66 緊張…
夜の駅前は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
ファミレスのネオンが淡く光り、虫の羽音と遠くを走る車の音だけが耳に残る。
私はスマホを握りしめたまま、店のガラス越しに中を覗いた。
「……まだ来てないよね」
誰にともなくつぶやく。
時計を見ると、約束の時間より少し早い。
慌てて家を飛び出したせいで、心臓がまだ早く打っていた。
扉に手をかけようとした瞬間、
「カラン」と鈴のような音とともに、自動ドアがゆっくり開いた。
そこに、美歌さんが立っていた。
街灯の光が彼女の髪に淡く反射して、どこか現実味がなかった。
「今来たんですか?」
そう聞くと、美歌さんは少し微笑んで、
「えぇ、たった今。一緒に着いたね」
と穏やかに答えた。
「行きましょう」と言われ、私は無言で頷いた。
ファミレスの中は、夜でも明るくて温かいはずなのに、
その光が妙に冷たく感じられた。
店員が「空いてるお席にどうぞ」と声をかける。
美歌さんはゆっくり店内を見回し、
「奥の席がいいわね。あそこでいいかしら?」と静かに言った。
「はい……」
私は小さく返事をして、その背中についていく。
彼女の歩き方は落ち着いていて、それでいて何かを知っているような気配を纏っていた。
まるで“この場所に来ること”を、最初から決めていたかのように。
席に着くと、美歌さんはすぐに言った。
「だからね、連絡先を二人に伝えたのよ。きっとあなたたちに“呼ばれた”のね」
「呼ばれた……?」
私の声が少し震えた。
「そう。だから、あの喫茶店にたどり着いたの。偶然なんかじゃないの」
淡々と語るその口調には、妙な説得力があった。
店内の明るさが急に遠のいていくように感じた。
外の窓ガラスには、通り過ぎる車の光が反射して一瞬だけふたりの顔を照らす。
その光の中で見た美歌さんの瞳が、一瞬、まるで別人のように見えた。
「とりあえず、何飲む?」
不意に現実に引き戻されるような言葉。
私は「えっ」と小さく声を漏らす。
さっきまでの不気味な空気が嘘のように、
美歌さんは優しい笑顔を浮かべていた。
——その自然さが、逆に怖かった。
メニューを開きながらも、指先がわずかに震えていた。
この人は……いったいどこまで知っているんだろう。
そして、私たちは本当に“ここ”で話をしていいのだろうか。
「ひなちゃん、緊張しないでね。大丈夫だから……」
美歌さんはそう言って、やわらかく微笑んだ。
でも、その笑顔がなぜか胸の奥をざわつかせた。
その“落ち着きすぎた声”が、かえって何かを隠しているように感じてしまう。
私は小さく息をのみながら、「……はい」とだけ返した。
テーブルの上で、指先が無意識にストローの包み紙をいじっていた。
店内には、他の客の小さな笑い声と食器の触れ合う音が響いている。
けれど、その音が妙に遠く聞こえる。
まるで私と美歌さんの周りだけ、時間がゆっくりと流れているような気がした。
「——あの時はね」
と、美歌さんが静かに切り出した。
「お店が混んでいたのも、ちゃんと理由があるのよ」
私は顔を上げた。
「理由……ですか?」
「そう。たぶん、私が“来ないように”されたのね」
淡々とした声に、思わず息をのむ。
彼女の瞳が、まっすぐ私を射抜くように見つめていた。
その目には、少しも冗談の色がなかった。
「……そんなことって、あるんですか?」
自分でも震えを隠せない声でそう言うと、
美歌さんは、まるで確信しているようにゆっくりと頷いた。
「あるのよ。不思議だけど、ね」
そう言いながら、カップのコーヒーを静かに持ち上げる。
白い湯気が立ちのぼって、淡い光を受けてゆらめいた。
私はその揺らぎを見つめながら、どうしても心のざわめきを抑えられなかった。
——確かに、あの日だけはおかしかった。
いつもならあんなに混むことなんてないのに、
なぜかお客さんが次々と入ってきて、座る場所さえ見つけられなかった。
まるで、“誰かが意図的にそうしていた”みたいに。
「……確かに、あの日は不思議でした」
私がそう言うと、美歌さんはふっと微笑んで、
「でしょ?」と優しく返した。
その笑顔は、安心させようとしてくれているようでもあり、
どこか“全てを知っている”ような怖さもあった。
少しの沈黙のあと、美歌さんが静かに問いかけた。
「ひなちゃん、他に——シュウくんから何か聞いてる?」
私は思わず息を止めた。
その一言で、心臓の鼓動が一気に早くなる。
“聞いてる?”
その言葉の裏に、
まるで“あの人は何かを知っているはず”という確信があるように感じた。
テーブルの上で手を握りしめると、指先が少し冷たくなっていた。
夜のファミレスの明かりが、妙に眩しく感じる。
——私は何を答えたらいいんだろう。
本当にただの偶然なの?
それとも、美歌さんの言う通り“何か”が起きているの?




