略奪者と殺戮者
──数時間前、梔子橋郊外コンビニエンスストア
「他に丁度いい建物もなさそうだし、今日は此処で休もっか」
「ああ」
比較的外装が綺麗な状態で残っているコンビニの前で、たまとさきは立ち止まる。
綺麗とはいっても、外装のガラスは割られ、荒らされた事は一目瞭然な状態ではあったが。
「ぱっと見は…誰もいなそうだね」
「ちょっと安全確認してくるから、さきはそこで待ってて」
残照の中では、店内はやけに暗く見えて、幾つか商品棚が倒れている事ぐらいしか分からない。
たまは、入った所にゾンビがいない事を確認すると、半開きの自動ドアをこじ開けて、中へと入っていく。
「うん、待ってるよ。ありがと」
さきは薄く微笑んで、コンビニの短い屋根の下で待つ。
二人は、高層ビルの立ち並ぶ梔子橋地区、通称・クチナシシティの外れに位置する、コンビニエンスストアに辿り着いていた。
「明日は彼処を通るのか……」
さきは、手で夕日を遮りながら、天を衝くばかりの高層ビル群を仰いだ。
「改めて見ると、ほんと、大きいよなぁ」
クチナシシティは、巨大な都市だ。
商業、政治、文化──あらゆるものの中枢を取り込みながら膨張してきた、渾然一体の「帝国」である。
品の良さげな時計塔と、その周りに集う欧風の建物の数々。
モダンな路面服飾店の並ぶ通り。
地下も地上一帯も覆う、階層状のターミナル駅。
ちょっとした公園や映画館のある、健康的な娯楽通り。
カラオケや、チェーンの居酒屋が雑然と固まっている、大衆向けの一区画。
小ざっぱりとして、放射状に広がっていく主要道路。
何処に繋がっているのかも判然としない、妖しげな裏路地。
こういったもの達が、その境界も曖昧に、クチナシシティ全体を構成しているのだ。街には何時も、陶酔してしまうような、不思議な雰囲気が漂っていた。
「もう、此処で映画を見る事もないのか」
さきは、ぽつりと呟いた。
この街の雰囲気に呑まれるのは、さきとて例外ではなかった。
彼女は、映画を観に行った帰りに、映画館の下りエスカレーターから見る、夜のクチナシシティが好きだった。
しかし、もう映画を観る事はおろか、街を見下ろしてぼーっとする事もないのだ。
それが少しばかり、さきにはしみじみと感じられた。
「…んー、誰も居なさそう、かな?」
所変わって、たまの方はといえば、淡々と店内の確認をしていた。
今は丁度、バックヤードの確認を終えたところだ。
「でも、ちょっと変だなー」
たまは、店内をぐるりと見回して呟く。
「なんで、全然ゾンビの痕跡がないんだろう?」
「此処って梔子橋にも近いから、居てもおかしくないんだけど……」
確かに店内は荒れていたが、死体やゾンビどころか、血痕すら殆ど残っていなかったのだ。
まるで、パンデミックと同時に爆発を起こし、そのままシンと静まり返ってしまったかのように。
それが、たまには少し不自然に感じられた。
「それに、此処に来るまでで、随分ゾンビの数が減っていったような…?」
「…ま、いいや」
「居ないなら居ないに越した事はないしね」
たまは、自分の疑念に終止符を打つようにそう言うと、さきを呼びに行った。
………
……
…
「で、バックヤードにパイプ椅子が幾つかあったから、さきはそれを並べて寝るといいよ」
「分かった。たまはどうするんだ?」
「私は…今日はそんなに疲れてないから、見張りでもするよ」
「商品棚を動かしてバリケードにするのは、流石に大変でしょ?」
「…あんま、無理するなよ?」
「ん、分かってる。ちょっと体力的にきつそうだったら、さきを呼びに行くから」
「うん、そうして」
「あと、トイレは右の…うん、あの扉だよ」
「多分流れないだろうけど、どうせ全部は持っていけないし、棚にある水とか使って流そう」
「ああ」
二人は、店内の奥まった所に、商品棚にあったレインコートを敷き、その上に座って、今夜の事について話し合っていた。
だが、その話もそろそろ纏まるようだ。
「さて、もう大体の事は話しあったな」
「じゃ、そろそろ夕飯にする?」
「うん」
やがて議題が尽きると、二人は、夕食を選ぼうと立ち上がった。
そのまま、倒れずに残っている商品棚へと歩いていく。
「…あれ?」
そうして薄暗い中、棚を覗き込み、先に声を発したのはたまだった。
「どうした?」
それにさきも続く。
「ねぇ、見て。食べられそうなもの、殆どないや」
「どれ?…本当だ」
彼女達が覗き込んだ棚に残されていたのは、粉末タイプのコーヒーなど、非常時においては殆ど役に立ちそうもないものばかりだった。
「え、本当に何も残ってないのか?」
「んー……」
二人が何度見ても、粉末コーヒーの横のスペースに引っ掛けられた『カロリーゲット』なんかの値札が、得も言われぬ空しさを醸すだけである。
他の棚にも、今役に立ちそうなものは一切なかった。
暫く確認していたたまは溜め息を吐き、渋々げにこう言う。
「なさそう」
「…そっか。しょうがないから、持って来たのを食べよう」
「そうだね…」
二人は、露骨に落胆した様子で、先程の場所へと戻っていった。
「誰が持ってったのかな、此処の食べ物」
「さあ。私達みたいなのが、この辺にもいたんじゃないか?」
暗い店内で、レジ下から持ってきた懐中電灯を点け、細やかな食卓を囲みながら、二人はそんな会話をする。
「ちょっと補充していきたかったな」
「そうだね」
たまもさきも、消費期限の迫った菓子パンを食みながら、示し合わせたように複雑な顔をしている。
「此処に来るまでで、どっかに寄るべきだったかな」
「クチナシシティって、コンビニとかスーパーとかあったっけ?」
「ああ、ちょっと無理してでも、寄るべきだったかもね」
「クチナシシティって、案外そういう店ないよ」
「だよなぁ……」
「まあ、何かしら補充出来るまでは、少な目に食べてくしかないよな」
「うん」
「でも、水だけは多く持って行こう」
「ああ」
食料配給の話が終わると、二人は再び、黙々と食事をする。
たまは至って無表情に、さきは「もうこれにも飽きたな」といった顔で、淡々と菓子パンを胃に詰め込んでいく。
食料は、なるべく消費期限が長く、カロリーの高いものを選んで持ってきたため、似たようなラインナップになるのは、どうしても避けられない事だったのだ。
そしてその中で、日持ちしないものから順に、同じものばかり食べていたので、二人が飽きるのも当然であった。
そうして、暫くは食べる事に専念していた少女達だったが、重苦しい空気に耐えかねてか、何方ともなく口を開いた。
「さっきの話の続きしていい?」
「うん?」
「誰が此処の物を持って行ったのかって話」
「ああ」
さきは表情を正し、たまの方を見る。
「多分、私達よりも大人数だよね」
「だろうな」
梔子橋郊外のコンビニエンスストアから持ち出された物資の量は、たまとさきが別の店舗から持ち出した量よりも、ずっと多かった。
二人はその事実を確認し、一層複雑そうな顔になった。
「車とか使ってたら、数は私達より少ないかも知れないけどな」
「うん。でも、それはそれで……」
「どうした?」
さきの問いかけに、たまは少し言い渋る。
「競合相手が増えるかな、って」
「大人数でも、そういう少数グループでも」
最終的にそう言い放ってから、彼女は、まるで悪事が見つかった子供のように俯いた。
「競合相手、ね…」
さきは、感情の読めない声で呟きつつ、ペットボトルの蓋を捻る。
「その人らが、此処から物を持って行ったのが何時だか知らないけどさ」
「その時間によっちゃ、とっくにクチナシシティから離れてるんじゃないか?車なら尚更」
「まだ幾らか、何処かに食べ物が残ってるんじゃないかって、私は思うけどな」
冷えている訳もないジュースを煽りつつ、さきは言う。
その言葉には、何処かたまを諌めるような響きがあった。
「そうかもね」
「でも、もし万が一、その人達の行き先が天原港だったら、私達の行く先々で食料が枯渇しているかもな、って」
「仮に少人数だったとしても、ここまでごっそり持って行っちゃうような人達だもん」
たまは縮こまりつつ、もう一口菓子パンを齧る。
彼女の下に敷かれたレインコートが、くしゃ、と音を立てた。
「少人数で、尚且つ移動手段があるならさ、そんなに食料は要らないだろ」
「それなら、流石に、行く先々で根こそぎ持って行くような事はしないんじゃないか」
「ま、少人数とも、移動手段があるとも限らないけどさ」
さきは薄く笑う。
「うん」
たまは、更に小さくパンを齧った。
それから、パンの包装を握り締めつつ、たまは静かな声で言う。
「さきの言いたい事は分かるよ」
「あんまり、他の生きている人達の事を『競合相手』なんて呼ぶのは良くないって、私も分かってる」
「生きている人が多いのは、確かに喜ばしい事だよ」
「ん、あー…」
たまの言葉に、さきは、少しばつの悪そうな顔をした。
「生きているのは喜ばしい」なんて言葉をたまに吐かせたのが、居心地悪く感じたのだ。
「ごめん」
「ううん、さきの謝る事じゃないよ」
即座の謝罪に対し、困ったように微笑みつつ、たまは続ける。
「でも、私達だって、あまり余裕ないじゃない?」
「ただそれだけなんだよ。余裕がなさ過ぎるだけ」
「うん…」
さきは一瞬口の端を結び、それから少し間を置いて、ぽつりぽつりと話し始める。
「…なあ、向こうが車とか持ってなかったらさ」
「うん」
「まだ、クチナシシティとかに居るのかな?」
「それは、どうだろうね。居る可能性はあるだろうけど」
たまは、食べ終えた後の菓子パンの袋を畳みつつ、緩く笑った。
それから不意に真剣な表情になって、さきに問いかける。
「ね、さきはさ」
「その人達に会いたいと思う?」
さきは、困ったように頬を掻いた。
「それは…何とも言えないな。どういう人達なのかも分からないし」
「そっか」
たまは小さく、しかし、満足げに頷く。
「私はね、やっぱり会いたいとは思わないんだ」
「どういう人達であれ、私は少なくとも歓迎されないだろうし」
彼女は自分の右腕──彼女がゾンビである証を一瞬見遣り、それから、さきに向き直る。
「それにね、さき」
「このコンビニ、よく見てみて」
「え?」
「此処さ、パンデミックが原因で仕方なく荒らされたにしては、それらしくないと思わない?」
たまの瞳が妖しく輝く。
彼女の長い睫毛が、荊の棘のように、その顔に長い影を落とす。
「なんで荒れたんだろうね?」
彼女は、何時の間にか、蜷局を巻く蛇のような雰囲気を醸し出していた。
まるで、一つ一つ、獲物の逃げ道を潰していくような──
「ゾンビが発生したから?」
「それなら、少しは戦いの跡が残ってないとおかしいよね?」
「でも此処って、死体どころか、血痕すらないでしょ?」
「じゃあ、パンデミックが起こった時に、誰かが慌てて物を持ち出したから?」
「でもそれで、こんなに荒れるかなぁ?」
「だって普通、物を持ち出すだけなら、棚を倒したり、外のガラスを割ったりする必要はないでしょ」
さきは、はっと息を呑む。
何となく、彼女にも、たまの言わんとしている事の察しがついたのだろう。
「略奪」
「じゃないかなぁ?」
その言葉と共に、たまは微笑んだ。
それは、比較的性善説を採っているさきには、決定的な一言だった。
「それも、一方的なものだと思うよ。抵抗の跡も残ってないし」
しかし、さきとは対照的に、たまはあっけらかんとして言う。
「略奪の動機は分からないけど、仮にパンデミックが起こる前なら、店員さんと他のお客さんを脅して奪ったんだろうし」
「起きた後なら、他の、物資を求める人達から奪ったんだろうね」
「…っ。でも、そうとも限らないじゃないか」
さきは、声を震わせながら、切実な顔でたまを見る。
「勿論」
「略奪なんてなかったのかも知れない」
たまは、その声を悠々と受け止めて笑う。
「それならそれでいいんだ」
「略奪なんて起きなかった。そう思いたいのは、私も一緒だしね」
それから、急に真面目な顔でさきを見つめ、こう続けた。
「でもね、さき」
「もしかしたら、そういう人達が、私達の近くにまだ居るのかも知れない」
「その可能性だけは、心に留めておいて欲しいんだ」
「…ああ。分かってる」
さきは、重々しく、そして苦々しげに頷いた。
それを見て、たまは心底幸せそうに微笑む。
「私ね、我儘だけど、私自身が貴方に害を為すような存在になるまでは、貴方を守りたいと思ってるんだ」
「…うん、それはよく分かってるよ」
「ありがとな」
「だからね、もしそんな人達が近くに居て、私達に害を為すというなら…」
「勿論、戦うつもりだし、場合によっては殺すつもりだよ」
たまは、体育座りをした膝と前髪の隙間から、未だ見ぬ略奪者──競合相手を睨み上げる。
彼女に染み付いた血と死の臭いが、その言葉の凄味を否応なく増していた。
「さき」
「私、やっぱり凄く我儘なんだよ。それに、さきみたいにまともでもない」
「…幻滅したかな?」
さきにそう問いかけつつも、たまの言葉には、何者にも動かされないような、強い気持ちが籠っていた。
ひょっとしたら、さきにすら動かせないかも知れない。そんな響きだった。
「いや…」
さきは、少しくぐもった声で呟く。
「嬉しいよ」
それから、慌ててこう付け加える。
「勿論、そんな事にならないに越した事はないけど」
「うん」
「そうだね」
そこで会話を切り上げると、二人は、それぞれ話し合った通りの準備に取り掛かった。
たまは見張りの、さきは寝るための支度だ。
「じゃあ、お休み。疲れたら遠慮なく呼んでね」
暫くして、そんな言葉と共に、さきはバックヤードに引き上げていく。
「うん、お休み」
それを見送るたまは、何処までも穏やかな目をしていた。




