63 ………!
ひなは、電話を切ったあともしばらくそのまま画面を見つめていた。
映っていたシュウの部屋。
白い壁。
そこに一瞬だけ、確かに「何か」が揺れた気がした。
——あれは、電波の乱れ。そう、そうに決まってる。
そう自分に言い聞かせるたびに、胸の奥で小さく“違う”と囁く声がする。
携帯をテーブルの上に置いたまま、両手で顔を覆った。
ひなの掌の中に、自分の呼吸の熱がこもっていく。
「……じゃあ、あの壁に映った、透明で歪んだ形は?」
思い出した瞬間、ぞわりと腕に鳥肌が立つ。
人の形のようにも見えた。
子ども?いや、影?
思い出そうとすると、頭の奥がズキッと痛んだ。
テレビ電話の中のシュウは笑っていた。
でも、あの時、ほんの一瞬——
彼の後ろの空気が“波打った”ように見えたのだ。
まるで空間そのものが、何かを隠そうと歪んでいたかのように。
「……気のせい、だよね」
自分に言い聞かせるように小さく呟く。
でも言葉とは裏腹に、手が冷たく震えていた。
無意識に、指先で自分の腕を撫でてみる。
肌が冷えている。
エアコンのせいじゃない。部屋の空気がどこか重く感じる。
その時、不意に“ある言葉”が頭をよぎった。
——『何か変わったことがあったら、すぐに言って。きっとシュウくんに呼ばれたのね』
昼間、美歌さんが言っていた言葉。
あの時は軽く聞き流していた。
でも今なら分かる。
もしかしたら、美歌さんはこの「何か」をすでに知っていたのかもしれない。
「……呼ばれた、って……どういう意味だったんだろう」
その疑問が、ゆっくりと喉の奥で重く沈んでいく。
ひなはバッグの中を探り、昼間シュウから渡されたコースターを取り出した。
そこに、ボールペンで書かれた電話番号。
美歌の字だ。
きれいなのに、なぜか少し震えているように見える。
「……美歌さんに、電話してみよう」
声に出してみると、ほんの少しだけ安心した気がした。
もし何もなければ、それでいい。
でも——もし本当に何かが起きているなら。
ひなは深呼吸をして、携帯を手に取った。
画面をタップする指が、ほんのわずかに汗ばんでいる。
コール音が鳴る。
夜の静けさの中、その電子音がやけに大きく響いた。
まるで、部屋の空気そのものが耳を澄ませているようだった。
——トゥルルル……トゥルルル……
返事がない。
ひなの胸が、音と同じリズムで高鳴る。
もう一度息を吸って、心の中で呟いた。
「お願い、出て……美歌さん……」
その瞬間、画面の向こうから小さな“息づかい”が聞こえた。




