表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/114

60 人影


気を取り直して、それからもしばらく他愛もない話を続けていた。

ひなは、旅行の計画や、次に行きたい場所の話をしていて、画面越しに時おり笑う。

その笑顔を見ると、俺の胸の奥にさっきの違和感が少しずつ薄れていく気がした。

部屋は静かで、冷めかけたコーヒーの香りだけが微かに漂っている。


けれど、その穏やかな空気が続いたのはほんの少しの間だった。


「ねぇ、シュウ……」

ひながふと声を落とした。

「今、後ろ……何か、揺れてる気がしたんだけど」


一瞬、何のことか分からなかった。

俺は反射的に振り返る。

そこにはただ、薄いカーテンが夜風に少し揺れているだけ。

エアコンの風が当たってるんだろう。


「え? どこ? 何もないよ。ただの壁とカーテンだけ」

そう言って笑いながら、カメラを少し動かして部屋の奥を映した。


スマホの画面の中で、ひなが小さく首をかしげる。

彼女の瞳は、ほんのわずかに揺れていた。


「……そっか。うん。たぶん見間違えたんだね。テレビ電話って、映像ぼやけるし……」

そう言いながらも、彼女の表情には微かに緊張の影が残っている。

唇を噛むようにして、それでも笑顔を作ろうとしているのが分かった。


俺はわざと軽い口調で言う。

「まぁまぁ、幽霊だったら挨拶くらいしてくれるでしょ」


「もう、やめてよ……」

ひなは小さく肩をすくめて、それでも笑った。

でもその笑い方が、いつもより少し硬かった。


沈黙が数秒流れる。

その間に、どこかで「コトン」と小さな音がした。

俺もひなも同時に顔を上げたが、どちらも何も言わなかった。


やがて、ひながゆっくり息を吐いた。


「シュウ、今日は早く寝なね。

木曜日までには絶対完治しててもらわないと困るから。

……それに、ちょっと疲れてるのかもね」


「うん、わかった。ひなって優しいね」


「違うもん。江ノ島、行きたいからだもんね。いい? わかった?」


「はいはい、わかりました」


「じゃあ……また明日ね」


「うん、シュウも早く寝なよ」


「わかったよ」


「おやすみ」


「うん、おやすみ」


電話は静かに切れた。


画面が暗転し、部屋に静寂が戻る。

けれど、その暗くなったスマホのガラス面に、

ほんの一瞬、何かが揺れたような気がした。

まるで、背後の空気が波打つように。


俺は何気なくもう一度後ろを振り返った。

……そこには、やはり何もなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ