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53 不思議な人


「あぁ〜、シュウくん」


名前を呼ばれ、思わず振り向くと、

店の奥のテーブルから美歌さんが、静かに手を上げていた。

その仕草は控えめなのに、なぜか人を引き寄せるような不思議な力があった。


「ちょっと」


小さくそう言いながら、指先で俺を手招きする。

俺は「はい」と頷いて、静かにテーブルへと近づいていった。


美歌さんは、コーヒーカップを両手で包むように持ちながら、

穏やかな笑みを浮かべたまま、低い声で話し始めた。


「このこと、ひなちゃんにもちゃんと伝えておいてね」


「え?」


思わず聞き返すと、

彼女はゆっくりと俺の目を見つめ、

「私が電話番号を渡したこと、後で知ったら、きっと勘違いされちゃうかもしれないでしょ?」

と、柔らかく言葉を重ねた。


その口調は優しいのに、

“誤解”という言葉が妙に現実的で、

俺の胸の奥をひやりと冷たく撫でていく。


「それにね、ひなちゃんにも私の番号を伝えておいて。

二人の間で隠し事があると、よくないからね」


そう言って、ふっと目を細めた。

その笑顔はどこまでも穏やかで、

まるで何かをすでに“見抜いている”ようだった。


俺は思わず姿勢を正して、

「はい、今、言ってきます」

と返した。

それしか言葉が出てこなかった。

彼女の言葉には、どこか命令にも似た“静かな圧”があった。


美歌さんは小さくうなずいて、

残りのアイスコーヒーを一口だけ静かに口に運んだ。

グラスの中で氷が、かすかに音を立てた。


「うん。じゃあ、今日はこれで帰るね」


立ち上がるときのしぐさまで、

まるで舞台のワンシーンのように優雅だった。


そのままレジに向かうと、ちょうどそこにひなが立っていた。

二人の間に一瞬、何ともいえない空気が流れる。


美歌さんは微笑みながら、

「ひなちゃん、事情はシュウくんから聞いてね。

じゃあ、また来るね」

と優しく告げた。


ひなは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔を作って、

「はい、ありがとうございました。またお待ちしてます」

と答えた。


美歌さんはそのまま静かにお会計を済ませ、

ドアの方へ歩いていった。

扉のベルが鳴り、

冷たい午後の風が一瞬だけ店の中に流れ込む。


その後ろ姿を、

俺もひなも、ただ黙って見送るしかなかった。


なんだろう――

ただの常連客でも、初対面でもない。

あの人の言葉や仕草には、

どこか「決められた流れの中にいるような」違和感があった。


店の中の空気が、

さっきまでより少しだけ重く感じられた。

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