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96 つかの間の休息


窓の外にいた“女”は、

貼りついたような不自然な笑みを顔に残したまま、

じっと店の中を覗き込んでいた。


まるでガラスなんて存在しないみたいに、

その視線は真っ直ぐこちらへ――

寒気を帯びて、皮膚の下にまっすぐ突き刺さってくる。


女の目が、ゆっくり私たちをなぞるように動き、

最後に、美歌さんの方でぴたりと止まった。


次の瞬間、唇がぐにゃりと歪み、

笑顔とも、怒りともつかない異様な表情に変わった。


低く濁った声が、

ガラス越しとは思えないほどはっきりと響いた。


「……あぁ、やっぱり。

邪魔をしているのは――あなたね」


その声はまるで耳元で囁かれたようで、

背筋が凍るほど冷たかった。


女は続けて、

こちらを嘲笑うように首をゆっくり傾けた。


「まあ……いいわ。

逃げられると思ってるのならね――

待っててちょうだい。

もう“見つけた”んだから……」


その瞬間、笑った。

目だけが笑っていない、死人みたいな顔で。


不気味な笑みを浮かべたまま、

女の体が煙のように輪郭をぼやけさせ、

黒い影となって溶けるように薄れ、

最後には――

そこにいたはずの気配ごと、すうっと消えた。


音も残さず、風さえ動かさず。

ただ、“狙われている”という事実だけを残して。


窓の外は、もう何もいなかった。

だけど、さっきまで居たはずなの


美歌さんが、ゆっくりとまぶたを開いた。

その瞳は、さっきまでの柔らかさをどこかに置いてきたように鋭く、

店の空気の揺らぎまで読み取るように周囲を見渡した。


「……おかしいわね」


小さく呟いた声は、

落ち着いているのにどこか引っかかるような響きを帯びていた。


「今の結界で、あの無浄霊が“引き下がる”はずないの。

あの種類は、目的のためならしつこく食い下がってくる。

それが――すっと消えた。

何か……ほかに企んでいる気配があるわね」


美歌さんは眉をひそめ、

天井の一点を見るように視線を止めた。

まるで何かの残滓を読み取っているかのように、

ほんの少しだけ息を殺す。


その沈黙が、逆に私の心臓をドクンと鳴らせる。


だが次の瞬間、

美歌さんはふっと肩の力を抜き、柔らかい声に戻った。


「……とりあえず、今は“休戦”みたい。

ひなちゃん、店長さん――

あの女は今、この店の付近にはいないわ。

いまのところは大丈夫よ」


その言葉に、張りつめていた緊張の糸がようやく少しゆるんだ。


「は、はい……大丈夫です……」

私と店長はほぼ同時に答え、

胸の奥にたまっていた息をゆっくり吐き出した。


ほっとした――

けれど、その安堵はどこか脆くて、

背中に残る不穏な寒気は完全には消えてくれなかった。


まるで、嵐が一度遠ざかっただけで、

本当の本番はこれからだと告げられているような。


美歌さんはそんな私たちの揺れる心を察したように、

「大丈夫」と優しく微笑んだが、

その瞳の奥には、確かに警戒の光が残っていた。


嵐は――まだ終わっていない。


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