誰か助けて!6
「……いっちゃった」
「すげえ逃げ足の速さだったな。おい、ヒーロー。追わなくていいのか?」
「去る者は追わずって言うじゃない。それにあの勢いなら案外、街まで無事にたどり着くんじゃないかな?」
さすがに2000年も経つと肉体も進化するものらしい。
彼の走る速度はゆうに100メートル10秒を超えていたように思う。
耳を澄ませると、夜の廃墟が奏でる音楽に、コンクリート片を蹴ったり、茂みをがさりと踏む音と人の声が混ざり、俄かに活気づく。
人の声はだんだん遠ざかっていって、お、これは街までたどり着けそうだなー、なんて……
「――あ、野犬っぽい声が……」
バウバウという鳴き声。しばらくするとさらにギャーギャーやガウアアアという音も混じって、さながらブレーメンの音楽隊のような仄々とした騒ぎに。
「おい、戻ってきやがるぞ。しかもお客さんを引き連れて」
音が、遠ざかっていったよりも速い速度で戻ってくる。
それを追うバウバウって鳴き声の移動速度もまた素晴らしい。
きっと獲物の進化にともなって、それを追う動物も足の速いものが選別されてきたのだろう。切磋琢磨。実にいい言葉だよね。
「おかえりー」
やがて、ひーひー、と息も絶え絶えに戻ってきた男性は、ぼくの顔を見ると絶望の表情を浮かべてあおむけに倒れこんだ。
「グールに殺されたと思ったら、今度は前に魔獣、後ろにも魔獣じゃーん! 今日のオレっちってば超不幸!」
「これくらい怖がられるといっそ清々しいなぁ」
「もうどうにでもするじゃーん!」
「グルルル……」
やけくそ気味に男性が叫ぶと、それと同時に、夜の帳の奥から一頭の巨大な獣が現れた。
「ふーん、あれが魔獣……ね」
フリートークが興味深そうにその獣を見る。
グールや野生動物とはまた異なった趣がある生物だ。
姿かたちは犬やオオカミに近い。
ライオンを2回りくらい大きくした巨体。持久力のありそうな発達した足。最大の武器はその牙だろうか? エナメルとはまた違った光沢がある。
だけど、最も大きな特徴はその全身を覆うように発生している雷だろう。パリッパリッと小気味よい音を立てて、夜中だというのに白く発光していた。
野生動物として目立ちすぎてるのはどうかと思うけど、それはつまりこの山において隠れる必要がない能力を有しているってことだ。
「ガルァアアアァアアア!」
人類は火を使いだすことを文明の萌芽としたけれど、彼らはなんと雷を操るようだった。
100万年くらいしたらすごい文化を構成していそうだよね。あるいは亜人とは彼らの進化した生物なのかもしれない。
そのオオカミはぼくを見ると、少し警戒するように低いうなりをあげて、
「ガァッ!」
結局、敵とみなしたらしい。体を覆っていた内の一条の雷がぼくに向かって放たれた。
その雷は一直線にぼくに向かい、毛にあたってバチッっと音を立てた。
「あち」
別に熱くもなんともなかったけど、可愛らしさをアピールするためにあざとらしくお耳にお手々!
でも、それだけだった。
ぼくの毛皮は焦げ目すらもつくることなく雷を吹き散らしてしまう。
「あち、って……もうちょっとなんかリアクションとってやれよ……」
フリートークが可哀そうだろ、と言うけれど、ぼくはドヤっと笑って返した。
「ふふん。農業従事者をなめちゃいけない」
急な落雷なんてよくある話。百雷の降り注ぐ過酷な状況でも農作業をすることを宿命づけられたぼくの雷対策は完璧なのである。
「つまり、この程度の雷でぼくが痺れることがあるもんか。農業万歳!」
「農業関係ねーよ。おい……なんか怒らせたみたいだぞ」
ぼくが平気な顔をしているのを見て、オオカミのほうはいたくプライドに傷がついたらしい。
眼が険しくなって眉間にもシワが寄る。尻尾も毛がぶわっと逆立って、まとっている雷の光量が上がって、バチバチという音の響きが高くなる。
「ギュルグアァァアア!」
ホテルの前はまるで昼のように明るい。ピリピリと空気の振動すら感じられるほどの圧力は、いったいどれほどの威力を秘めているのか……
「この魔力は……後ろの建物ごと、吹っ飛んじゃうじゃん! 具体的に言うとオレっちの骨を10回溶かしてお釣りがくるぐらい! イヤじゃーん! 消し炭になりたくなーい!!」
妙に説明口調な男性が悲痛な悲鳴をあげ、オオカミがあざ笑うようにその力を解き放つ。
「アアアァアアっっ!!!!!」
――それはまさしく光の奔流だった。
雷とは古来より悪を打ち倒す神秘の象徴であり、すなわち人が偉大なる自然界に対する尊敬と畏怖の象徴である。
その偉大なる自然界そのものがぼくに牙を剥き――
「あち」
可愛らしさをアピールするためにあざとらしくお耳にお手々!
「農業従事者をなめてはいけない以下略!」
「だから、農業関係ねーよ」
魔法ってすごい。
こんな電圧の雷を一体の生物が生み出すなんて、いったいこの2000年で何があったっていうんだろう。生命の神秘を感じてしまう。
むむむ。これは……
「よーし、決めた! ぼくはこのオオカミをペットにするぞ!」
「は?」
「だって、落雷が発生したときに生成される窒素化合物は天然の肥料になるんだ。これだけの出力を普段からつかえるならいろいろ便利じゃないか。それにマスコットとしてもぼくとセットで売り出せて2倍お得!」
「……正気か? いや、うん……その、なんだ。……毎日ちゃんと散歩とかしなきゃダメなんだぞ?」
あきれたようなフリートークにぼくはサムズアップで答えた。
「そんなことより農業だ!」
でも、肝心のオオカミのほうが「ギギギ」とうなりしっぽを巻いて逃げていった。残念。
「――さて」
しばらくオオカミの去って行ったほうを見つめて、戻ってこないことをしっかりと確認すると、ぼくたちは頭を抱えたままぎゅっと目をつむっている男性のほうを振り向いた。
「もうオオカミはいなくなったよ」
男性を追っていた他の動物たちも、オオカミが撤退したのを見てあきらめたらしい。周囲には静謐が戻っていた。
ぼくが声をかけると、男性は恐る恐る顔を上げる。
「……オレっちってば生きてるじゃん?」
そしてぼくの顔を見て、やっぱり「ひっ」って悲鳴をあげたけど、今度は腰が抜けているのか逃げることなくその場に尻もちをついたまま。
「見つけたときはひどいケガだったけど薬がよく効いたみたいだ。よかったよ」
「あ、あんたが助けてくれたじゃん?」
ぼくが話しかけたときに浮かべた表情は諦観だろうか。でも、ぼくの言葉を理解するとおずおずと尋ねてくる。
「そうなるかな。勝手にこっちが持ってた薬を使ったけど、アレルギーとか医師から処方に注意されてるとかないよね?」
つかった薬のアンプルを手渡すと、彼はしばらく匂いを嗅ぎ、そして目を大きく見開いてから、そこにほんの少しだけ残っていた液体を舌を伸ばして舐めとった。
その舌使いときたら、「あ、これ絶対犬の人だ」って確信できるくらいにお見事だった。
「ペロ。これは……アムリタ!?
馬鹿! なんでオレっちにそんなもんを使っちゃったじゃん! ああ……もったいないじゃーん!」
叱られた!?
男性はぼくたちに目もくれずにアンプルを掲げて、夜空に向かって嘆きだした。
そのあまりの嘆きにぼくたちは顔を見合わせてしまう。
「そんな大層なものだっけ?」
「いんや、ただの市販されていた傷薬のはずだが……」
「あーん、もったいないじゃーーーーん!」
その慟哭は夜の廃ビル群にわんわんと響き、やがて静かになった。




