秘密基地にて
「よく逃げ切れたね」
「僕から言っておいてなんだけど、少し驚いたよ」
彼らの秘密基地の一室で、瑠璃川葵は笑った。
良家のご子息には似合わない、床にうず高く物資が積み上げられた、埃っぽい部屋での事だった。
あの後、瑠璃川の仲間を名乗る人物に連れられ、私達はこの基地にやって来たのだ。
瑠璃川葵は、部屋の傍に置かれたテレビの画面を指で差して言う。
「あれ、君達がやったの?」
画面には、血と臓物を垂らしながら徘徊する、軍服姿のゾンビ達が映っている。
私達が閉じ込められていた建物の監視映像だった。
「うん」
嫌そうな表情を浮かべて黙りこくるさきの横で、私は首を縦に振る。
あっけらかんとして言ったからだろうか、私達の背後の扉の辺りに立つ瑠璃川の仲間が、さりげなく武器を構え直す気配がした。
それと同時に、さきは居心地悪そうに俯いた。まあ、無理もないか。友人が人を殺して、平気な顔をしているのだから。
一方で、瑠璃川葵は興味深げにこう問う。
「どうしてそんな事が出来たの?」
「君達は人を殺さない教育を受けた筈だけど、倫理的に思うところはなかったの?」
「思うところがなかったとして、どうやってあれだけの人数をゾンビ化させたの?どんな戦術を使ったの?」
「倫理的」という言葉に、さきはギリ、と唇を噛み締める。私のために怒っているのだろうか。優しい人だ。
私は、真っ直ぐに目の前の少年を見据え、答えた。
「まあ、倫理的に思うところが、ない訳じゃないけど……」
「けど?」
「でも、それは一番に優先すべき事じゃないでしょ?」
「私達にとって一番大事なのは、『生きてこの国から逃げる事』だよ」
「そのためには、あの人達を殺さなきゃいけなかった。だから殺した」
「それだけだよ」
そこで一旦言葉を切る。
ふと横を見ると、さきと目が合う。彼女の萌黄色の瞳は、「お前、本当にやったのか?」とでも言いたげに揺れている。
「…それで?」
瑠璃川葵は、続きを促す。
冷静に言っているようで、何処となくワクワクしているようにも見える。私を見る彼の目は、正に「少年」そのものだった。
「えっと、どういう戦術を使ったか、だっけ?」
私は彼に確認を取る。
「ああ、勿論それもだけど……」
「…だけど?」
瑠璃川は、興奮気味に叫ぶ。
「もっと、君が何を考えていたのか教えてよ!」
「何を思って人を殺したのか、もっともっと教えて!」
少年は楽しそうに、心底楽しそうに笑う。
一方、さきは、剣呑さを含んだ視線を此方に投げて寄越す。「いい加減こいつを黙らせてもいいか?」と問うているかのようだ。
私は微笑みでさきを制しつつ、瑠璃川に答える。
「何を思って、なんて言われても困るよ」
「んー、そうだなぁ……」
「まず、不当に痛めつけられたから、隙を突いて拷問吏を殺した」
言いつつ、私は、赤く染まった右手を差し出して見せる。爪剥ぎの傷の手当は、まだ受けていなかった。
少年は、私の小指の爪が損なわれている事を確認し、口元を僅かばかり動かす。
「…へぇ」
「でもさ、不当に痛めつけられたとはいっても、人を殺すなんて相当な覚悟が要るんじゃないの?特に、これまで平和に暮らしてきた人間の場合はさ」
「それとも、君は違うのかな?たま」
瑠璃川葵は薄く笑う。私は少し逡巡する。
「別に」
「覚悟はそんなに必要なかったよ」
自分でも驚く位に機械的な声だった。
「ただ、攻撃されたと認識して、反撃しなくちゃ、って思った」
「その結果、殺す事になった。確かに、反撃にしては過剰かも知れない。でも、ただそれだけの事だよ」
「特に強い恐怖とか、強迫観念とかがあった訳じゃないよ」
「気がついたら、ねぇ」
少年は、意地悪な笑みを浮かべて続けた。
「じゃ、そこに何か意志はあったの?」
「収容所から逃げるために、本当にその人を殺さなきゃいけないって思ったの?」
瑠璃川は尋ねる。
「たま」
さきは「答えなくていい」とでも言いたげに顔を顰める。
私は手で大丈夫だと合図をする。
「…分からない」
私は、正直かつ端的に答えた。
「んー…」
「正直、なんで殺したんだろう、本当に分かんないや」
「貴方の質問に答えるのなら、『そこに意志はなかった。殺せると思ったから殺した。何故かは分からないが、殺さなきゃいけないと思った』って感じになるのかな」
「まあ、後から理由づけするなら、『拷問の末に殺されると思い、衝動的にやってしまった』とか、『拷問部屋の位置からして、彼を殺して上手くやれば逃げられると思ったから』とか、色々あるんだろうけどね」
「その時は違った、と?」
「そう、だね」
「ふぅん」
瑠璃川葵は、不思議そうな顔をする。
彼も、何だかんだ言って、そこそこまともな倫理観の持ち主なのかも知れない。
「…実際、あの時は半分、夢か、映画の中にいるような気分だったんだ」
「まあ、人を殺す理由として、論理的な説明にはなってないだろうけど」
「成る程、当初ははっきりとした理由もなく人を殺したって言うんだね?」
「でも、それにしたって不思議だね。君と外国の成人男性、まして軍人なんて、本来なら勝ち目もなさそうなものだけど」
「どうやって殺したの?実は戦闘に長けた第二の人格があるとか、そんなつまらない事言わないでね」
「…さあ?」
「どうやって、だろうね?」
私は、さきの様子に気を配りつつ、口の端を僅かに吊り上げる。別に楽しい訳じゃない。何で笑っているのか、自分でもよく分からない。
横目で見たさきは、何を信じればいいのか分からないような顔をしていた。
「何か凄まじい筋力とか」
「君が今しがた馬鹿にした、第二の人格なんてものが働いたのかも知れない」
「私には分からないよ」
「…もしかして、君には、彼らを殺した時の記憶がないの?」
目の前の少年が言うと、背後の仲間達がひそひそ話を始める。
何を言われているのか、凡その検討はつく。どうせ「何であんな奴を仲間に引き入れたんだよ」とか、そんなところだろう。私もそう思う。
「あるよ」
「じゃあ、何でさっきから『分からない』を連呼してるのかな?」
私は暫し考え込む。
「私が……」
「私でないような気がするからだよ。一昨日からずっとね」
そうだ。
私は本来、こんなに無慈悲な人間ではなかった筈なのだ。「合理主義的」と言われる事はあったが、決して、目的のために躊躇なく人を殺すような人間ではなかった。
おかしいんだ。もう、ずっとおかしい。
残虐性に火が点いたような、元来の合理主義的な考えに、何かしら、それに仮託けた邪な破壊衝動が結びついたような、そんな心地がしている。
声が止まない。戦わなければいけない。きっと私は、これからもっと残酷になる。
「一昨日っていうのは、君がウイルスに感染した日?」
「うん」
私は首肯し、微かな笑みを浮かべた。
「だから、私が取った行動であっても、それが、自分以外の何かに操られてやった事のように思えるんだよ」
「…本当にあれをやったのは、私なのかな?」
そう言いつつ、私は惨状を封じ込めた液晶画面を指差す。
「うん。いや、分かってるよ。あれをやったのは私だ」
憶えている。
夢のように人の血を啜り、雲の上を歩くように拷問部屋を彷徨い出て、冷たい雨の中を進んだ。いや、私は悪夢そのものになって、きな臭い感じのする収容施設に、鉄と血の雨を降らせた。唸る風のような怒号と、雷のような悲鳴があった。そして最後には、私達は、雲を撒いて彼処から逃げ出したのだ。
あれは私の記憶だ。嵐を潜り抜け、眩しい日の下で幼馴染の新緑の瞳を見たのは、紛れもない、瑞穂たまの記憶なのである。
「ただ、実感が湧かなくて」
「だから、何でこんな事が出来たのか、自分でも分からないんだよ」
「…そっか」
瑠璃川葵は、不意に語気を和らげて言った。
「じゃあ、いいよ」
「どういう戦術を使ったのかだけ教えて?」
「ああ。それについては、別になんて事はない、単純なものだよ」
「ゾンビ達に先に行かせて、兵士がそれに気を取られている間に奇襲していっただけ」
「そのうちにゾンビが増えて、一人じゃ対処し切れない数になってからは、私はただ見ているだけだったけどね」
瑠璃川は紙コップでコーヒーを飲みつつ言う。
「へぇ。随分上手くいったんだね」
「まあ、ね」
「運が良かったんだよ。拷問吏を殺した後で、最初に見回りに来たのが、多分だけど、拷問吏の友達かなんかでね」
「その人は拷問吏を殺せなかったんだ。それで、そのまま自分がゾンビになっちゃってさ。結果として、私に武器とか装備を渡す羽目になったんだよ」
そう言って、私は自分の着ている防弾ベストを指す。
武器は秘密基地に来た時に取り上げられてしまったが、服などはそのままだった。
「成る程ね」
「それじゃあ聞きたいんだけど、君は、拷問吏のゾンビが殺されていたらどうするつもりだったの?」
さきは置いてけぼりを食らったような顔で私達を交互に見ている。
「どうするつもり、かぁ……」
「うーん、何とも言えないけど、多分、頑張って不意打ちしようとしたんじゃないかな?」
「頑張って?」
目の前の少年は、子供の言う事を聞いているかのように相槌を打った。
「うん。拷問部屋の扉の後ろに隠れるとかして……」
「不意打ち出来なさそう、勝てる見込みはなさそう、って思ったら、やっぱり多分だけど、何が何だか分からず、混乱している女の子を装うんじゃないかなぁ」
「うんうん」
「あのね。あくまでも結果論、というか、あの建物から脱出出来たから言える事なんだけど」
「多分、彼処にいた人達って余り『ゾンビと戦う事』を意識してなかったと思うの。見回りも一人とか少人数だったし」
「だから私、あの建物は人間を相手にする事を目的として使われてたと思うんだ」
「…まあ、拷問吏を殺した時点での私には知りようのない事だけど」
「うん」
「それで思ったんだけど、余程ボロを出さない限り、彼処の人達は私を『人間』として扱ったんじゃないかなーって」
「だから、混乱している人間の振りをすれば、案外通るんじゃないかと思ったんだ」
「『どうして拷問吏はゾンビになったんだ』と聞かれたら『知りません。分からないけど急に苦しみ出して……扉を破って出て行っちゃったんです』とでも言えば良いし」
「私に噛み傷がある事がバレてしまったら、その時には『確かに噛まれはしましたけれど、ご覧の通り会話などに支障はありませんし……特に彼に何かした覚えもないので、何が何だか』みたいな風に言い訳も出来る」
「まあ、そうかもね」
「それにね、そもそもの話、最悪私は脱出出来なくても良かったんだ」
「私に逃げられる望みがなくとも、さきが彼処から逃げ出すための時間稼ぎが出来ればそれで良かったんだよ」
「ま、あくまで『最悪』の場合だけどねー」
「ああ、成る程ね」
瑠璃川葵は、漸く納得したように言った。
「そんな風に考えているから、こんな滅茶苦茶な事が出来る訳だ」
そうして、ちらりとモニターを振り返る。相も変わらず真っ赤っかだ。
「うん。君の考えはよく分かった。それに君達二人の信頼関係も」
瑠璃川は姿勢を正し、私とさきを交互に見た。
「じゃあ、改めて言うよ。僕らと共に『ベクトル発生装置』のある場所を調べて欲しいんだ」




