73 確信
「……シュウ……」
声にならないほど小さな声が、ひなの唇から漏れた。
一瞬、現実を受け止められずに、思わず口を両手で覆ってしまう。
信じたくなかった。昨日、あんなに心配して、今日こそは元気な姿を見られると思っていたのに。
「シュウ……どうしたの……」
ようやく絞り出した声は震えていた。
言葉にした途端、ひなの胸の奥からこみ上げてくる不安が、涙のようにじんわりと広がった。
シュウの顔を見つめながらも、どこか現実感がなく、まるで夢の中の出来事を見ているようだった。
昨日の美歌さんの言葉──「もしやつれが増していたら、今夜から泊まり込みになるわね」──が、
耳の奥でゆっくりと蘇る。
やっぱり、何かが起きている。
それが確信に変わっていくのを、ひなは自分の中で感じていた。
それでも、怖がる気持ちを必死に押し殺して、ひなは震える手を胸の前で握りしめた。
「大丈夫、私が守るから」──そんな言葉を自分に言い聞かせるように。
「ひなおはよう。別に何も変わってないよ」
裏口から顔を出したシュウは、いつもと同じ調子で笑ってそう言った。
だけど、ひなは一瞬で息を呑んだ。
──そんなはずない。
照明の淡い光の下で見たシュウの姿は、昨日よりもはるかにやつれて見えた。
頬はこけ、唇の色も薄い。
腕や首筋のあたりも、骨ばってしまったようで痛々しい。
まるで一晩のうちに、何年も時が流れたみたいに。
「そんなに、痩せちゃって……昨日よりずっと酷いよ……」
ひなの声は震えていた。
心の奥から、何か冷たいものがせり上がってくる。
まるで彼が“この世の人じゃない”みたいな違和感。
でも、シュウ本人はまったく気づいていない様子で、のんびりと笑った。
「何言ってんの、ひな。俺、全然変わってないよ」
その言葉に、ひなは凍りついた。
彼の頬は削げているのに、声はいつものまま穏やかで落ち着いている。
「嘘……」ひなが小さくつぶやく。
シュウは気にも留めず、壁にかけられた鏡の前に立った。
「ほら、見てみなよ。昨日より顔色いいじゃん」
鏡を覗き込みながら、軽く笑って見せる。
──その瞬間、ひなの背筋を冷たいものが走った。
鏡の中のシュウは……確かに健康そうに見えた。
血色がよく、肌にも光が戻っている。
でも、ひなの目の前にいる“本物のシュウ”は、まるで別人のように痩せ細っている。
現実と鏡の中の姿が、まったく違う。
ひなは息を詰めたまま、何も言えなくなった。
鏡の中の彼は笑っている。
だけどその笑顔が、どこか作り物のように感じられた。
──どうして。
──どっちが本当の“シュウ”なの?
心臓が痛いほどに高鳴る。
目の前にいる彼は確かに声を出している。
けれど、その姿があまりにも弱々しく、影のようで、
まるで“鏡の中の姿”だけが生きているみたいだった。
「……シュウ……ほんとに、何も変じゃないの……?」
やっと絞り出した声は、かすれていた。
シュウは不思議そうに首をかしげると、
「変じゃないよ。むしろ調子いいくらいだ」
と笑った。
その穏やかな笑顔が、ひなには怖かった。
絶対おかしい。
けれど、何がおかしいのかがまだわからない。
ただひとつだけ確かなのは──
彼は自分の姿を“正しく見ていない”。
そう感じた瞬間、ひなの中に、
言葉にできない不安がゆっくりと膨らんでいった。




