65 大丈夫…
電話口から聞こえてくる美歌さんの声は、どこか落ち着いていて、それが逆に不気味に思えた。
私は深呼吸をしてから、恐る恐る口を開いた。
「美歌さん……なんか、子どもがいたような気がするんです」
一瞬、受話器の向こうの空気が固まった気がした。
「子ども?」と聞き返されるのを覚悟していたのに、美歌さんは黙ったまま。
その沈黙が、まるで私の言葉を肯定しているようで、背筋がぞくりとした。
「はっきりとはわからないんですけど……なんとなく、なんです。影というか、輪郭というか……でも、確かに“いた”って感じがして……」
言葉を選びながらも、自分でも何を話しているのかわからなくなってくる。
思い出そうとすればするほど、あの“形”は頭の中でぐにゃりと歪み、霧のように消えていった。
しばらくして、美歌さんの声が、やわらかく、しかし妙に確信に満ちた調子で返ってきた。
「ひなちゃん、大丈夫。もうわかっているからね。安心して」
「えっ……?」
たったそれだけで、私の胸の中の何かがざわめいた。
まるで、私が体験したことをすでに全部知っているみたいな口ぶり。
私は思わず言葉を詰まらせた。
「えぇ……これだけで、どうして……?」
「ひなちゃん、これから会える? 細かい話がしたいの」
美歌さんの声は優しい。でも、どこか急いでいるようにも聞こえた。
「はい……大丈夫です」
「そうしたら、駅前のファミレスで待ち合わせしましょう。着いたら中で待ってて。私が先なら中にいるから」
「はい、わかりました。今から行きます。美歌さん、シュウは……?」
不安と期待と恐怖が入り混じった声で尋ねた。
一瞬、返事が途切れた。受話器の向こうで空気がゆらいだ気がした。
そして、美歌さんが静かに、でもどこか冷たく言った。
「大丈夫。私がついてるから、安心しなさい」
その言葉を最後に、通話はぷつりと切れた。
耳元に残るのは、途切れた電波のノイズと、心臓の音だけ。
何かがおかしい——そう感じながらも、私は無意識のうちにコートを掴み、玄関へと足を向けていた。
頭の中ではまだ、美歌さんの「もうわかっているからね」という声が反響していた。
それが何を意味するのかも分からないままに。




