誰か助けて!7
犬人の男性はガーライルと名乗った。
かっこよさと、どこか抜けたような馬鹿っぽい愛嬌のある顔立ちをしている男性。
ペチカを柴犬とするなら、ガーライルさんはシェパードのような感じ?
身体は細身だけれど、ひょろひょろとしたイメージは全然なくて、昔はプロスポーツ選手を目指してましたって言われても納得できるような体幹の強さがうかがえる。
彼はプライオリアの街にあるフィッツメーラ商会に所属する商人の一人で、今回は浮遊有船での物資の運搬中に、突如現れたグールに襲われて落ちたということだった。
運搬って言われて、一瞬トラックの運転手さんのようなものを思い浮かべたけれど、そうではなくて総合商社の営業マンのような頭脳労働者であるらしい。
ぼくが彼を見つけたときのことを話すと、「オレっちのほかに誰かいなかったじゃん?」と少しだけ期待を込めた表情で尋ねてきたけど、首を横に振るとがっくりとうなだれた。
「そっか……オレっちってば、生き残っちゃったじゃーん……」
「これからぼくに食べられたいっていうんなら拒否はしないけど?」
「じゃじゃーん!?」
その様子があまりにも気の毒で、ぼくは思わずその肩に手を置いてしまう。
その効果はてきめんで、湿っぽい空気を漂わせていたガーライルさんの表情が一変する。
あまりにもてきめんすぎて、ぼくは誤魔化すように軽く笑った。
「ジョークだよ、ジョーク。なーに、あなたの同行者だって死んだって決まったわけじゃないんでしょ? それならあんまし気を落としすぎるのもよくないと思うけど?」
言うとガーライルさんは「そりゃそうじゃん」とけろりとした表情でうなずいた。
変わり身はやっ!
確かに慰めたのはぼくだけれどさ。
ガーライルさんはほっとした表情を浮かべたあと、「でも、じゃあ」と首を傾げた。
「食わないっていうんなら、どうしてオレっちを助けたんじゃん?」
「おっぱいを揉みたいからさ!」
ウィンクアンドサムズアップ!
男の人が相手だといいね。だってセクハラにならないんだもん。
いままでずっと内に溜めざるを得なかった言葉を口にできてぼくは大満足!
よくよく考えてみると、思春期の男の子の心情を理解できそうな相手に出会ったのは初めてなのでは?
それだけでもガーライルさんを助けた価値はあったといえるであろう!
煩悩とは本能の発露であり、理性によって克己された精神状態こそが普遍的な倫理の善徳なのである。
でもそれは煩悩を一方的に弾圧した状態であって、生物としての生を否定した不健全な状態でもある。
つまりぼくらが心安らかに生きるために必要なものとは、適度なセクハラ発言に他ならないのだ。ぐへへ。
でもガーライルさんは違う意味でとらえたらしい。身を守るよに肩を抱きかかえて、真っ赤な顔を見せる。
「ええ!? オレッちのおっぱいを!?」
「男の人のはノーセンキュー!
いわゆる風が吹いたら桶屋が儲かるてきなあれだから!
人を助けてたらいつの間にかハーレムができあがっているっていう古来より伝わる伝統的な王道パターンを求めてるだけだから!
だから顔を真っ赤にして服の裾をつかまないで!」
まったくもう! 亜人さんたちってばぼくをなんだと思っているんだろう!
ぼくは紳士なのである。かつて、地上に繁栄していた人間文明の、その知性の後継たる人工生物なのだ。
「じゃ、じゃあ、ほんとのほんとに、オレっちを善意で助けたっていうんじゃん? そんなの信じらんないじゃん!」
そんな風に、どこまで怪しがるガーライルさんに対して、不機嫌そうに鼻を鳴らしたのはフリートークだった。
「ふん。助けてもらったっつーのに、あのクソガキといいあんたといい、亜人ってやつは無礼なやつばっかりだな。
おい、フルーフよ。いまからでも山に捨ててきたらどうだ?」
わーお、過激。でも、ぼくはフリートークの鼻を突ついて嗜める。
「そんなわけにもいかないよ。
ガーライルさんがぼくたちを信用できないっていうんなら仕方ないじゃないか。
でも、今日は夜も遅いし危険だよ。せめて逃げるのは明日の朝が来るまで待ってくれない?」
「……」
ぼくの提案に対してガーライルさんは無言。――と、そのときだった。
「いやあああああああああ!」
少女の声が静かな夜を切り裂いた。
「ミラの声だ!」
ああ、もう! 忙しいな!
昼はグール、夜は雷の狼さん。じゃあ今度は何かな?
そろそろご褒美として、おっぱいの大きなお姉さんとかがでてきてくれてもいいんじゃなかろうか!
フリートークをひょいっと持ち上げて肩に乗せる。
ホテル内に戻り、壊れたエレベーターを尻目に、ずだだだーと階段を駆け上がり、ミラのいるはずの一室へ。
部屋に戻ると寝ているはずのミラが髪の毛を振り乱してうなされていた。
「いやああ、いやああああ!!」
「フリートーク、薬を」
「おう」
部屋の端においておいたリュックからアンプルを引っ張り出し、フリートークに投げ渡す。
フリートークは注射器のようにその尻尾からアンプルの中身を吸いとって、ぷすっと尻尾をミラの首筋に突き刺して処方。
するとすぐに「すーすー」と嘘のように静かになる。
さすが万能サポートユニットと名乗るだけあって、処方は完璧だな。
静かになったミラを見下ろして、フリートークがやれやれとため息をつく。
「心的外傷後ストレス障害――いわゆるPTSDだろうな。予想通りっちゃ予想通りではあるが」
「ふーん。そうなんだ」
改めてミラを観察する。
指の爪は齧られてギザギザ。尻尾の毛も自分でむしったのか、あるいはストレスによって抜けたのか、まだらに肌が見える。
色々なものが不足しているのに、ストレスにだけは不足していないなんて、なんて不憫な娘なんだろうね。
ふーやれやれ、ってぼくたちが安堵のため息をついていると、ガーライルさんも部屋に戻ってくる。そしてぼくたちがついさっき使ったアンプルを見ると、信じられないという表情を浮かべた。
「まじでアムリタを使ってるじゃん……」
「もったいない?」
「そりゃそうじゃん。アムリタ1個買うお金があったなら、おっぱいなんてもみ放題じゃん」
え? それほんと!?
って言いかけちゃうけどそこはぐっと我慢。
だってぼくはおっぱいをもみたい紳士なのであって、けっしてただの変態じゃないんだもの。
だからぼくはガーライルさんにキリッとした表情で向かいあった。
「それは違うよ。確かにお金があればおっぱいはもめるかもしれない。
でも、ぼくが求めているのは古来より崇拝されてきた神聖なる愛に基づくエロースの象徴としてのおっぱいなのであって、お手軽に金銭で手に入るおっぱいじゃないんだ。うん」
言ってしまえば、それは一種の羨望でもあるのだと思う。簡単に手が届かないからこそ魅力的で、でもぜんぜん無理っていうんじゃ心が疲れてしまう。
ぼくにとってのおっぱいとは”そういう距離感”の代物なのだ。
嗚呼、おっぱい!
「めんどくせえなぁ……ったく、童貞がそれっぽいこと言いやがって」
「ど、童貞じゃないよ!?」
ふふん、と笑みを浮かべるぼくに、皮肉げに言ったのはやっぱりフリートークだった。
せっかくカッコよく誤魔化せたと思ったのに何を言うんだ、このトカゲは!?
「……確実に童貞だろうがよ。あの島のどこに女がいたってんだよ」
「むむむ……それを言うなら、フリートークだって童貞じゃないか」
「え、オレ? 去勢されてるし?」
「oh……」
いきなりの告白に思わず股間がきゅっとしちゃう。
「嘘だよ、嘘。真に受けるな。だいたいオレは生物じゃないんだぜ?」
「それもそうか」
ぼくたちのじゃれあいをよそにガーライルさんは険しい表情を浮かべていた。ぼくは「冗談はさておいて」と、真面目な顔でガーライルさんと改めて向き合う。
「墜落していた船に残っていたから保護したんだ。
空を飛んでいた船がこの近くに落ちていてね。ガーライルさんもその近くで見つけたんだ。もしかして一緒の船に乗ってたお知り合い? だったら保護してくれると嬉しいな」
すーすーと気持ちよさそうな寝息に変わったミラを見ると、心の底にぽかぽかとした春の日差しのような安心感のある温かさが芽生えてくる。
ペットを飼うってこんな感じなのかな?
「保護? 保護って言ったじゃん?」
でもその返事は彼にとって充分なものではなかったらしい。
険しい表情をさらに険しくしたガーライルさんはぼくの顔をまじまじと見つめた。
「仕方ないじゃないか。だって、この娘はぼくに助けてって言ってしまったんだもの」
だから「ウッソー、信じらんない! ほんとは食べちゃう気じゃないの?」みたいな表情を浮かべるのはやめてほしい。
さっき言った冗談は確かに趣味が悪かったのかもしれないけれど、そんな顔をされるのはちょっと心外だ。だって、ぼくはおっぱいがもみたいだけの紳士なのだから。




