87 儀式
美歌さんは静かに立ち上がると、カバンの中に手を入れ、
小さな布袋と細長い紙束のようなものを取り出した。
その動作ひとつひとつが、まるで長年やってきた儀式のように迷いがなかった。
そして、そっとシュウの背中へと手を伸ばす。
袋の中身――白く細かい粒子が、ふわりと舞い落ちた。
塩だろう。けれど普通の塩よりもきめが細かく、
光の加減で淡く光るように見えた。
肩から背中全体へ、
美歌さんはゆっくり、均等にそれを振りかけていく。
その様子はまるで、
“何か”を追い出す道筋を白で描いている様でもあった。
私は見ているだけで背筋が伸びるような、不思議な気配を感じた。
⸻
「これから浄化をするからね、シュウくん」
美歌さんは柔らかな声で言った。
「おへその少し下……“丹田”のあたりに気持ちを集中させて。
ちょっと力を入れるだけでいいから。
深呼吸して……そう、ゆっくりでいいわ」
シュウは言われたとおり、そっと目を閉じる。
呼吸がゆっくりと落ち着いていくのが、外からでもわかった。
その空気が変わったのは――ほんの数秒後だった。
⸻
美歌さんが、低く小さく、しかしはっきりとした声で何かを唱え始めた。
聞き取れない古い言葉のようだったが、その音には力があった。
そして――
パァンッ
突然、乾いた音が店内に響き渡った。
美歌さんが、シュウの肩を払ったのだ。
ほこりを払うように。
しかしその動作は鋭く、リズミカルで、何かを“追い出す”意志が感じられた。
肩、首筋、肩甲骨、背中、腰……
徐々に、徐々に下へ下へと叩いていく。
叩くたびに、空気の重さが薄れていくような感覚がした。
私と店長は息をのみ、身じろぎもせず見守った。
お尻のあたりまで手が降りてきたとき――
儀式はふっと止まった。
空気が一気に軽くなった気がする。
美歌さんが手を下ろす。
静けさが戻った。
⸻
私は店長と無言のままシュウの顔を見つめた。
しばらくして――
シュウのまぶたがゆっくりと開いた。
「……だる……」
その一言と共に、
力が抜けたようにカウンターへもたれかかった。
汗がうっすら額に浮かび、
まるで長い夢から醒めた直後のようだった。
美歌さんはそれを確認して、小さくうなずいた。
儀式は、確かに終わったのだと
その空気が教えてくれた。




