取引
「やぁ、こんにちは」
何の前触れもなく監獄の扉が開かれ、そこから、ひょっこりと少年が顔を出す。
かっちりとした服を着ているが、何処となく軽薄そうな印象を受ける少年だ。
「…どちら様で?」
私は、咄嗟にたまを後ろにやり、少年の顔を凝視する。
少年は、真意の読めない表情を浮かべている。
何者だ?
あくまで見た目の印象に過ぎないが、彼は軍の関係者や、まして軍人には見えない。
全体的に線が細く、扉に掛けられた手は白い。「かっちりとした服」も、制服やスーツというよりは、お坊っちゃま風の衣装に思える。
そんな人間が、何故こんな所に来たんだ?金持ちの道楽か何かか?
私達がそんな風に訝っていると、少年は困ったように口を開いた。
「そんなに警戒しないでよ。入っていいかな?」
「話があるんだ。多分、君達にとってもそんなに悪い内容じゃないと思うんだけど…」
私は、たまと顔を見合わせる。
「…どうしよ?」
「うーん…」
「…取り敢えず、入れてみない?」
たまは小さい声で、私にそう囁いてくる。
「ん……」
…まあ、確かにそうした方がいいか。
仮に、彼が軍の関係者だとしたら、私達にはどうしようもないし、違うとしたら、何かしらの協力関係を結べるかも知れない。
「いいよ」
私は少年に向き直り、一言、そう言う。
「ふふ、ありがと」
少年は人懐っこい笑みを浮かべ、静かに部屋に入ってくる。
彼は振り返る事なく、後ろ手でそっと扉を閉めた。
「あんまり時間がないから、手短に話させて貰うよ」
少年は、急に真面目な顔になって言った。
「突然で悪いけど、君達には、僕の所属する『旅団』という組織に協力して欲しいんだ」
「勿論、見返りは用意するから」
「…はぁ?」
私は、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
組織に協力して欲しい?
組織というのは、まあ、分かる。この状況だし、そういうものが出来上がっていたとしてもおかしくはない。単に私達が知らなかっただけの話だろう。
だが、一体何故私達に?
私達でなくとも、もっと役に立ちそうな人間など、幾らでもいるじゃないか。それとも、私達に頼らざるを得ない程、この国は壊滅的な状態に置かれているのか?
それに、何故こんな場所で?
「時間がない」などの口振りから言って、『此処に駐留している軍隊』と『旅団』は、どうやら別組織のようだが。
私は、怪訝な表情を隠そうともせず、思った事を全て捲し立てる。
流石に、此方の命がかかっている状況で友好的な対応をする程、私もお人好しではないのだ。
私の言葉に続けて、たまも言う。
「貴方、さっき、この部屋の鍵を開けたよね?」
「…どうしてそんな事が出来たのかな?」
「勿論、鍵を盗んだとか、ピッキングしたとか、色々方法はあるのかも知れないけどさ」
「私達からしたら、貴方がそもそも軍の関係者だって可能性が、一番高いよ」
それを聞いて、少年は満足気に笑う。
「やっぱり、この部屋に来て正解だったよ」
「安心して。別に僕は、魔女裁判のためなんかに来たんじゃないから」
「…この部屋の鍵は、元々持っていたのさ」
彼は、悪戯っぽく微笑みながら、チャリ、と鈍く光る鍵を掲げた。
「ふーん、そっか…」
「で、貴方は何者なんだ?」
私は尋ねる。
何故、彼は此処の鍵を持っているんだ?どうやって、あの鍵を持つに至ったんだ?
一先ず少年の言葉を信じるにしても、彼が何者で、何の目的あって此処に来たのか、その一端だけでも知っておきたい。
「僕? この建物の、元所有者の息子だよ」
少年は、何の疚しさもない声音で、そう名乗った。
私は、彼が天下の大嘘吐きでもない限りは、本当の事を言っているのではないかと思った。
まあ、都合が良過ぎて、俄かには信じ難いけれど。
「元、ねぇ……」
「今、この建物は知っての通り、B国軍に接収されてるからね」
この建物の元所有者の息子、か。
この建物は相当立地も良いし、大きかった。
そう考えると、彼の親は所謂富裕層なのだろう。だとすれば、彼が上等な服を着ているのも頷ける。
「…ああ。そういえば、まだ名乗っていなかったかな。これは失礼」
「僕は、『瑠璃川 葵』っていうんだ」
私達が黙り込んでいると、少年は、ふと思い出したかのように自己紹介をする。
「瑠璃川葵君、っていうんだ。私は……」
「君は『さき』。そっちの君は『たま』でしょ? 知ってるよ」
私が名乗ろうとする声を遮って、瑠璃川葵という名前らしい少年は言った。
その顔には、超越的な色が浮かんでいる。
「…なんで知ってるのかな?」
たまは、猜疑の滲んだ声で問いかける。
まあ、名乗ってもいないのに向こうが自分の名前を知っていたら、怪しむのは当然である。
「え、だって君達、互いに名前で呼び合ってたでしょ?」
瑠璃川少年は、あっけらかんとした声で答える。
まるで、「なんでそんな当たり前の事を訊くの?」と言わんばかりだ。
「盗聴してたのか」
「盗聴とは人聞きの悪い。ただ、この部屋に、こっそり取り付けた発信機から送られた音声データを、受信していただけの事さ」
「それを盗聴っていうんだよ」
私は少し大袈裟に溜め息を吐いてみせるが、彼が気にした様子はない。
まあ、ここでどうのこうの言っても仕方ないな。
それよりも、瑠璃川葵の要求とやらを聞いてみようじゃないか。
「ま、いいや」
「で、結局、貴方は私達に一体何の用なんだ?」
「ああ、それはね」
「君達に、調査して欲しい情報があるんだ」
「…情報?」
私は尋ね返す。
一寸、予想外の頼みだった。
「うん。『ベクトル発生装置』のある場所を調べて欲しい」
…ベクトル発生装置?何だそれは。
たまもそう思ったのか、すかさず瑠璃川葵に尋ねている。
「ベクトル発生装置って?」
「一言で言うと、ゾンビを操るために必要な装置さ」
「僕達は、何としてもそれを探し出して、破壊しなくちゃいけないんだ」
「ふぅん……」
「その調査を、私達に頼むんだ?会って間もない私達に?」
たまは、少し可笑しそうに笑う。
まるで、「瑠璃川葵は少々短慮なんじゃないか」とでも言いたげに。
まあ私も、その意見には概ね同意だった。
「会って間もない君達だからこそ、頼むんだよ」
しかし、瑠璃川葵は、堂々とそう言い切ってみせる。
「そもそも、僕達が『ベクトル発生装置』の在り処を探しているという事は、B国側も察知している筈だ」
「だから、君達が向こうにこの話を漏らしてしまったところで、そんなに不都合な事にはならないのさ」
「それに、この任務は危険なんだ。『旅団』の人間には任せたくない」
「末端工作員なら、万が一捕まって拷問とかされても、吐く情報がないからいいけど、『旅団』中枢の人間だと、捕まった時のリスクが大きいからね」
「私達は、使い捨ての駒って事?」
たまは、若干不快そうな顔で言う。
「そ」
「でも勘違いしないで欲しいのが、僕は別に、君達を軽んじている訳じゃないって事さ」
「へぇ?」
彼は、中々面白い事を言うな。
使い捨ての駒なのに、軽んじている訳ではない、だなんて。
「僕は、君達を買ってこの話を持ち掛けているんだよ」
「この建物に囚われている人間の中では、君達が一番冷静なんだ。他の人達は、混乱したり消耗したりしていて、ちょっと協力して貰えそうにないからね」
「そもそも、『使い捨ての駒』は言い方が良くないよ」
「どちらかと言えば、僕は君達の事を『傭兵』として見ているんだ」
「成る程ね」
「それにね、僕は、君達を結構信用しているんだよ?」
瑠璃川少年は、戯けた調子で言う。
「なんで?」
別に此方は、彼に信用されるような事をした覚えがないが。
「だって、そっちの君…たま、さんは、感染者でしょう?」
「……!」
「…さぁ、何の事かなぁ?」
たまはとぼける。
それを見て私は、この人は本当に頭が良いんだな、と思う。
「あれー、違った?」
「たま、さんに襲われた直後、さきさんが『狂言か』って安心してたからさ」
「狂言じゃない可能性を見越していたからこその『狂言か』だと思ったんだけど……」
「あと、『見られてたらどうするつもりだったんだ』とか言ってたし」
「『見られたら困る芝居』っておかしいな、って思ったんだよねー」
あれ、失言だったか。全部私じゃん。
…まあ確かに、急にゾンビの真似で襲いかかられたら、「狂言か」よりも先に驚くし、「何?」とか「いきなりどうした?」とか訊くよな。たまには、本当に申し訳ない事をしてしまった。
たまは、観念したように溜め息を吐き、小さな声で認めた。
「…うん、そうだよ。私、ゾンビなんだよ」
私は、そこで咄嗟に謝る。足を引っ張ってしまって済まなかった、と。
「ごめん」
たまは、私の謝罪に対し、首を横に振って微笑む。
「さきの気にする事じゃないよ。そもそも、急に狂言を始めたのは私だしね」
「そーそー。そもそも、君達が狂言をしてみせたからこそ、そして、それが『狂言だ』と、はっきり明かされたからこそ──僕は君達に取引を持ち掛けた訳だしね」
確かに、私があれは狂言だと明かさなかったら──たまが本当にゾンビ化したのだと思われた侭だったら、多分、この部屋は放置されていただろう。
たかが1、2体のゾンビを解放したところで、直ぐに撃ち殺されて終わりである。それなら、わざわざ扉を開けに行く意味もない。
「ま、結果オーライって事で」
「で、だ。話を戻すけど、君達は、この話に乗る気はあるかい」
瑠璃川葵はそんな風に問いかけてくるが、彼の瞳の中には、既に交渉成立を確信したような余裕がちらついていた。
「うーん。それは、『見返り』の内容にもよるかな」
たまは、一瞬私を見遣り、言う。
「そりゃー、当然、破格のものを用意してるよ」
瑠璃川少年は自信に満ちた笑みを浮かべる。
それは、中々様になる表情だった。きっと、彼の精神の根底にあるものは、中華的な自信なのだろう。
「僕に協力してくれたら、君達をこの国から逃がしてあげる」
「は…!?」
「勿論、冗談でも何でもないよ。君達、天原港を目指してたんでしょ?」
「何でそれを」
「…それを話してる時間はないよ」
「今──仲間にこの建物の監視カメラをチェックして貰って、看守が近づいてきたら教えてくれるよう頼んでおいたんだけどね──そろそろ、彼がこっちに来るみたいだから」
「どうする?」
「僕はもう行くけど、もし君達が頷いてくれるのなら、此処の鍵を置いていってあげるよ」
瑠璃川葵は、そう捲し立てる。
決断の時だ。
お膳立てされたようで、余りいい気分ではなかったが、ここでやいのやいの言っても仕方ない。
私は、ちらりとたまに目配せをしてから、意を決して答えた。
「…分かった」
「あは」
「交渉成立だね」
瑠璃川少年はそう言って笑うと、鍵を差し出してくる。
私は手を伸ばし、それを受け取った。掌に触れた鍵は、冷たかった。
「それじゃあ」
「君達が無事にこの建物から脱出出来たら、迎えを遣るよ」
そんな言葉と共に、瑠璃川葵は此方に背を向ける。
「迎えを遣る」というと耳触りが良いが、要するに、「この建物の周りは監視しているから、メリットだけ享受して逃げようとしても無駄だぞ」という事だろう。
だが、僅かでも脱出の糸口を掴めただけ、マシというものだ。
「それまでに『ベクトル発生装置』の場所について、ある程度の手がかりを掴んでくれてると有り難いけど、無理だったとしても、まあいいや」
瑠璃川葵はノブに手を掛け、扉を押し開ける。
外には、まだ人は居ないようだ。
「…じゃあね。また、合流出来る事を祈るよ」
バタン。
そうして、目の前で扉が閉まった。
ちょっと本編だけでは分かりづらいので、瑠璃川葵の思考回路の捕捉をば。
箇条書きで失礼。
⑴瑞穂たまは感染者→二人は確実にクチナシシティ外部から来た人間であり、B国に保護もされていない=B国と関係していない=信用出来る
※瑠璃川葵の所属する『旅団』と『B国』は対立関係にあるため
⑵狂言だった→自分達の監視の程度を測れるくらいには冷静である
上記二つの合わせ技です。
⑴だけだと「ゾンビ1、2体解放したところで、あまりメリットはないし…」と考えたでしょうし、⑵だけでも「でも、本当に信用出来るのか?」と踏み止まったかも知れません。
あと、本編では使われませんでしたが、「瑞穂たまは感染者」という事を知っていれば、二人に取引を断られそうになった時に脅せる、という下衆な発想もあったかも知れない。




