61 夢……
ひなに言われた通り、その夜はいつもより少し早めにベッドに入った。
部屋の明かりを落とし、窓から差し込む街灯の淡いオレンジが天井をぼんやり照らしている。
胸の奥にわずかに残っていた不安を振り払うように、深く息を吐いた。
タオルケットを軽く肩まで引き寄せると、生地が肌に触れる感覚が妙にやわらかく感じた。
体がゆっくり沈み込むようにベッドに馴染んでいく。
遠くで時計の秒針が一定のリズムを刻む音が聞こえる。
目を閉じると、ひなの声が微かに耳の奥で響いた。
「木曜日までには絶対完治してもらわないとね」
その言葉が波のように遠ざかっていき、意識が静かに揺らいでいく。
――眠りに落ちる、ほんの瞬間のことだった。
耳の奥がふっと静まり、世界が柔らかく反転するような感覚に包まれた。
浮遊しているような、沈んでいるような、不思議な感覚。
重力の方向が分からなくなり、体が空気の中に溶けていく。
どれほど時間が経ったのか分からない。
気がつくと、俺は立っていた。
目の前には見覚えのある住宅街。
夜明け前のように空が青黒く、空気が湿っている。
街灯の光は弱く、まるで霧の中で燻ぶるように頼りない。
その中で、ひときわ印象的な一軒の家があった。
綺麗な白い壁、低い塀、そして小さなベランダ。
どこかで見たことがある気がした。
――あの男の子の家だ。
心の奥がざわつく。
どうしてここにいるのか、考えようとしても思考が靄に包まれて掴めない。
すると、静寂を切り裂くように声がした。
「お兄ちゃん、こっちだよ」
ハッとして見上げると、ベランダに小さな男の子が立っていた。
薄いパジャマ姿で、月の光に照らされたその顔は、どこか懐かしく感じた。
「ずっと待ってたんだよ」
その言葉が夜気の中に溶ける。
少年の声は優しいのに、何かが少し違う。
まるで音の中に温度がなく、風が通り抜けていくような、そんな声だった。
背中に冷たいものが走った。
気づけば、自分の足元から白い靄がゆっくりと立ち上っている。
その瞬間、あたりの景色が微かに揺らいだ。
まるで現実そのものが、水面の上で震えているようだった。
――俺は、夢を見ているのか?
それとも、本当にここにいるのか?
そう思ったとき、男の子がもう一度微笑んだ。
「ねぇ、早く来てよ……」
その声は、妙に近くから聞こえた。




