あるいは少女の頑固なプライド 3
ぼくたちを乗せた船は、ほぼ無風の大海原をたゆたっていた。
いや、よく見ると少しずつ前進しているのがわかる。速度的には赤ちゃんのハイハイ以上、子供の走る速度以下。
操縦しているのはガーライルさん。
本来は魔法使いが10人がかりで操縦するらしい浮遊有船だけど、本職の魔法使いでないガーライルさんが一人で操縦すると、この速度が精いっぱいであるらしい。
「ふぁああ……。いい天気だなぁ」
「日向ぼっこ日和ってやつだな」
そんな風に、ぽかぽかした初春の日差しのなか、ぼくたちはのんびりとプライオリアの街を目指していた。
海原の向こうに見えるプライオリアの街は、丘のほうから見た風景とはまた違った表情。
低い海抜からはピンク色のプライオリアの花畑は見えなくて、白を基調とした戒律の厳しそうな白亜の街の趣き。
そのなかでも特に目を引くのは、旧時代のビルを流用した大きな塔。
中世風味のどこか牧歌的な街並みのなかに、いきなり未来的な建築物があるのだから、その目立ちっぷりときたら、さながら無数のひよこたちのなかに一羽だけコンドルがいるような感じ。
かつては無骨とだけ評されていたはずの白い壁面が、周囲の牧歌的な街並みと対比された結果、ピシっとした禁欲的な求道者のように見えるのが面白い。
ガーライルさんいわく、あれがプライオリアの街のランドマーク、ランドマーク大聖堂!
……そこ! そのまんまやんけ、って言わない!
「さて、と……」
そこそこ街に近づいてきたタイミングを見計らって、ぼくは一度、ゴホンと咳払いをした。
そして、フリートークを担ぎあげて「わーい」と街を指差す。
「見なよ、フリートーク、街だ、街が見えるぞ!」
「あー、はいはいそうだな」
ぼくのワクワクを隠せない歓声とは正反対にフリートークがつまんなさそうに答える。
む。
ワンモアセイ。
「見なよ、フリートーク、街だ、街が見えるぞ!」
「おーおー、すげー。今度は撃たれないといいな」
むむむ!
「ぼくがせっかく感動の新人類とのご対面の場面をやり直しているっていうんだから、ちょっとくらい協力的になってもいいんじゃない?
精神的なサポートもフリートークの役目でしょ?」
思い出っていうのは後になって美しく感じるらしいけれど、初めから美しいに越したことはないのだから。
ぼくが目の前にフリートークを吊り下げて、その鼻をペチペチと突つきながら言うと、フリートークのほうはこれみよがしにため息をついた。
「まったく……お前さんってやつは面倒なやつだな。
おおっと! めんどくせえって言ってるんじゃないぞ?
地上に来てからこのかた、はしゃいで失敗ばっかりしてるやつがいるからな。慎重にもなるってもんさ」
ぐぬぬ。
もういいや! フリートークなんてもう知らない!
フリートークが協力してくれないのなら、じゃあ違う人と感動と共有すればいい。
ぼくはもうひとりじゃない! ってなんか、感動的なセリフだよね。
ゲームなんかじゃ仲間たちの集団をパーティって呼ぶけれど、いまのぼくには仲良しパーティがいるのだ!
ぼくはくるっと振り返って、すぐそこにいたミラを背中に担いだ。そして再び「わーい」と街を指差した。
「見なよ、ミラ! 街だ! あの塔はなんだろう、とっても白くて素敵だな」
「……見えません」
「そうだった、ごめんね。じゃあ次はガーライルさん。見なよ以下略!」
「オレっちの故郷だから、すごいって言われてもあんまり……」
仲良しパーティはすでに崩壊寸前だった。
なんてこったい!
ぼくがオーノーって頭を抱えていると、ガーライルさんが首を傾げる。
「……兄貴ってば、なんでどうしてそんなにテンションハイなんじゃん?」
なんでって? そりゃあ決まってるさ!
「ふふふ。よくぞ聞いてくれました。なぜならぼくは海に来るのが初めてなのです」
海。
そう、海なのである。
「ああ、楽しみだな! きっと街にいったら海水浴場があって、水着の女の子がいっぱいいるんだろうな」
いまは夏じゃないけれど、スキューバダイビングだとかサーフィンだとか!
「……」
「……」
でも、そんなぼくに対して二人からはひややかな視線。
「? どうしたの二人とも。もしかして水が苦手だとか?」
「『かいすくよく』ってなんなんじゃん?」
「フルーフさんの言い方からすると海で何かするようですが」
「……え? ちょっと待って?
いやいや、なにかおかしい言葉が聞こえたんだけど?」
ここは海で。そして亜人さんたちは人間さんたちの文化を引き継いでるわけで。
じゃあ、海水浴をするっていうのは至極当然なことじゃなかろうか。
それは文明レベルだとか、倫理観だとかの関係しない、文化以前の何か別の……生物としての本能の発露ではなかろうか。
……そうか! 海水浴っていう言葉じゃないのかな?
「海水浴っていうのはね、海で泳いだり、遊んだり、くんずほぐれつつなきゃっきゃうふふな夏の定番イベントのことさ!」
「……海で泳ぐ、ですか?」
その表情は『うわー、ないない。ありえないわー』って言いたそうな表情だった。
「なんでさ!?」
海水浴どころか、海で泳ぐことさえ否定された!?
まことに遺憾である。
「……なるほどな。おいフルーフ、海を見てみろよ」
ぼくが憤慨していると、フリートークが船べりに呼びつけて、海面を見るように促す。
海は思ったよりも綺麗で、きらきらと日光を反射し輝いていた。
ぱっと見た感じでは、入水してもただちにも永続的にも影響はなさそうな感じ。
むしろ人間文明時代のときよりも透明度は高いのでは?
「きれいだと思うけど?」
「もっと目を凝らせ。日光の反射が不自然な感じじゃないか?」
言われてみると、確かにちょっと変な感じ?
角ばったなにかがあるようなないような。透明な薄いもの――
「……氷?」
「ガラスだ、正しく言うとガラスっぽい何かだな」
「ガラスじゃないの?」
「ガラスにしては浮力がありすぎる。だが、見ただけじゃわからんな」
「よし、じゃあ拾ってくる。とうっ!」
「おいバカ、やめろ」
「そんなこと言われても!」
やれやれ、まったく。フリートークってば、注意が遅いんだから。飛び込んでからやめろって言われても困っちゃう。
ぼくは空を飛べないので、あとは自然の摂理に従って落下するのみなのだ。
――浮遊感、のち着水。
「冷たっ!」
とたんにジャリジャリジャリ、と海をさまよっていたガラス片がぼくのからだにまとわりついてくる。
その動きは海流の流れとか波とかじゃなくて、どこか生物的な意思を感じられる。
出ていけ、出ていけと言わんばかりの拒絶の意思が、ぼくの肌をガラス片の鋭さでもって撫でてくる。
なるほど、ってぼくは思った。
こんな海を水着で泳ごうとしたら、紐が切られちゃってぽろり祭りになっちゃうもんね! だって、毎日がお祭りだったらそれはそれでつまんないもの。
とりあえず、せっかく飛び込んだんだし、このまま船でも押していこうかな、なんて思ったときだった。
「……っと?」
海の底から黒い影がぼくに近づいてくるのが見えた。
黒い……魚っぽい感じ? 胸鰭や尾びれのようなものが見える。
大きさはぼくとほぼ同じくらいで、ガラス片をものともしない高速移動。
「シャチかな?」
それはぼくにむかって真っ赤な口を開くと――
★☆★☆★☆★☆
「ただいま!」
「お、おう……」
「おかえりじゃーん……」
「お、おかえりなさい……」
ぼくが船の甲板に戻ると、みんなぼくを見て、顔を引きつらせた。
せっかくぼくが海水浴のお手本を見せてあげたっていうのね。
でも仕方ないね。
「だって、いまのぼくって人魚姫。なんちゃって!」
ぼくの下半身は絶賛魚類。
ぼくを飲み込もうと必死にシャチみたいな感じの生物がもぐもぐと口を動かしていた。
シャチにしてはちょっと鋭角が多い感じ? ヒレの形もちょっと特徴的かも……。
哺乳類かな? それとも魚類かな? とりあえずシャチだっていうことにしておこう。
「ふふ。エビで鯛を釣るならぬ、ぼくでシャチを釣るとはまさしくこのこと。あ、これって食べられるのかな?」
ぼくがドヤっとした表情で釣果を誇っていると、ミラがおずおずとシャチを指差した。
「あの……痛くないのですか?」
「むしろ歯とか舌の刺激がちょっと気持ちいいかも? ひんやりしてるし。フリートークも試してみる?」
「オレにはちょっと大きすぎるな。ガーライルはどうだ?」
「オレっち!? オレっちはお魚さんはちょっと苦手じゃーん……そうだ。ミラちゃんはどうじゃーん!?」
「わたしに振らないでください! 絶対にノーサンキューなのです!」
絶賛大不評である。
あの大人しいミラが声を荒らげるに至っては、認めざるを得まい。
「ちぇーっ。ウケると思ってせっかくここまで連れてきたのに」
シャチの口をガッと開いて脱出すると、そのまま担いで海にポイッ。ばしゃーんと着水すると逃げて行った。
自然は大切にしましょう。
シャチが逃げていくのを見送って、ぼくはからだをぶるんと揺らした。
「さあ、フリートーク。ちょっと解析してみよう」
ガラス片が甲板に落ちて、陽光を七色に反射させる。そのうちの一個をフリートークに渡す。
「あー……うん。ちょっと時間をくれ」
フリートークの背中をぱかっとあけてそのなかに収納する。
それにしても、海のなかでこのガラス片に生物のような意志を感じたのは気のせいだったのかな?
甲板におちたガラス片は海のなかとはぜんぜん違って、ピクリとも動かない。
死んだふり? それとも海自体に何かあるのかな?
うーん……ぼくもちょっと調べてみよう。
おもむろにガラス片を一個つかんで、口のなかにぽいっと。
「ぱくっ!」
「「「あー!」」」
噛むと無機質な鋭さをもちながらも、薄くはがれていくガラスの脆さが広がる。
塩味と苦味があるけれど、それは海水の味で、ガラスそのものにはうまみも甘みも苦味もない。
しゃくしゃくしゃくっとかき氷のような感じでもない。
むむ! これは――
「ただのガラスだな!」
毒物劇物ソムリエとして断言するね!
「兄貴! さすがの兄貴でもそれは無理じゃん! やめるじゃーん!」
「やめて! 大丈夫だから、喉の毛をわしゃわしゃしないで!」
「あの……くちのなかは大丈夫なのですか? その……切り傷とか」
「ふふ、農業従事者を舐めちゃいけない
廃材、釘、ガラス。農業において鋭いものなんていうのは日常茶飯事に存在するもので、例えるならサッカーにおけるボールのようなものなのだ。
そう、ガラスは友達! 農業万歳!」
「農業関係ねーよ。っていうか、友達食ってんじゃねーよ……。
だが、そうだな。フルーフの言うとおり、こいつはただのガラスだな。浮いているのは……海のほうの関係かもな。グールとかいう生物がいる時点でどこまで科学の法則があてはまるかはしらんが」
それはつまり、ガラス片を簡単には除去できる方法は見つからないってことで。
「海水浴はしばらく無理ってことか。残念!」
その現実にぼくのテンションはダダ下がりである。
でも、そのテンションはすぐに上がることになる。
「そろそろ街が近づいてきたじゃーん。準備するじゃーん」
と言ったのは操舵輪をもつガーライルさん。
言われて前方を見ると、たくさんの船があつまる湾港がすぐそこに!
「ふぉおおお、ワクワクしてきたっ!」
ぼくはついに亜人さんの街へとやってきたのだ。




