誰か助けて!5
夜になった。
空には赤い月が昇り、夜の廃ビル群にミミズクのようなほーほーという鳴き声と、朽ちた建物の躯体を風が通りぬける音が静かに共演していた。
ぼくたちがいるのは廃ビル群の一角、ピンク色の大きな看板で『※HOTEL※』と描かれた看板を掲げたビルの一室。
結局あのあと、ミラのほうも緊張の糸が切れたのか、くたりと気絶してしまって、2人を担いだぼくは安全に休める場所――この廃ホテルへと行きついていた。
清潔な円状の大きなピンク色のベッドの上には、疲れて果てて気絶するように眠りについたミラと、瀕死の怪我を負っていた名も知らぬ男性が一緒に全裸で眠っている。
ミラが急に倒れたのでその処置のためと、男の人の治療のためにふたりの衣服を全部ひっぺがしたんだけど、おかげで知らない人が見たらちょっとした事件になりかねない光景が爆誕していた。
「……さて、と」
静かに眠る二人を置いて、ぼくは廃ホテルを出る。
空を見上げると、天空島にいたときよりも月は遥かに遠く、星の瞬きは薄い。
昼はあんまり思わなかったけれど気付かなかったけれど、いまだにこの世界は汚染されているのだろう。
地平線のほうを見ると、ほとんど真っ暗。天に向かってライトピラーが伸びている場所もあったけど、かつての人間文明からするとほんのわずかなきらめきでしかない。
「やれやれ、まったく。いらん苦労ばかり呼び寄せるやつだな、お前は」
そんなセンチな夜景をバックグラウンドにして、先に外に出ていたフリートークがぼくを見つけると、肩をすくめた。
このトカゲってば、なんでこういうときはかっこいいんだろうね。
「でも、楽しいよ。こんな気持ちは初めてかもしれない。なんていったらいいんだろうね。……ヘソで茶が沸く?」
ぼくはそのあたりにあった岩の上に座った。乾燥した岩肌は昼の熱気を忘れて、芯の底からひんやりと冷たい感触をお尻に返してくる。
「沸かしちゃダメだろ……昼間も言ったけどよ、あんな街に入ろうとしないで、そのままガッデンヘイヴとかいう街のほうまで行きゃあいいんだ。あんな娘っ子や死にぞこないは放っておいてよ」
「それはそうかもしれないけど、そういうわけにもいかないじゃないか。それにひとの命を救うっていうのもヒーローコミックの主人公になったみたいでかっこよくない?」
「へいへい、そいつはたいそう気楽なことで」
まったくフリートークったら素直じゃないな。こういうのをツンデレ? っていうんだろうね。天空島のときからその気はあったけれど、地上にきてからツンデレをこじらせているように思える。
「でもフリートークだって、ずいぶんとあの子を気に入っているじゃないか」
特にミラに対してはツンツンしすぎだ。でも、そろそろデレないと攻略不可能になる可能性がある。
同行人同士が険悪だなんてそんな針の筵な状態は嫌だからね。もちろんラブラブすぎてチュッチュされても困るけど。
「オレが? あの小娘を?」
フリートークが心外そうに眼を丸くしたので、ぼくは首をかしげた。
「あんなにつっかかるフリートークは珍しいと思ったけど?」
「……お前さんがどこまで面倒を見る気かしらんが、ある程度距離は置いておけ。あの娘は虚弱に過ぎるぜ、心も体もな」
ぼくにはこの世界において依るべきものが何もない。
社会的信用もないし、職もない。斟酌すべき人間関係もなければ、守るものすらもない。
つまり、ぼくは”無敵”だ。
人間関係も、法律も、いかなるものもぼくを縛ることはできない。
昼だって、突破しようと思えば突破できたし、あるいは銃を持つ人たちを相手に暴れることもできた。そうしなかったのは、ぼくらが良識ある人間文明の産物であるからに他ならない。
でも、そう言えるのはぼくが強いからだ。
じゃあ、無敵なだけで弱いひとはどうすればいいんだろう?
ネットワーク、すなわち助けを求めるための発信能力がないこの世界で、孤独で弱い者はいったいどういう風に生きていけばいいんだろう。
無敵であるということは孤独だってことでもあるのだから。
でも、
「ぼくは逆に心が強い子だなって思ったけどね。
あの子はさ、ちょっと嫌なことがあって意地を張ってるだけだで、ほんとはきっと誰よりも負けず嫌いで、やさしい子だよ」
「オレには不遇な境遇に拗ねてるだけのクソガキにしか見えないぜ?」
「拗ねるってことは怒りつづけてるってことでしょ? それってすごいエネルギーだなって思うんだ。ぼくなんて3日も怒りつづけたら、くたくたになっちゃうもの」
それは八つ当たりに近くて、他人との軋轢を生み出すことが多いけれど、ミラという女の子はそれを自身に向けているのだ。
「そのエネルギーがあればなんとかなるよ。たぶん、きっと。まったく根拠はないけれど」
そう、考えても仕方ない。
あえて言うなら、いざとなれば天空島にもどればなんとでもなるか、って感じ?
居場所がないっていうんだったら、なんだったら天空島に連れて帰ってもいい。1人や2人くらいは余裕で養えるわけだし。
言ってしまえばこの世界において、ぼくはしょせん旅行者でしかなくて、難しいことを考えるのはこの世界の人たちの仕事なのだ。
旅行者であるぼくは生活の邪魔にならない程度に楽しむことだけ考えればいい。イエーイ!
ぼくがそんなことを思っていると、フリートークがひひひと笑った。
「さよか。ま、都合がいいのは事実だけどな。あの娘を人質にして行進すりゃあ撃たれることもなかろ」
「フリートークってば、そんなひどいこと考えてたの!?」
「でも、実際助けてどうするかって、考えてなかっただろ」
「もちろんその通り! 明日ふたりが起きてきたら相談してみよう。なーに、3人よれば文殊の知恵って言うし、なんとかなるなる。
フリートークに、ミラに、あの倒れていた男性。誰かが何とかしてくれるって。余裕余裕!」
「自分で考える気はないのかよ……」
「考えた結果、誰かに考えてもらうのがいいってことに気付いたのさ」
下手の考え休むに似たり!
だいたい、亜人さんの社会体系とかルールとかもわかんないし。
そうそう、男の人といえば。
「それにしてもあの男の人はなかなか目を覚まさないね。いつ目を覚ますんだろう?」
男性のほうは体中に傷はあったものの、ミラのような虚弱からくる気絶ではなかったので、万能傷薬で傷が治ればすぐに目を覚ますと思ったんだけど、かれこれ約4時間以上眠り続けていた。
「処置はしたが、なにせ相手が人間じゃねーからな。なんとも言えんな」
――と、フリートークの言葉に応えるようにホテルの入り口の玄関が開いた。
部屋の光が逆光になって顔は見えないけれど、頭には犬のお耳がぴょこんと立っている。尻尾が少し小さく揺れているので警戒しているのかな? ホテルに置いてあった浴衣のような服を着て、きょろきょろと少し不安げに辺りを見回している。もちろんその正体は、さっき見つけたあの男性。
「気がついたんだ、よかった。痛いところはない?」
「ひょ!?」
ぼくが座ったまま話しかけると、驚いたように、びくーん、と彼は背筋を伸ばした。そして目が合う。
目と目が合うって、素敵なフレーズだよね。これから恋が始まりそうなそんなフレーズ。
おっと、目線を合わせるのは警戒されないための基本事項なので、男の人と恋をしたくてそうしたわけじゃないよ?
彼はぼくの顔を見ると、一瞬きょとんとして、
「――ば」
「ば?」
「化け物じゃんよぉぉぉっ! ヘルプ、ヘェルプ! 死ぬのは嫌じゃーん! 食べられたくないじゃん! おたすけえええええ!」
脱兎の勢い。
彼は犬人のはずなのにね。おかしいね。
ぼくたちにできたことは、彼が叫びながら夜の帳の向こうへと消えて行くのを見守ることだけであった。




