55 思いつき
「でもさ、美歌さんって、嘘つくような人には見えなかったんだよな」
カウンターの中でグラスを拭きながら、俺はぽつりとつぶやいた。
「だから…正直に店長に話しておいても、悪いことじゃないかなって思ってさ」
「うん…でもなんか、そういうのってちょっと照れくさいよね」
ひなは手を止めて、少し首をかしげながら笑った。
「だってさ、あの人、本当に霊が見えるとか言いそうな雰囲気だったじゃん。でも私達が付き合ってる事、店長に話すなんて、なんか全然違う感じっていうか…」
「ひなはやだ?」
俺が尋ねると、ひなは一瞬だけ視線を落として、すぐに顔を上げた。
「やだってわけじゃないけど…うん、ちょっと恥ずかしいよ。だって、なんか変なカップルみたいに思われそうじゃん」
「まぁ、そうかもな。でも大丈夫だよ」
俺は笑いながら肩をすくめた。
「悪いことしてるわけじゃないし。それに店長、気がついてる気がするんだ。だから、ちゃんと話しておいたほうがいいかなって」
「ふぅん……」
ひなは目を細めて、俺を少しじっと見た。
「それで、なんて言うの?」
「うーん……まだ、わかんないよ」
俺はタオルでカップを拭きながら、曖昧に笑った。
「その場の雰囲気かな」
「もう、またそれ。無計画なんだからぁ」
ひなは軽く頬をふくらませ、すぐにふっと笑いをこぼした。
「ちゃんと言ってよね。変に言葉濁すと、逆に誤解されちゃうんだから」
「わかってるって。心配すんな」
俺も笑い返した。
「悪いことしてるわけじゃないんだから、大丈夫だよ」
「……うん」
ひなは少し照れたようにうなずくと、またいつもの笑顔に戻った。
それからは、互いに忙しく注文をこなしながらも、時折目が合うたびに小さく笑い合った。
気づけば外は夕方になり、店内の空気も少し落ち着きを取り戻していた。
「じゃあ、私そろそろ上がるね」
ひなはエプロンを外しながら言った。
「帰ったらLINEね。今日の話、ちゃんと報告してよ?」
「わかった、ちゃんと送るよ」
「うん、約束だよ」
そう言ってひなは軽く手を振り、笑顔のままドアを出ていった。
ドアのベルが鳴る音が小さく響き、
残された俺は、その音が消えるまでぼんやりと立ち尽くしていた。
――ひなが去った後のカウンターに、まだほんのりと彼女の笑い声が残っている気がした




