうんでしょう? だから、きっとこれは恋だと思うんだ。
ぼくは亜人さんたちに会いたくてしょうがなかったんだ」
「そう、それは素敵なことね」
褒められた!
アールノートさんに褒められると、なんか不思議な感覚がする。自分の奥底にある何かがカーっとしてくる。この感覚って、なんだろね?
幼子を見守るような優しさで、ふふっと笑われて、それが気恥ずかしくて、ぼくは他にも理由を探してしまう。
「あと、あと、おっぱいがもみたくてさ! あの島には女の子がいなかったからね!」
「まあ、それはそれは。わたしが見ることのできる未来の範囲にはそんな光景はなかったけれど、いつかもめるといいわね。おっぱい」
……激励してるのか、してないのかどっちなんだろう?
「――さて」
パン、とお姉さんが手を叩くと、水晶玉から光が消えた。
それと同時にぼくの頭も晴れやかに! ヒーリング効果とかあったのかな?
アールノートさんは、うれしそうに仮面の奥から声を弾ませた。
「ここであなたに朗報! なんと、これからあなたのすぐ横に、さっき言った素敵な出会いのひとつ。運命の女の子がやってきます」
「ええ、そんないきなり!?」
唐突なお姉さんの宣言に、ぼくの心臓はドキドキしちゃう。
……いや、ぼくは農業ユニットなのだ。
ならばこの程度のことにドキドキしてちゃいけない。農業の本質はコミュニケーションなのである。
例えば、水路の維持ひとつにしてもコミュニティでの協力体制が必要であり、それをさぼると村八分にあってしまうのだ。
寝ている間に幼馴染が侵入してきていてマンガを読んでいたりなんてのも日常茶飯事。
それが仁義なき農業コミュニティ、田舎なのである。
「すなわち、農業ユニットであるぼくはコミュニケーション力の塊であるのだ。農業万歳!」
「それって農業関係なくないかしら?」
どきぃっ!
その声は占い師のお姉さんのものではなかった。
ぼくの座っている横、ちょっと後ろ気味に誰かが座る。アールノートさんいわく運命の出会い……っ!
銀色の髪。声は鈴のように凛としている。
だ、誰だろう!?
「あら。奇遇ね。さっきぶり!」
「ぶーっ!!! ギギさん!?」
振り向いたぼくの目に映ったのは、さっき撒いたはずの翼人の女性、ギギさんだった。
あわわ! いったい誰だ! 追跡不可能なんて言ったのは。――あ、ぼくだった!
「な、なんでここが!? ま、まさか怪しい呪いとか!?」
「奇遇ね、って言ってるじゃないの」
「絶対に嘘だ!」
「失礼なこと言うのね。……まあ嘘なんだけど! さすがアールノートね。魔女の肩書に間違いなしってことかしら」
「ふふ。そうでしょうとも」
「ふたりってばグルだったの!? ひどい! ぼくの純情を返して!」
「まあ、まあ。素敵な出会いっていうのは嘘じゃないから。ぷー、くすくす」
いひひ、と笑って、ふたりは「イエーイ」とハイタッチ。
もうやだ! なんなの、この人たち!
「ちくしょう、絶対に嘘だ! ――って、あれ? にわか雨?」
そのときだった。空が不意に暗くなったのは。
「いえ、これは……」
ギギさんが急に真面目な顔になって黙り込む。
そういう顔をしてればギギさんってば美人なのにね。
「――フルーフ」
アールノートさんが真面目な顔でぼくの名前を呼んだ。
あれ? ぼくってば自己紹介してたっけ? なんて混乱していると、両手をつかまれてまっすぐに見つめられる。
「実はね。わたしはあなたに伝えることがあって、ここで待っていたの」
「伝えること?」
ミステリアスな占い師さんに深刻なことを告げられる、なんていうのはコミックでよくあることだけど、まさかぼくに降りかかってくるなんて。
なんだろう? もしかして、ぼくが選ばれた勇者だったとか? 昨日、剣を抜いちゃったしね!
物語のなかに出てくる占い師さんは、たいていの場合、ろくでもないことを言うけれど、ちょっと期待しちゃったりして!
ぼくがどぎまぎしてると、彼女は言った。
「あなた今日、死ぬわ」
……やっぱりろくでもなかった。




