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98 口汚し


重く張り詰めた空気の中、

店長がふっと息を吐き、小さく手を叩いた。


「……とりあえず、何か飲みますか?

俺、喉カラカラなんですよ。」


彼の声は震えてはいないけれど、

いつもの明るさとは違って、どこか心細さが滲んでいた。

それが逆に“今は皆が緊張しているんだ”と

静かに教えてくれる。


その言葉に、私もハッとした。

たしかに喉が痛いくらい乾いている。

緊張しすぎて、口の中が砂みたいだ。


美歌さんは、そんな店長の気遣いに

ほっと笑みを浮かべた。


「そうね。

飲み物……ありがたいわ。」


私も、思わず同じように微笑んでしまっていた。

緊張の糸が少しだけゆるんだ気がして。


「えぇ……私も、いただきます。」


店長は「了解です」と言って立ち上がる。

その背中は、さりげなく二人を気遣う

優しい大人の背中だった。


カウンターの奥から聞こえてくる

カチャ、カチャッ…とグラスを用意する音。


それが、さっきまでの張り詰めた空気を

ほんの少しだけ、現実へと引き戻してくれる。


美歌さんと私は、顔を見合わせて小さく笑い合った。

まるで「大丈夫よ」と言ってくれているみたいだった。


――この時の私たちは、

ただ静かに飲み物を待ちながら、

嵐が通り過ぎるまでの“束の間の安らぎ”を

感じているだけだった。


だけど、

この後に待ち受ける出来事が

その想像を遥かに超えて

私たちを飲み込んでいくことを――


まだ誰も知らなかった。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


闇の中に沈んだ部屋。

光の欠片ひとつないその空間に、

女の、氷のように冷たい声がゆっくりと響き渡った。


「……あの、口汚しめ。」


ひとつひとつの言葉が、

唾を吐くように憎しみに満ちている。


「絶対に許さない。

 今夜――必ず息の根を止めてやる。」


静かに、しかし確実に地獄へと引きずり込むような声。

その怒りは烈火ではなく、

凍てついた憎念となって淀み続けていた。


女の指先が空をゆっくりかきむしるように動く。


「ここまで……ここまでうまく行っていたのに。

 あの女……あの“口汚し”が邪魔をしたせいで……」


ギギ…と床を引きずるような音。

見えない何かがそこに立ち上がった。


「――翔太。おいで。」


その声には、母親が子を呼ぶ優しさなど微塵もない。

命令と支配だけが詰まった、冷酷な音。


闇の奥から、細い足音が近づいてくる。


トン…トン…トン…


現れたその“少年”は、

目だけがはっきりと赤く光っている。


「……はい、お母様。」


その声は、幼いのに、どこか空虚。

魂の抜け殻がただ返事をしているだけのようだ。


女はその返事を聞いて、

ゆっくりと笑った。


「あの口汚し……まだ油断はできないよ。あいつはね、たとえ黙っていても、次の瞬間に何をしでかすかわからない。

だから――翔太、お前は私の言うとおりに動くんだ。わかったね?」


闇の中に響くその声は、優しさのかけらもなくただ冷たさだけたった。

翔太は小さく返事をした。


「……はい、お母様」


影は奥で、ゆっくりと動いた。

それは人の形をしているようで、していない。

ただ、確かに“宙にさまよっている"のが分かる。


「いいかい、翔太」

その声は言葉の端々から凍りついたような支配の気配がじわりと滲み出ていた。

「お前はね、私の言うことだけ考えていればいいの。

余計なことは考えなくていいし、考えてはダメだからね。

私が望む通りに動きさえすれば……お前はずっと安心でいられるんだからね」


言葉が終わると同時に、翔太の肩にそっと触れる冷たい何か。


「……わかったかい?」


翔太はただ奴隷の様にただ一言


「……はい、わかりました」


その瞬間、影の中の“何か”が満足そうに微かに笑った

静かに……



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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