83 今夜
美歌さんが、まるで天気の話でもするかのように淡々と“霊の憑依”を説明し終えたあと、
私も店長も、ただ口を半開きにして、
現実とは思えない話を必死に飲み込もうとしていた。
まさに「ポカン」という表情しかできなかった。
そんな私たちの様子を見て、美歌さんはふっと柔らかく微笑んだ。
その微笑みは、場をほぐすような優しさがあって――まるで姉のようだった。
「ふたりとも……ちゃんとついて来れてる?」
軽く首を傾げて尋ねられたその一言で、ようやく私は息を吸い直した。
「は、はい……なんとか……」
そう答えながら横を見ると、店長も同じように目を丸くしていたが、
その口元には、緊張からくるちょっとした笑みが浮かんでいた。
“いやぁ……すげぇ話聞いちゃったな”
そんな気持ちが表情だけで伝わってくる。
美歌さんはその反応もすべて読み取っているように、
また穏やかに言葉を続けた。
「だからね、昼間はまったく心配いらないの。
霊が動くのは夜だけだから」
その声は落ち着いていて、よく通る。
なんというか……“真実だけを語る人”の響きがあった。
「問題になるのは夜。
夜になると、あの子の中に入り込もうとする。
だからそこを止めてあげるわけ」
私は思わず身を乗り出していた。
「はい……! 私は、何をすればいいんですか?」
心臓が速く打っていた。
怖いけれど、それ以上に助けたい気持ちが勝っていた。
美歌さんは、そんな私を安心させるように、
優しく、けれど確信を持った表情で言った。
「ひなちゃんは、そばにいてあげて。それだけで十分なの。
私がすることは、もっと複雑で専門的なことだから、全部任せてね。
ひなちゃんは、シュウくんの“居場所”でいてあげるだけでいいのよ」
なんて心強い言葉だろう。
まるで“あなたがそばにいるだけで救われるのよ”と言ってもらえているようで、
胸の奥が少し温かくなった。
私は深くうなずいて、まっすぐ美歌さんを見つめた。
「……はい。お願いします」
その声は、覚悟を決めた自分の声だった。
店長は黙ってそのやり取りを見ていたが、
ひとつ長く息を吐きながら
「頼りにしてます……」
と小さくつぶやき、頭を下げた。
その瞬間、
“今夜、何かが始まる”
そんな空気が静かに、確かに、店内に満ちていた。




