あるいは少女の頑固なプライド 5
「ちょっと、オルドモルト隊長!? 怪しすぎるんですけど!?」
オルドモルトさんに突っかかったのは一緒に船に乗り込んできた青年だった。
まだ若いけどオルドモルトさんよりも頭ひとつ高くて、でも体格だけならオルドモルトさんのほうがガッチリしてるかな?
「シセノ、お前……おい、ちょっとこっちこい」
オルドモルトさんは胡乱げな視線でその青年――シセノさんの耳を引っ張って、船の端のほうにつれていってこそこそと内緒話を始める。
ぼくは耳がいいので、彼らの話に聞き耳を立てると微かに内容が聞こえてくる。
「なんだ、お前。
10匹以上のグールを簡単にひねりつぶして、あまつさえ雷狼をびびらせるようなやつに、怪しいからちょっと海に飛び込めって命令できるのか?
言っておくが、オレは怖いからヤだぞ」
怖くなきゃ海に飛び込まされるところだったの!?
「いや……しかし、隊長? いくらなんでもあれは怪しすぎるでしょう」
「大丈夫だ。ほら、見てみろ。あのお嬢ちゃんの顔を」
二人が言って、ミラの表情をじーっと見つめる。
ぼくからはその顔は見えないけれど、いったいどんな顔をしてるんだろうね?
ぼくの予想では、ぼくに担がれて、高い視線であたりを見渡せることができて、きれいな景色にはしゃいでる感じかな!
そんな風に思っていると、シセノさんはハッと何かに気づくようにして、口元を押さえた。
「……なんて顔をしているんだ。
まるで、極寒の土地で孤立無援で戦い続けたにも関わらず、援軍が来ないと聞かされたときの戦士のような……」
それっていったいどんな顔っ!? 超見てみたいんだけど!
「ああ。驚くと同時に哀れにも思えるぜ。いったいどれくらいの死線をくぐってきたのか」
「……なるほど。あれならグールたちを討ち倒せるのも納得ですね。しかし、ならばこそ我らは任務を遂行すべきでは?」
――喧々諤々(けんけんがくがく)。
(ねえねえ、ガーライルさん、ミラっていまどんな表情してるの?)
二人の会話をよそに、ぼくはガーライルさんをツンツンと突ついた。
ガーライルさんは首をかしげて、ミラの表情を観察するとぼくに伝えてくれる。
(え? どんな顔って……荒れ果てて草に埋もれた卒塔婆のような?)
(なにそれこわい)
あー、もう! みんな抽象的すぎる!
ええい、こうなったらぼく自身で確認してやる!
と、意気込んで腰をねじってみたり、屈んでみたりするけれど、頭の上にいるミラの表情は伺うことはできない。
「何をやっているのですか?」
「うん。ちょっとね」
ミラが尋ねてくるけれど、ぼくのほうは何とかミラの表情を見たくて必死なのだ。
うーん……どうやったらミラの顔を見れるかな?
触ってみたりしたら形くらいはわかるかな!?
「えい」っと肉球で頬っぺたあたりをぺたっとな。
「ひゃあ! 目が! 目が!」
「ああ! 見えないから目測がズレた!!」
ぼくに目を触られて悲鳴を上げたミラを見て、遠くからシセノさんが指をさす。
「みてください。暴れだしてますよ。絶対に危険ですって」
「バカ野郎、よく見ろ。あの曇りない眼からこぼれ落ちるものをよ」
「はっ! あれは……涙!?」
そんな二人の会話をよそにぼくはミラの涙を拭いてあげる。
(ごめんね。大丈夫? 痛くない?)
(大丈夫です……もう色々とあきらめていますので……)
? いったい何をあきらめてるんだろうね。
「見ろよ、あの姿をよ。
健気じゃないか。普通ならもっとわがままな年頃だっていうのに、ああやって自分の意思を殺して、堪えてやがるんだ。
あんな体だからこそ、オレたち大人がよぉ、ちゃんと導いてやらなきゃだめなんじゃないか? うん?」
「……隊長! オレが間違っていました!」
「わかればいいんだ、わかれば」
ふたりの相談が終わってこちらに戻ってくる。
なんだったんだろうね。いまの茶番。
オルドモルトさんはぽんぽん、とガーライルさんの肩を叩いた。
「事情はわかった。接岸までの操舵はオレがやるから。
あとはあいつにもう少し詳しく事情を説明してやってくれ」
「疑ってすまなかったな。貴重な浮遊有船を街まで届けてくれたというのに。
ようこそプライオリアの街へ。歓迎するよ」
「はい。よろしくなのです」
シセノさんが握手のために手を伸ばして、”ぼくは”その手をぎゅっと握り返した。
「……」
「……?」
「……お嬢ちゃんのおててはずいぶん毛深いんだね」
「あ」
やっちゃった!
せっかく隠れているっていうのに、ぼくってば手を出しちゃってどうしちゃうのさ!
でも仕方ない。だって、ぼくが生物である以上注意力には限界があるんだから。
人為的ミスっていうのはどんなに注意深い慎重な人であっても、疲労や錯覚などで起きちゃうものだ。
もちろん起こさないための対策は必要だし、起こすべきじゃないっていうのは当然だ。
でも、やっちゃったものは仕方ないよね。
そして、やっちゃったからにはフォローをしないといけない。
ぼくはごほん、と咳ばらいをした。
「レディに毛深いなんて失敬な人ですね! それにこれは毛なんかじゃないです」(裏声)
「ぶーっ!?」
隣で話を聞いていたガーライルさんが、ぼくの完璧な声真似に驚愕してつばを飛ばす。
汚いなぁ、もう。
シセノさんはきょとんと首を傾げた。
「毛じゃないなら、いったい?」
あ、しまった。考えてなかった。最後のが余計だったかな……。
でも、やっちゃったものは仕方ないよね。
そして、やっちゃったからにはフォローをしないといけない。
「これはフラウロ・フレラ・フリュ・フローラです」(裏声)
「ふらう……えーと、なんて?」
「フラウロ・フレラ・フリュ・フローラ。古代語で『白き死の天使の王翼』という意味です。略してふふふ」(裏声)
完璧だな!
ミラの年齢は約10歳。かつて人間文明で10代の少年に流行ったという病気を考えたならば、この解はまさにパーフェクト。いや最上級扱いでパーフェクタントと言ってもよいだろう。
ぼくの肩を握るミラの手に力がこもったような気がするけど、気のせい気のせい。
「ふふふ?」
「そう、ふふふです」(裏声)
「ふふふ」
「ふふふ」(裏声)
なんか笑い声みたいで、楽しくなってきちゃったね。
適当にでっちあげただけなのにこの威力。白き死の天使ってすごい。
でも、この愉快な光景は一発のげんこつで唐突に終わりを告げた。
「あいたっ。何するんですか、隊長」
「……いや、気色悪かったからつい……そんなことよりも接岸の準備をしろ。もう着くぞ」
オルドモルトさんに引っ張られていくシセノさんをバイバイと見送って、ぼくは改めて港のほうをみた。
いつのまにこんなに近くまできていたんだろう。
手慣れた人たちが扱うと、船の速度や安定性に歴然たる差があるのがはっきりとわかる。
さっきまでのえっちらおっちらとした赤ん坊のような歩みとは違い、渋滞のなかをすいすいと進む救急車のように、空けてもらった隙間を進んでいく浮遊有船は、まさしく亜人さん社会の生み出した文明の技術の結晶たるやを示していた。
そして、すぐ近く見える港の光景ときたら!
「すごい! ほんとに亜人さんたちがいっぱいだ!」
すさまじい活気。
ペチカの生命力が生み出す純粋な熱気にも気圧されたけれど、たくさんの人々の生み出す混沌とも言える活気はまた別格。
赤白黄色。美しいモザイク模様の石畳が張り巡らされた港には、たくさんの露店が出ていて、その合間にも歩き売りしているひとたちが見える。
「フリートーク、見なよ! あれって何かな!? 食べ物かな――あっちもすごい人だかりだけど、いったい何があるんだろう!」
その活気にあてられてっていうわけじゃないけれど、目に映る何もかもが珍しくきょろきょろと視線を巡らせてしまう。
大きな桟橋の左右にも露店が並んでいて、右手の果物屋に気を取られていると、左手にある道具屋を見逃してしまうので、首がせわしなく動いてしまう。
ピンクや緑といった派手ともいえる明るい色とりどりの服。
じゅーじゅーと飴色の焼き色を見せる、美味しそうな子ブタ?の丸焼き。
甘そうな匂いの焼き菓子を出している露店の前には小さな子供たちがたくさん並んでいて、幸せそうにシュークリームのようなふわふわっとした生地のお菓子を口に運んでいる。
ほとんどは列に並んでいる最中に飲食するためのものか、あるいは街での宿泊時に使うための使い捨ての生活用品だ。
……あれ? 宿泊用の使い捨ての生活用品?
「あれ? ペチカとかガーライルさんの話だと、地上での旅行ってそれなにり危険そうなものに聞こえたけれど、思っていたよりも安全なのかな?」
宿泊するってことは街の外からやってくるってわけで。
疑問に思ってガーライルさんに尋ねると、「はは」と笑って説明してくれた。
「あの人たちはみんなニンゲン祭にきたんじゃーん。
プライオリアの街は別名『始まりの街』。
すべての亜人の始祖、始原の大君主アルゼパインと、それを導いた人間の勇者ニュルンケルが出会い、旅が始まったとされる街じゃん。
明日から3日間、その旅立ちの日の記念祭――ニンゲン祭がおこなわれるじゃん。亜人にとってはちょっと特別なお祭りだから、無理をしてでも遠くから来る人がいるってわけじゃーん」
勇者! 始原の大君主!
なんてカッコよくてファンタジックな言葉!
非日常のおもむきを感じさせるその単語は、きっとコミックやライトノベルといった人間文明のエンターテイメント文化を引き継いで、日常に伝播した言葉なのだろう。
その言葉っていうのは、ぼくにとってはこの地上を冒険するワクワクとした感情に彩りを与える最高のスパイスだ。
ふひひ。もしかしてそのうち、ぼくが勇者って呼ばれちゃったりして!
そんな明るい未来計画すら思い浮かんでしまう。
「ほんとにいろいろ楽しみだ!」
そんな風に、ぼくがはしゃいでいると、そのミラに首をきゅっとつままれる。
「すいません。あまり動くと酔っちゃうのです……」
「はしゃぎすぎだぜ。もう少し落ち着け。田舎のおのぼりさんじゃあるまいしよ」
「おっと、ごめんごめん。いろいろ珍しくてさ」
照れたように笑うぼくに、ミラがふうっと小さく息をつきつつも、「まあ気持ちはわかりますけど」と同意する。
心なし、その声音のなかにワクワクとした色が見え隠れするのは気のせいかな?
ぶすっとした表情も、それはそれでそういうフェチの人はいるけれど、残念ながらぼくはそうじゃない。
いつか満面の笑顔を浮かべてくれれば嬉しいんだけれどね。でも、お祭りを楽しみにする素直な心が残っていて少しうれしく思う。
「――ほら、あそこ! あれって何だろう!」
「やめてください! ほんとにやばいのです! 嘔吐しちゃうのです……」
わざと大きな動きで頭を振り回すとさすがに悲鳴があがって、ぼくの毛をつかむ手にそろそろ怒りの感情が混ざりはじめた。
感情が動くようになるっていうのはいいことだよね。
でも、大衆の前でゲロインにさせるわけにはいかないから、大人しくしよう。
そうしていると、やがて船が大きく揺れて、船が港に接岸した。あともう少し! もう少しで初めての街への訪問が叶うのだ!
そんなときだった。
「……フルーフさんはどうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
警備隊の皆さんが下船準備をしてくださっているのを、待ちきれないようにワクワクしているぼくに対して、ミラが頭上から尋ねてきた。
「うーん」
ぼくはちょっと考えた。
でも、答えはとても簡単で、潤滑油で滑ったようにスルっと口をついて出る。
「ぼくは人間さんのために生み出されたユニットだからね。だから人間さんが嬉しくなるようなことをしてあげたいっていつも思ってるんだ。
自分が嬉しかったことや楽しかったことって、誰かにしてあげたいと思わない?
だからそのために、普段からちゃーんと、自分が体験して嬉しかったことや楽しかったことを探してるんだよ!
ほらほら、そんなことより、もうすぐ渡し板が!」
ぼくの顔はすっぽりと布で覆い隠されているけれど、いまはそれでいい。
だって、ぼくと亜人さんの間にはまだ信頼関係がないんだもの。
知らないうちに侵入してしまうのは、ちょっと卑怯なことなのかもしれないけれど、でもこれから積み重ねていけばいい。
だって、ついにぼくは人間さんが生み出した知性の結晶で、亜人さんたちは人間さんの知性を正しく引き継いだ後継者なんだもの。




