94 見つけた…
「シュウくんは、そのまま寝かしておいてあげてね。」
美歌さんの声は、まるで遠くから響くように静かだった。
けれどその静けさが、逆に胸の奥にじわりと不安を呼び起こす。
「ひなちゃんと店長さんも、そこにいればいいからね。
ただ……何かが始まったら、おへその少し下あたりに意識を集中して、タンデンで言うの
目を閉じていていいの。絶対に開けちゃだめよ。」
その「目を閉じて」という指示が、
もうすぐ“目を開けてはいけないもの”が現れるのだと告げているようで、
ひなの喉がぎゅっと締めつけられるように感じた。
店長もひなも、息を飲み込むようにして、
ただ静かに頷くことしかできなかった。
美歌さんは私達2人の顔を順に見て、
不思議と落ちついた笑みを浮かべた。
その微笑みは優しいのに、
どこか嵐の中心に立つ人のような、
揺るぎない強さと覚悟を感じさせた。
まるで――
この後に訪れるもののすべてを知っていて、
それに立ち向かう準備が、すでに整っているかのようだった。
店の中は妙に静かで、
さっきまで聞こえていた冷蔵庫の小さなモーター音すら、
今は止まってしまったように感じる。
テーブルで眠るシュウのかすかな寝息だけが、
この空間に“まだ現実だよ”と訴える唯一の音。
それなのに、
空気は少しずつ重く、暗く、冷たく変わっていく。
嵐の前――
風が止まり、空が深く沈むような、あの独特の圧。
ひなも店長も、
その“何かが近づいてきている気配”を
肌で感じずにはいられなかった。
美歌さんはそっと目を細め、
まるで遠くの闇を見通すかのようにささやいた。
「……もうすぐ来るわ。」
その時だった。
耳の奥で、水の水滴が落ちるみたいに小さく――でも確かに聞こえた。
「……見つけた……」
誰の声でもない。
けれど、それは “私たちの居場所を探していた誰かが、ついに見つけた” みたいな、背中の骨がひとつひとつ凍っていく感覚を伴っていた。
私は思わず、何に導かれるでもなく窓の方へ顔を向けた。
ひなの背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。
……そして見た。
その瞬間――
ひなの心臓が凍りついた。
窓ガラスの向こうに、
外の暗さに溶け込むようにして立つ 女の人。
まるで最初からそこにいたかのように、静かに、こちらを覗き込んでいた。
口元だけが、不自然にゆっくりと吊り上がり、
“笑っていた”。
静かに、静かに、
ガラスに額を押しつけてこちらを覗き込みながら。
目の奥が何ひとつ笑っていない、
ひとの形を模した “何か” の微笑みだった。
声を出そうとしても、喉の奥で固まって動かない。
ひなは息をすることを忘れ、
声も出せず、椅子に縫い付けられたように動けない。
女はまばたきひとつせず、微笑んだまま。
まるでひなが気づくのを、
ずっと待っていたかのように。
ガラス越しのその視線が、
ひなの瞳をまっすぐ射抜いた。
“見つけた”という声が、
再び耳の奥で響いた気がした。
――まさか。
あれが……
指先が震えて、まるで自分の身体が自分のものじゃないみたいに……




